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運命の赤い弓

「はっ……はっ……はっ」


 私が何をしたと言うの?

 騙された人間が悪いとでも?

 それがこの世界のルールなら、…………この世界に神様なんていない。


 勇者カザンが亡くなった事を伝える悲報、それはレギザイール王国をひっくり返す程の衝撃を与えた。

 そして人々が悲しみに暮れる中、犯人であるシグナ=アースは捕まらない。既に死んだのではと言う噂も飛び交っているが、半年が経過しても捕まらない事実に対して人々の不満は次第に高まる。そしてレギザイール軍が無能であると信頼を落とし、転がるようにして治安が悪くなっていった。


 そんな折、私はオラージュの実を収穫するため長期に渡っての人手を集う話がある事を耳にする。

 なんでもその仕事は女性でも出来る仕事のわりには給金が良く、私はその得たお金で教会の皆に仕送りが出来ればと思い、シスターマリアに書き置きを残して教会を飛び出した。


「トロ!」


マリアの声が背中から聞こえた。

 私が飛び出した事に気づいたのだろう。

 しかし私は宿無しの人達に食料を配る仕事を最後までしていたため、仕事の集合時間が刻一刻と迫っている。私は脚を止める事なく振り返ると、マリアに向かって大きく手を振ってみせた。


「いってきまーす!」


 古い方の教会で育った私は魔法の才能は無かったが、走りでは同年代の男の子に負けないぐらい体力に自信があった。

 私はその自慢の脚を使い遅れを取り戻すために集合場所へと駆けて行く。


 しかしその募集がまやかしである事に気づいたのは、集合場所である路地裏の広場が見えた頃であった。


「やっと2人目か」


 複数いる男達の1人が、私を見てそう吐き捨てるようにして言った。

 しかし私はその言葉を聞き流してしまうぐらい、目の前の光景を理解する事で頭が一杯になる。


 男達に囲まれるようにして倒れている1人の女の子。その顔には殴られた跡があり、無言で私に助けを求めている。


「誰だよ、簡単に沢山稼げる方法を見つけたとか言った奴」

「知るか! それより今来たガキは、そこそこで売れそうじゃねえか?」

「そんなの味見してみんと、わかんねーよ」


 そう言うと男達が一斉に私へ視線を浴びせる。いやらしい笑みを浮かべて。


 私は思考が停止しそうになる中、近づいて来る一番手前にいた男から目を離せなくなっていた。

 足を動かす事を忘れ、ただその場に立ち尽くしているだけ。

 その時、女の子を囲んでいた男達の一人が声を荒げる。


「このアマ!」


 這い蹲っていた女の子が男達の間を飛び抜けると、逃げるようにしてこちらへ向かって走り出していたのだ。


「逃がすかよ!」


 私に歩み寄っていた男が手を伸ばすが、女の子はよろけながらもそれを避け私のほうへと倒れ込んで来る。

 私とぶつかった女の子は転倒する事なく走り続けるが、代わりに私が尻餅をついてしまった。

 そして再度その子の方を見れば、彼女は私には目もくれず走り去って行く。

そこで気がつく。

 私も逃げなきゃ!


 私も女の子に習い来た道の方へと走り始めた。

 汚らしい男達の声が後ろから次々に上がり出す中、私は死に物狂いで狭い路地を走り、勢い余って壁にぶつかりながらも角を曲がるとただひたすらに脚を動かし続ける。

 たしかあそこを曲がって直線を抜ければ、人混みに紛れる事が出来る!


「はっ、はっ、はっ、ぁああ!」


 しかし角を曲がってすぐに、私の身体はそれ以上前に進めなくなった。

私が早いと言ってもそれは子供の中での話。大人相手では通用しなかった。

 私は咄嗟に声を出そうとしたが、大きくてゴツゴツした男の手が私の口を塞ぐ。


「ガキがちょこまかと! 無茶苦茶に、してやるからな!」


 息を切らしながら上擦った卑しい男の声が耳元から聞こえた。

 そして男は力任せに、私を今駆けて来た路地へと投げ飛ばす。

 私は勢いよく隅に置かれたゴミ箱に突っ込むと、反動でそのまま地べたに突っ伏してしまった。

 そして私を取り囲むようにして立つ男達の笑い声が、私を芯から震えさせる。


「やめてっ!」


 私の叫びも虚しく男達の手が伸びる。

 私の服は強引に正面から左右に引かれ、そこに縫い付けられていたボタンが全て地面へと飛ぶ。

 それからさらに服が引き千切られたため、私の上半身が外気に晒された。


 私は救いを求めて大通りの、光が見える方へと無意識に手を伸ばしていた。

 そしてその光の中に人影が、誰かがこちらに歩いて来ている事を涙で滲む私の瞳が捉えた。


 ……女の人?


私の視線を辿り男達もその女性の存在に気づく。

 先程私を投げ飛ばした男は新たな獲物の出現に歓喜し、その女性にも襲いかかろうとする。女性も恐怖で動けないのか無防備にその場で歩みを止めると立ちすくんでしまった。


 私は思わず目をつぶる。


「ぎぃぃっぎゃぁーーーー!」


 そして、男の悲鳴が聞こえた。

 私はその声で目を開くと、その光景に驚倒する。

 いつの間にか女性の左手には朱色の弓が握られており、襲いかかったはずの男が光り輝く矢を全身に受け痛みからか、縮こまった状態でその場に倒れていた。

 女性に視線を戻せばさらに光の矢をツガえ放つ動作を、目にも止まらない速さで何度も行い、その全ての矢が吸い込まれるようにして男達に刺さって行く。

 まるで手品を見ているようだ。


「任務……完了……」


 そして男達を一掃した女性はこちらへスタスタ歩み寄ると、地面にへたり込んでいる私をジッと見つめた。

 私は溢れ出ていた涙を拭い両手で体を隠すと、恥ずかしさと情けなさから地面を見つめるようにして視線を落とした。

 そして沈黙が流れる。

 そこで気がつく、助けて貰ったお礼をまだ彼女に言ってない事を。


「あっ、その……ありーー」


 その時突然女性から手を握られ、驚きのあまり声を詰まらせてしまった。そんな私を気にも留めていないのか、彼女は怯える私の手を強く引くと立ち上がらせた。

 そしてーー。


「……あげる」


 女性は自身が着ていた服をこの場で脱ぐと、私に手渡しそのまま何事もなかったかのように来た道、光の方へと帰っていこうとする。


「ま、待って!」


 受け取った服を胸に小走りで駆け、立ち去ろうとする女性の手をなんとか掴み引きとめた。

 振り返った女性は不思議そうな顔で私を見つめる。

 そのとき助けてくれた女性の顔を初めてまともに見る事となる。

 短く切り揃えている黒髪は手入れをしていないのかボサボサになっており、紅玉色の瞳の下にはクマがある。年齢は私と同い年ぐらいの少女のようだ。


「あっ、えっと……その、危ないところを助けていただいて、ありがとうございました!あの、なにかお礼をしたいのですが……」


 一瞬の沈黙のあと、彼女は困ったような顔をすると背を向け再び歩き出した。


「あっ、待って下さい!」


 私は急いで渡された服を首から通すと、慌てて彼女の後を追った。

 大通りに出ると、西へ向けて歩く2人。

 私は彼女に渡された服を着ているが、彼女の上半身は下着に近い露出が高い格好になってしまっているため、擦れ違う人がたまに振り返る。


「あの、……恥ずかしくないのですか?」

「……」


 彼女は足を止めると、キョトンとした顔で私を見て小首を傾げた。

 聴こえなかったのかもしれない、私はそう思いもう一度言い直そうとすると。


「クモ」


 彼女は小さな声で何か話した。


「えっと、クモ……ですか?」

「わたし……名前……クモ。あなたは?」

「あ、トロ。私の名前はトロ=カタスベルです」


 そう言えば名前すら名乗っていなかった事に気づく。らしくない、先程から私は何やってるんだろう。

 そして我に返ると、既にクモさんはスタスタと道を進んでおり、私はその後を追った。

 暫くして、ずっと後からついて来る私に観念したのか、クモさんの歩くペースが落ちた。それからもう少し歩いて行くと、その足を完全に止めるのであった。


「……着いた」

「ここは!?」


 目の前には、白い外壁で砦のような作りの建物が堂々と建っている。

 私はこの建物を知っている。

 そうここはレギザイールの城下街で暮らす殆どの者が知っている人物、バレルヘルム(樽兜)を愛用するパラディンが所属するギルド『バレヘル連合』本部の建物であった。

 改めてこの建物を近くから見上げてみると、その大きさから思わず萎縮しそうになってしまう。

 そしてその建物の中に、クモさんが躊躇うことなく入って行く。


「あ、待って!」


 開け放たれたままの扉を潜り建物に入るとロビーが広がっていた。

 中は依頼に訪れた人や、バレヘル連合に所属する証であるギルドマークを身に付けた者達が右往左往しておりごった返している。


「……待ってて」


 クモさんはそう言うと私をロビーの椅子に座らせ、奥の部屋へと消えてしまった。

 一人残された私は、場違いな空気に気まずくなり自然と下を向く。


 クモさん……バレヘル連合の人だったんだ。

 そんな事を考えていると、突然飲み物の入ったコップが差し出されるようにしてテーブルの上へと置かれた。顔を上げると、胸元にバレヘル連合のギルドマークを付けた若そうな小柄な魔道士風の女性が立っていた。


「まったくクモは、お茶ぐらい出しなさいよね! あ、私はメグミ、メグミ=アスロードよ。よろしくね」


 手を差し出すメグミと言う魔道士に握手を返す。


「あっ、トロ=カタスベルと言います! こちらこそ宜しくお願いします!」

「……それで、どうしてクモと一緒にいたのかな?」

「それはーー」


 つい先程の出会った経緯を簡単に噛み砕いて説明していると、メグミが途中でいやらしい表情をしたような気がしたが、気にせず話を続ける。


「なるほどね。となるとーー、ちょっと待っててね!」


 そういうとメグミは、通路の先にある勝手口から外へと出ていってしまう。

 そして瞬く間に小走りで戻ってきたメグミの腕の中には、紅い毛に包まれた仔犬、魔狼の仔が抱き抱えられていた。


「この汚い毛並みに微妙に怖い顔、コワ可愛カワじゃない?」


 メグミはそう言いながら、私の胸にグイグイ魔狼の仔を押し付けてくる。どうやらこの仔を抱っこしてほしいようである。

 別に断る理由もなかったので、私は魔狼の子を受け取ってみることにする。

 両手に伝わってくる魔狼の仔の体温、あたたかい。そして見上げてくるコワ可愛の魔狼の仔に、気づけば自然と表情が和らいでいた。


「わぁ、あったかいですね」

「それじゃ暫くそのままでいてね」


 訳も分からず渡されたが、細心の注意を払って落ち着きのない魔狼の仔を落とさないようにする。

 その時、奥の扉が開きクモさんが1人の男性を連れて戻ってきた。

 そしてメグミさんがその男の名を紹介してくれる。


「パラディンよ」


 そう、目の前にいる人は全身山吹色の鎧に室内でも噂通りのバレルヘルムを被る男、パラディンであった。

 この人が噂の、と納得すると同時に見知らぬ人間を目の前にした緊張で、魔狼の仔をギュッと抱きしめてしまう。

 そんな私を魔狼の仔は、心配そうに見上げている。


「メグミさん、戻られていたのですね。あっ初めましてパラディンと申します」

「ただいま」


 そしてパラディンがこちらに会釈をしたので、私も会釈を返す。


「えーっとクモ、この子ですか?」


 クモさんはコクコクと頷く。

 パラディンがその表情の見えない兜をこちらに向けたため、私はその空気に気圧されてしまい俯く。


「名前トロ、……ずっとついてくる。……どおすれば、いい?」


 先程から付いて回っていた事が、クモさんを困らせてしまっていたようである。

 私はその事実を知り、居た堪れなくなってしまい謝ろうとする。


「あのーー」

「パラディン、良い機会なんじゃない!」


 私が話そうとすると、メグミさんに遮られてしまった。


「うーむ、そうですね」


 パラディンは腕組みをしたまま唸ると私の方に再度向きなおる。


「随分人懐っこいみたいですから飼育してみるのも良い経験になるかもしれませんね。クモに命の大切さを教えられるかもしれないですしね」

「……飼……育?」


 それってどういう意味?

 そしてチラリと視界に入ったメグミさんが、小さく笑みを漏らしたような気がした。


「生き物を育てるって事ですよ。毎日ご飯をあげたり、一緒に遊んだりお風呂に入ったり。あと躾もちゃんとしないといけませんよ」


 そう言うとパラディンは、何かを思い出したように手をポンッと叩く。


「そうです、さしあたって野犬と間違われないように首輪を買ってあげましょう」

「ん……わかった。行くよ……トロ」

「え? あの、わぁーー!」


 パラディンの話が終わると、クモさんが私の手を掴みそのまま引っ張っていこうとする。


「よしっ!」


 ガッツポーズのメグミさん。


「へっ?」


 と予想もしなかった出来事に、間の抜けた声を出すパラディンの姿が見える。

 そして私から飛び降りた魔狼の仔をメグミさんが抱き上げると話し始めた。


「やーね、パラディン! 飼育とか首輪をつけろとか、マニアックなんだから」

「や、違いますって! あれっ? トロってこの魔狼の事では?」

「誰がそんな事言ったの? この仔は今回の旅で私が拾ってきたの。コワ可愛でしょ」


 メグミの満面の笑みが見えた辺りで、私は建物の外へと連れ出されてしまった。


 私はそれから、首輪を購入したクモさんに連れられ急遽山籠りをする事に。

 一緒にご飯を食べたりお風呂に入ったり。そしてマンツーマンによる指導の下、私は弓矢を扱う技術がメキメキとつき一流の弓使いへの階段を駆け足で登っていった。


 それから山篭りを始めて1年後、2人は無事レギザイールの城下町へと帰還していた。

 それから更に一年が経った頃、少人数ながらもバレヘル連合に新たな部隊、弓部隊が発足されるのであった。

五章はもう一つ物語を載せてから、開始させます。

m(_ _)m

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