【エピローグ】 千里眼の魔王
レギザイールだけでなく周辺諸国にも大きな衝撃を与えた勇者カザン=ジャックミノーの死から一ヶ月、賢者シュバイツァーは眠れない日々を送っていた。
誰かに見られている。
そう、何年も前から続く、断続的に向けられる視線が私の精神を擦り減らしていた。
私は逃げるようにして、唯一その視線が届かない場所がある、城に寄り添うように聳え立つ塔の一つへと向かっている。
通路ですれ違った兵士が立ち止まり敬礼をしていた気がするが、私にそれを返す余裕はない。
星の魔法石から時折向けられる視線も気にならないと言えば嘘になるのだが、あちらの視線は例えるならば強烈な日差しのような物で、押し潰されそうな圧迫感こそあるが、不思議と嫌な気持ちにはならなかった。
それに比べて私を苦しめる視線は、まるでねっとりと絡みつき浸透する腐臭漂う液体のようで気分を害した。
目的の塔に着き、頂上に向かうために螺旋状の石段を一段一段踏みしめながら登っていく。
これでも私はレギザイールで最高の魔道士であると囃し立てられていた。前線を退いてはいるものの、魔力は年老いた今も年々強くなっていっており先日魔力容量が50を記録した。
そしてこの魔力容量、これが40を超えた辺りから、見える世界が一変していた。
それ以前はたまに見える程度であった物が常に見えるようになったのだ。
その見えるようになった物とは、大気中にまばらに浮かび動く黄金の《・》砂。
これが何であるのかはわからないが、太陽が出ている時にその量が増し、また激しく砂嵐で飛ばされるように右へ左へと飛んで行く。
そしてねっとりとした視線を感じる際、この光の砂が灰色の砂へと変わりまたその事により、おおよそだが視線の先がどこからの物なのか見い出す事が出来ていた。
文献によりこの世界には七つの世界が重なり合っている事は知っていた。そして星の魔法石の知識でその裏付けも出来た。
そう、この視線はその異世界の一つから向けられた物であったのだ。
異世界へと続く橋、これを渡るには理論がわかりさえすれば、あとはトリガーを引くのみである。
しかしその橋を渡るには途方もないエネルギーが必要となる。
異界を見知るだけでも世界中の魔道士をかき集めれば可能かもしれないと言う程の膨大な魔力を必要とする。
それ程までの力をただ暇だからと、無闇に何度も使用しているとは思えない。また力ある者は、より強大な力を求める。
狙いは星の魔法石か?
それともこの世界全てなのだろうか?
いずれにせよこの者は空間を捻じ曲げてでも、いつかこの世界にやって来るだろう。
私はこの異界の者を『千里眼の魔王』と名付け、その存在に伴い考えられる危機を上へと進言した。
この事によりレギザイール軍はこれから更に軍備を増強することになるだろう。
この千里眼の魔王の存在は、それ程までに脅威であるのだ。
またカザンの死、そしてシグナ=アースの冤罪は、容易に大きな力によって行われた事を想像させ、その力に刃向かえば自身も危険であることを悟らせた。
それらの事柄が合わさりカザンの死後、今まで以上に千里眼の魔王に対抗する力を欲して星の魔法石から力となりそうな知識を引き出している。
石段が終わり、二人の兵士が守護する重い扉を潜り、星の魔法石が保管されている部屋へと入室する。
星の魔法石は誰でも知識を得ることが出来る。しかしその情報量は膨大な物で、人が一生をかけて知ることが出来る量は、大海原をひと掬いするに等しいらしい。
また普通の者では見当違いの場所を闇雲に探すようなものになってしまうため、調べる事に適した魔力量が多く天才と言われる程の魔力コントロールが出来る者が必要であり、それに該当する人物は貴重である。
そのような才能に溢れた人物に心当たりがある。また兄の冤罪で無下に命を枯らす訳にもいかないので、私はその女の子を推薦した。
この判断が彼女の命を救う事になるのだが、のちに束縛する事になってしまうとは、この時の私はまだ知らない。
私は星の魔法石の前に腰を下ろすと、瞼をゆっくりと閉じた。
次に瞳を開くと、高い天井の玄関ホールに立っていた。
館内には真っ赤な絨毯が敷き詰められ至る所にはアンティークな装飾が施されているが、明かりが抑えられているため怪しげな雰囲気を醸し出している。
館の作りは、正面の壁まで伸びた幅広の階段の先が踊り場になっており、そこから左右に階段が伸びている。
そして踊り場の上、壁一面に飾られた巨大なキャンバスには、翼を生やした美しい女性、女神レイ=アザディスの姿が描かれていた。
「お帰りなさいませ、シュバイツァー様」
突然現れた男はスラリとした体躯を折り曲げ一礼をすると、その切れ長で碧眼の瞳を黒髪から覗かせる。
初めて見る男だが何故私の名前を?
そして暫くすると思い出す。この不思議な男の事を。
男がお決まりの台詞を述べるのを、了承の意味を込めて頷く事により制する。
すると男はニヤリと笑みを作り、再度身体を折ってお辞儀をし、「ありがとうございます」と礼を述べた。
名前を聞いてもこの館の執事であるとしか名乗らないこの男は、奇妙な格好をしていた。
執事曰く、千里眼の魔王がいる場所とは、また別の世界にあるという動く絵、アニメと言う奴の影響だそうで、手には真っ白な手袋、同じく白のシャツに黒く長いネクタイと言う布を首から下げ、必要過多のボタンがあしらわれた上下共に黒に染められた燕尾服と言う衣に身を包んでいる。
またこの館から出ると彼の記憶だけに靄がかかるのだそうだ。
執事に何故そんな事をするのかと問うと、そのほうが都合が良いとだけ教えてくれた。
二人は二階に上がると目的の部屋を目指し、魔法の光源が心許なく照らし出す暗く長い廊下を進んで行く。
「シュバイツァー様、大切な事なので再度述べさせて頂きますが、睡眠はしっかりと取られた方がよろしいかと」
「この間調べた快眠法が、全く効かなかったのだよ」
「そうでしたか、それは残念ですね」
執事はさほど残念そうでない表情でさらりと述べた。
「そうじゃ、次回から私の助手を同行させる事になると思うのじゃが、構わないじゃろ?」
「それはそれは」
執事は笑顔を作ると続ける。
「三百年間来客者が途絶えていましたので、その御方に出会える事は私にとっては嬉しいばかりです。ただし例外は認められませんので、皆様方と同じように質問はさせて頂きますが」
執事は口元に人差し指を当てるとウインクを一つする。
「『ここにある知識と交換に、あなた様の記憶を頂きます』と」
ども、作者です。
皆様ここまでお付き合い下さり誠にありがとうございました。お陰様でこの作品の前半部分をなんとか書き上げる事が出来ました。
後半は四年後の世界が舞台になりまして、物語も核心部分に迫っていきます。
主視点はミケとパラティンに変更されますが、途中でシグナ視点も入る予定です。
あと4月いっぱいは今まで書いた部分の修正加筆作業と、後半のストーリーの確認などをおこなって、出来たら5月から5章をスタートさせたいと思っていますので、良ければまたお付き合い頂ければ幸いです。




