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生還者

 黒衣の女は右手をダラリと下ろし、私を中心に時計回りに歩き始めると、段々とその速度を早めていく。


 中々に早い足運び、かなり身軽のようだ。そして右手に持つ針は、投擲用の武器であろう。

 この手の相手は武器を交える事を嫌い、隙を突いた攻撃を仕掛けてくる。

 迂闊な攻撃は相手の好機となるため、こちらも下手に手が出せない。

 しかも左手が上がらなくなってしまっており、右手も固定しているとはいえ指三本のみの握力であるため、出来て右肩に乗せた大剣を振り下ろすぐらいである。

 したがって連撃も出来そうにない。


 と相手が思ってくれていれば良いのだが。

 こちらが仕掛けるタイミングは相手が投擲武器を投げた後だ。そしてこちらが狙って動いている事を悟らせないために、こちらが耐えきれずに攻撃をしてしまったと思わせるのだ。


 遠くから人の悲鳴がちらほら聞こえる中で、互いに相手の出方を伺っていたが、均衡はすぐに崩れた。

 黒衣の女が下から撫でるようにして振り上げた右手から、無数の針が飛んでくる。

 しかし私は攻撃のために防御を完全に捨てていたため、左肩を前にする事により半身になりその状態で一気に間合いを縮める。

 右肩に乗せていた大剣を左肩に乗せ変え頭部だけを守ると、左腕に何本も針が突き刺さる中、大剣を一気に振り下ろす。

 それを引き気味だった黒衣の女は後方に飛んで躱すと、空を斬った大剣が地面に衝突すると同時にこちらに詰め寄って来た。

 しかしその動きは私の思惑通りであった。大剣をそのまま振り下ろすのではなく、地面に当たる直前に刃を90度程回転させ地と刃先が水平になるようにしていた。

 そして下から押し上げやすくしていたその大剣を、深く踏み出す右脚の膝で押し上げ、腰まで水平に上がったところで全身のありとあらゆる、出来うる限りの力を込め突きを繰り出した。

 黒衣の女は目を見開く、そしてそこへ正確に併せるようにして左手を突き出した。

 次の瞬間、腕に過度の負担がかかり出す。

 大剣が強烈な見えない力により音を立ててへし曲げられ、ついにはそれに耐えきれずに先端から折れていく。そして布でギチギチに固定していた腕が、その威力に飲まれてしまい、時計回りに拗られていく。

 右腕に激痛が走る中、その力に負けた腕が、関節の部分を中心に何度も回転していき、骨が飛び出しても止まらず肉が引きちぎれる寸前にまでズタボロになってしまった。


 黒衣の女の口が大きく歪む。

 そしてその左手を私の胸に翳した瞬間、不用意に私に近付き過ぎた黒衣の女の顔面に、私が放った左膝蹴りが突き刺さた。

 顔面を大きく潰された黒衣の女は、空中に綺麗な弧を描いた後地面に落ちる。


 私もどうやら、やられてしまったようだ。

 意識が途切れそうになり思わずその場に両膝を着いてしまい、むせ返って口から多量の血を吐き出してしまうが、ダラリと垂れ下がる腕では抑える事が出来ない。

 視線を落とせば鮮血を流す胸からは肋骨が何本か突き出てしまっており、そこに見える臓器や血管もズタズタに破壊されているようだ。


『ガサッ』


 その音に釣られて視線を上げると、立ち上がりかけている黒衣の女の姿があった。

 顔を抑えながら、指の間から光彩の無い瞳がこちらを覗いている。

 そして、突然黒衣の女が勢いよく顔を左に向けた。


「ああっ、がっがはっ!」


 ……何をしているのだ?

 黒衣の女は左を向いたまま咳き込み、そのあと両手で頭を掴んでいる。

 そしてジリジリと首が動いていき、完全に後ろを向いたかと思うと、そこからはネジを回すように顔が何回も反時計回りに回転した。それが止まった時には、首はよじれてしまい頭が折れるようにして胸の前に倒れた。


 恐らく魔法、魔宝石の力を解放している状態で意識が一瞬でも飛んでしまったため、解除魔法が暴発したような状態になり自身で攻撃を受けてしまったのであろう。


 その時、不思議な光景が目に飛び込む。

 黒衣の女の姿に死者の姿が重なったかと思うと、背後に立ったその透明な死者は黒衣の女の背中に手を伸ばす。

 そして体から白い人間の形をした物を引きずり出すと、透明な死者と白い人間の形をした物が空気に溶け、次の瞬間視界が大きく揺らいだ後、辺りを包んでいた闇が消え去った。

 久々に顔を見せた景色は、雨が降り注いでおり、あっという間に体を湿らしていく。


 こっちの世界は雨が降っていたのか。

 私は再度血を吐き出し、今更ながらにずっと呼吸が出来ていなかった事に気がつく。


 ……私も終わりか。

 バシャッっと水溜りに突っ伏した私は、体温を奪われながら今までの人生を振り返る。


 今までで正義の名の下に多くの者達の命を奪った。その償いには到底及ばないが、何かに縋るような気持ちでこれまで多くの人助けを行ってきた。

 私は決して皆が思うような尊敬に値する人間ではない。

 またが死ぬ事に関しては、私は後悔などない。

 いつ死んでも構わないように、思い残す事なく自身が信じた道を突き進み、命が続く限りにはと死に物狂いで生きてきたのだから。

 ただ、最後の最後で皆には迷惑を掛けてしまった。


 シグナ、酷い上司ですまない。

 エレーシア、駄目な夫ですまなかった。

 そして、……ありがとう。


『パシャ、パシャ』


 こちらに歩み寄る指揮官の姿が見えたところで、私の意識は完全に途切れた。


「手間取らせやがって」


 冷たい言葉を吐き捨てると、指揮官は握る剣でカザンの背中越しに心臓を貫いた。

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