将軍蜥蜴
『ドン!』
地面が再度低い音を立てる。
そしてあっという間に、地を蹴った将軍蜥蜴の姿が視界の殆どを占めるまでの接近をシグナは許してしまった。
勢いのままコンパクトに、そして力強く振り下ろされる肉厚片手剣。
これほど迷いのない脳筋の太刀筋を魔竜長剣でまともに受け止めれば力負けするだけでなく、武器に傷が付いてしまうかもしれない。
シグナは殴打面で剣を衝突させると同時に、握りに僅かな遊びを作り力を分散させる。
そして後方に重心を持っていき逃げるようにして後ろへ飛んだ。
それが幸いした。
奴は振り下ろす流れのまま、剣を握っている右側の肩を力の限りに押し出してきたのだ。
ショルダーチャージがシグナの顔面すれすれまで迫り、その威力を物語る風圧だけがシグナの肌をぐっと押す。
危なかっーーうわっ!
躱せたのは良かったが脚を滑らせてしまった。
いたっ、いたっ、ーーそのため現在急斜面を背中から転がっています。
転がりながらもなんとか片手を付き体勢を立て直したが、その姿に目が釘付けとなる。奴は急斜面など御構い無しに猪突猛進、シグナ目掛けて追ってきていたのだ。
奴の突進は急斜面を進む分先程に比べて遅いがこちらも足場が悪い。将軍蜥蜴の上からの振り下ろしを、細心の注意を払って僅かに後ろへ飛んで躱す。
シグナの前を拳一つ分だけ空けて過ぎ行く肉厚片手剣。
そして着地した場所はまだシグナの剣の間合いの中。
脚を踏み締める!
そして風を解放する事により剣速と威力を高めた攻撃を、武器の長さを活かし奴の間合いの外で右から左へと振りきった。
それにより奴の腹部を斬り裂く筈だった攻撃は、奴の左手に握られた丸盾に阻まれてしまった。しかしこの足場が悪い斜面では踏ん張りが効かなかった様でふらついている。そこへシグナが回し飛び蹴りを食らわせる事により、今度は将軍蜥蜴が隆起している斜面を転がり出した。
蜥蜴人間は冒険物によくやられ役として登場するが、この将軍蜥蜴はその物語を締めくくる親玉として幾つかの作品にも登場する生半可ではない化物である。
先程こいつの姿を確認した時、なぜこいつがこんな所まで出張っているのかと言う疑問が頭をよぎったが、もう一つの考えがその考えを覆い尽くした。
こいつは蜥蜴人間の頂点に君臨するだけあって、その巣にいる同族を顎で使う存在である。よって今のシグナ達の状態は、相当数の蜥蜴人間に囲まれていと考えて間違いない。
シグナは先程から目の前の将軍蜥蜴と戦いながらも、周囲の警戒を怠る事はしていない。
ドリルには悪いことをしてしまった。斜面を転がりすぎてここからでは確認出来ないが、恐らく蜥蜴人間達に襲われているはずだ。カザンがいるから怪我をする事はないだろうが、恐ろしい思いをする事には違いない。
駆け上がって来た将軍蜥蜴と剣を交えながらも防御に徹し間合いを詰められないようにバックステップを繰り返す。
このように囲まれてしまった際は、倒すのに時間が掛かる相手は後回しにして、邪魔な奴や力量の劣るものから倒すに限る。
……。
…………。
変だ。伏兵はもちろん、他に斬りかかってくる蜥蜴人間の姿も見当たらない。
風を解放して一気に駆け上がると、カザン達を探す。
いた!
しかしカザン達の方を見るが戦っている様子はなく、警戒しながら増援がいないのか周囲を探索している最中のようだ。
敵はこいつだけなのか?
それなら周りに割いていた注意の度合いを下げ、将軍蜥蜴に集中出来るのだが。
もう将軍蜥蜴が追いついて来たか。
そして奴の竜巻の様な連続攻撃が始まる。
右腕の剣で上からの斬りつけ、流れるように出された尻尾での足払い、返す刃で左からの横薙ぎ、噛み付き、再度上からの斬りつけ、をシグナは全て後方に飛びながら躱していく。
続けて斜面に密集して生えた大木と、斜面へと伸びる根によって作り出された僅かな平坦な部分まで行くと魔竜長剣を構える。
奴は盾を持っている。
焦るな、盾が届かないところから、外堀から切り崩していくんだ。
馬鹿の一つ覚えの様に将軍蜥蜴が初撃となる振り下ろし攻撃の為のモーションに入る。
まぁ実際今まではそれだけで、全ての敵対する者を倒してきたのだろうが……。
今回は残念だったな!
振り下ろされる肉厚片手剣を風を解放し、紙一重で左に躱す。
そして魔竜長剣を右から左下へと振る。
割って入ろうとするが、丸盾は届かない。
シグナの振り抜いた斬撃面が、将軍蜥蜴の右脚の膝から下を斬り飛ばす。
バランスを崩し右膝を着く形になる将軍蜥蜴はそれでも攻撃しようと身構えるがーーその動きは後方に降り立った大きな影、カザンにより強制的に停止へと追い込まれる。
ヌッとこちらへ向かい姿を現した見覚えがある大剣は、将軍蜥蜴の太い首を後ろから切断、そして切り離された頭と体は各々斜面を転がり落ちて行った。
◆ ◆ ◆
その後再度、蜥蜴人間達が近くにいない事を確認したシグナ達は、パッカラ達を括り付けていた場所まで戻って来ていた。
カザンは念のため、明日ヤードさん立会いの下もう一度この山を訪れるそうだが、シグナはカザンの計らいで、一足先に王都へ帰ることが決定した。
祭りの最終日、花火に間に合うようにと。
そして帰路のため、パッカラの縄を外している最中、ドリルから声を掛けられる。
「あの、急がれているのでしたら、途中足場が不安定なところを通らないといけませんけど、こちらの方が近道です!」
ドリルは来た道とは別の方向を指し示す。
「レギザイール方面だと、たしか来た道と比べて三時間は短縮出来たかと!」
一生懸命になって教えてくれるドリル。
「しかし案内して貰ってもいいのか? ドリルが遠回りになるんじゃないのか?」
「大丈夫です! 僕もその道を通った方がドの町に早く帰れますので!」
既に準備が終わっていたカザンが、パッカラに跨りシグナの前まで来る。
「それならばここでお別れだな」
「そうなるね」
「シャルル君に会ったら宜しく伝えておいてくれ」
「あぁ、わかった」
「元気でな」
「カザンもな、それじゃ、また」
「任務で近くになったら、酒でも飲もう」
カザンはそう言うと、来た時と同じ獣道へと消えていった。
「さて、俺たちも行くか」
「はい!」
◆ ◆ ◆
それから1時間後。
街道に出ていたシグナとドリルはパッカラから降り、向かい合うようにして立っている。
「ドリル、世話になったな」
「いえ、とんでもないです。色々と勉強をさせて頂きました」
頭を深々と下げるドリルの姿を見ていると、人生の先輩として何か出来る事がないかと考え、そして至る。
この少年がこれからも清く正しく真っ直ぐに生き、また未来に向かって迷いなく進めるよう、言葉を紡ぐ事を。
「ところでドリル、歳はいくつなんだ?」
「12です」
「そうか、そしたらレギザイールの軍に入るなら4年後というわけで、時期も丁度いいな」
まだ言葉の真意がわからないでいるドリルは小首を傾げてみせる。
「大陸剣闘士大会に入賞出来れば、他国民でもレギザイール軍の入隊試験を受ける事が許される。もしその気があるのなら、俺は軍で待っているぞ!」
そうしてドリルに向かい手を差し伸べる。
目を見開くドリルであったが、僅かに開いていた口が次第に大きくなる。
「はっ、はい! いつかお兄ちゃんみたいに強く、ーー格好良くなれるように、頑張ります!」
ドリルは両手を使ってシグナの手を握り返した。
それからシグナはパッカラに跨り、レギザイール王都へと向かい街道を走り出すのだが、ドリルはその姿が見えなくなるまで、ずっとずっと手を振り続けるのであった。




