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流浪人

 影は人の形を成しており、目を凝らすとそれが1本の剣を帯びた剣士である事がわかった。そして陽の光のため明と暗がハッキリと別れ、彫りの深い顔がより一層深く見え、また皺が何本も刻まれていた。

 初老の剣士か。


 しかし遠くの山間から夕陽が差し込み逆光であったとは言え、今の今までこの剣士の存在に気づかなかったとは。


 その初老の剣士は、白髪混じりの黒い頭髪を全て後頭部付近で一括りに縄で縛っており、頭から爪先まで重い甲冑の類は一切付けておらず、逆に腕の可動域が広がるよう裾が広い衣服を身につけ、腰紐に一本の長剣を帯びている。


「こんなところで、会えるとはな」


 初老の剣士は感情の起伏を見せず、細めた眼でカザンを見据えながら淡々と語りかけた。


「あなたはーー」


 カザンの漏らした言葉、そこでシグナも気がつく。

 雰囲気が、その佇まいが、記憶の中の男とまるで変わってしまっていたため、気付くのが遅れてしまったが、確かに2年前、この初老の剣士と出会っていた。


 シグナが特務部隊に配属が決まり、カザンと各地を転々と旅をするようになって間もない頃、どこか人を嘲笑う感じが滲み出ている一人の流浪人が現れた。

 その流浪人はカザンに決闘を挑むも、力の差は歴然で完膚なきまでに打ちのめされた。

 そして負けた悔しさからか、その場を微動だにせずただ蹲り、握り締めた拳を地面に宛てがっていた光景を思い出す。


「またお主に会うため、旅に出たところであったのだが、……これも運命か」


 物静かに苦笑を浮かべる流浪人は、カザンの大剣の間合いから、人1人分の距離が離れた場所まで来ると立ち止まる。


 これは、……この空気は。


 その場には、今から生死を掛けて闘う者が放つ、見ているこちらが思わず手に汗をかいてしまいそうになる、独特の薄ら寒い冷たさが充満し始めていた。


「シグナ、頼む」


 カザンはシグナにパッカラの手綱を預けると、鞍から飛び降り流浪人の正面へ降り立つ。


 2人から異様な雰囲気を感じ取ったのか、パッカラ達が嘶きを上げ落ち着きを失いかける。

 シグナは手綱を強く引くことで、それを治める。


「……闘いは避けられないか?」

「あぁ、無理な相談だ」


 すると、カザンは一度視線を外し後方のシグナへ向き直る。


「シグナ、もし私が破れても絶対に仇を討とうとはするな」


 ……それって、カザンが負けるかもって事?

 この流浪人、それ程までの使い手、になっているのか?

 正面に向き直ったカザンが、流浪人にも問いかける。


「そちらもそれで宜しいかな?」

「……そこの若造が、下手に動かなければな」


 そして流浪人は続ける。


「カザン、お主はわしに様々な物をくれた。敗北、屈辱、憎しみ、そしてお主のその強さに憧れ、またそれを恥と感じる心。

 今までの道のりが全て否定されたように感じたわしは、心の中がぐしゃぐしゃに歪み、地に足が着かない状態で、頭の中はまるで呪縛のようにそのことだけしか考えられなくなり、苦しみに苦しみ続けた。

 そして敗者を生かしたお主を恨むと同時に、その生を甘んじて受け入れている自身に、失望した。

 あの時のわしは、完全に生きる気力を失ってしまっていた。しかし心臓の鼓動だけがしっかりと、静寂であればある程、強く、そして強く刻んでいく。

 それからどうしてそうなったのか、気が付けば先に述べた全ての感情、事実を受け入れている自分がいた。

 ついさっきまで生きる気力がなかった事が幻のような錯覚にさえ思えるほどの清々しい、晴れやかな気持ち。

 今にして思えばなんて事はない。初めから負けた事実を受け入れてしまえば良かったのだ。そうすれば、その後には落ち着いた心が待っている。敗れた時の感情すら愛おしく思えるほどの。

 そしてわしは、この境地に至る事が出来た。今わしの中にあるのは、この改めて鍛え直した剣が、お主にどう映るのか。……ただそれだけが知りたいのだ」


 流浪人は、まるで旧知の友人に出会い、昔を懐かしむようにカザンへと語り続けると、最後に微かにだが笑みを見せた。


「……わかった」


 カザンの口から静かに漏れ出たその言葉は、しかし離れたシグナの耳朶まではっきりと届く。


「お喋りがすぎたか」


 剣の刀身を鞘に入れたまま腰を落とし、右手は柄を、左手は鞘に充てがい、そっと握る流浪人。

 そして言う。


「殺りあおう」と。

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