2.目覚めたら異世界に転移してました
湖へ沈みゆく夕日を眺め、ゆっくりとコーヒーを飲む。
プラスチックのカップからあがる湯気をくゆらせると、コーヒーの香りが心地よい。
酷く多忙なIT系企業に勤める俺、長船新は超奇跡的にもらえた有給を活用しキャンプに来ていた。
「美しい。こういった時間を過ごすために生きているといっても過言ではない」
気障ったらしいセリフも平気で呟けるほどの景色といえばどれほど素晴らしい景色か分かってもらえるだろうか。
心配せずとも近くには人っ子一人いない。この素晴らしい景色が俺だけのもの! 素晴らしい、素晴らしいぞ。
一点注意しなきゃならないことは、イノシシやサルに注意の看板があったりすることくらいだ。それでも、広場には現れることなんて滅多にない。出たとしても広間は見通しがいいし、刺激しないように車に乗り込めばよいだけだ。幸いこの辺りはクマの出没はないようだから。
悦に浸っていると、ひゅうとやわらかな風が頬を撫でる。
「はっくしゅん!」
ごめん、嘘をついた。やわらかな風じゃなく、木枯らしだったよ。
肌寒い……いや、寒い。季節外れなキャンプ場だから誰もいなかったんだよね。
キャンプ用の広場でポップアップテントを張っているのは俺一人である。
「寒い時はこれだぜ」
支えになる金具を開いて円形のお椀のようになった焚き火台を乗せて、その上から薪を置く。
着火剤をいくつか仕込み、バーナーで炙るとあっという間に火が付いた。バーナーはカセットガス式と言われるもので、ガス管に取り付けることで高温の火が出る仕組みだ。
ガス管を取り換えることでずっと使い続けることができるのでお得なのである。お菓子作りとかにも使えたりする優れものなんだぜ。
「ふうう」
薪のはじけるぱちぱちとした音と、焚き火の熱気で暖かくなってきた。
休みの日に軽自動車をレンタルして、釣りができるキャンプ場へ行き、こうして一人の時間を過ごすことが俺の趣味なんだ。
仕事の時と違って心地よい疲労感とゆったりとした時間を堪能できるキャンプは俺にとって最も楽しいひと時である。
今回チョイスしたのは以前「よい穴場スポットはないかなあ」とドライブしていたところたまたま発見したキャンプ場だ。設備はトイレと洗い場くらいしかないからか、知る人ぞ知るといった感じになっている。しかし、山間部にある湖のほとりにあり、とても景色がよいんだよね。
今日は早めに就寝して、太陽が出る前に釣りをしよう。
「の、前に腹を満たさなきゃな」
んー、と伸びをして組み立て式のキャンプ用椅子から立ち上がる。
さてさて、腹を満たすといってもバーベキューコンロを出すのは大がかり過ぎるだろ。ベーコンブロックに鉄串を通し、焚き火台の淵へ斜めに鉄串を固定する。
じりじりと焼けるベーコンブロックを見守りつつ、頃合いを見て向きを変えた。じわじわと焼けてくる肉の香ばしい匂いがたまらんね。
バーナーで炙ることもできるのだが、それだと情緒がないってもんだ。こうして焚き火でベーコンブロックを焼くのがいいんだよ。
いい感じに焼けたベーコンブロックをトングで挟みそのまま齧って、悦に浸る。
「ふああ」
食べたら眠くなってきたよ。
くるくると巻いて留めたままにしていたポップアップテントの入口シートの留め具を外す。このポップアップテントは今回のキャンプのために新調した三十秒で組み立て完了になるという触れ込みのポップアップテントだ。中で六人寝ることができる大型のものであるが、放り投げて形を整え四隅に固定のためのペグを打ち込むだけで組み立てることができる。
ポップアップテントへ入り、寝袋に潜り込むとすぐに意識が遠くなった。
「んー」
早く寝たので早く目覚める。これぞ、自然の摂理だよな。
なんてくだらないことを考えつつ、片側のシートを開けっ放しにしていたポップアップテントの網戸越しの窓からはまだ光は差し込んできておらず、外がまだ暗いことが分かる。
うっし、想定通り、夜明け前から釣りができそうだぞ。
「コーヒーでも飲むか」
外に出ようとポップアップテントの紐を引っ張って布をあげ……ん、ゴミでも引っかかっているのかな? 外から中にゴミが入って来ることはないはずなんだけどなあ……。扉のシートを開く時に引っかけたのかもしれない。
不可解な気持ちながらも欠伸をしつつ外に出る。
他に利用客がいないと広いなあ。季節外れのキャンプもよいものだ。人の多い夏場は夏場で楽しいのだけどね。
ん、あれ、あれれ。
「俺の車がない」
よくよく見ると広場は広場でも景色が違うぞ。
まず、湖がない。湖が歩いてどこかに行くなんてことは確認するまでもなく有り得ない事象だ。
そして、キャンプ用の広場……といえば広場なのだが、トイレ用の小屋もなくなっている。藪もなんかこううっそうとし過ぎてないか?
ガサガサ。
藪が動き心臓が高鳴る。サルはともかく、イノシシとかだったらどうしよう?
「……」
やばいやばいやばい。身の危険を感じた俺は急ぎポップアップテントの中へ入る。もしイノシシが突進してきたら、ポップアップテントなんてひとたまりもないよなあ……車があれば楽々難を逃れることができるってのに。
しかし、そのまま外にいるよりはマシだろ。
朝起きたら外の風景が変わっていた。信じられない事象にまだ頭がついていっていない。
どうすりゃいいんだよ、この状況! 頭を抱えるも急な浮遊感に悲鳴をあげる。
「うお」
床に落としたゴミに足を滑らせそれはもう漫画で見るような勢いですてんと転んでしまった。
「いてて」
誰だよ。こんなところにゴミを捨てたのは。
……もちろん俺だよ。ポップアップテントから出る時に挟まっていたゴミが床に落ち、足を滑らせた。因果応報とはまさにこのこと。ゴミはゴミ箱に入れましょう。
次々に起こるアクシデントに変なテンションになってきてるぞ。
どうやらゴミは広告のビラのようなものだったらしい。全くもう、ポップアップテントの構造からして俺が寝ている間に扉口からビラを差し込んだ、くらいしかビラが中に入ることってないと思うのだよなあ。俺が持ち込んだのかとも思ったけど……どれどれ、俺を見事に転ばせたどビラはどんな内容が書かれているんだ?
「ベースキャンプ」
声に出してよんでしまったものの、ビラに書かれていたのはそれだけだった。なんだこれ? ビラをはみ出そうな勢いで大きな文字で書かれているのだが、これじゃあ広告の意味をなさないな。
俺の字でもないから、誰かのメモ? う、うーん。誰かのメモが俺のポップアップテントの扉に挟まっていたとか意味が分からない。
ん? 視界にゲームでみるコマンドのような画面が映っている。画面はホログラムのようで宙に浮かんでいた。
「何、何が起こった!?」
俺の目がおかしくなったのだろうか? 幻覚? いやいや、はっきりと文字が見えることから、考え辛い。
宙に浮かぶコマンドに書かれていることは――。
『メニュー
名前を登録してください』
メニューときたか。これ、ゲームか何かのコマンドにしか見えないぞ。
しかし、メニューが一つしかないとは、それなら最初から名前を登録してください、と表示すりゃよかったんじゃないのか。
「どうすりゃいいこれ?」
あまりグダグダしている時間はない。さっき外で聞こえた茂みの奥のガサガサした音に嫌な予感がしていたから……。
ひょっとしたらこの事態を打開できる何かかもしれない。
「ええい、やらないより、やって後悔すべし」
指でスマートフォンを操作するようにタッチする仕草をしてみたら動きがあった。
『所有者 長船新で登録しました』
「うおお、触れただけで俺の名前が入るとは一体なんなんだよ!」
俺は決して名前を入力していないぞ。タッチの仕草をしだだけだ。なのに俺の名前が表示されるとは……どんな仕組みか分からないけどちょっと怖い。
コマンド画面は名前の登録が済んだからか、再びメニューと表示された。
「ぶるるるる」
「な、なんだ!?」
メニューに何が表示されているのだろうと確認しようとしたところ、外からの声にびくううっと肩があがる。
うわあ、こいつはイノシシだよ! 決してサルの鳴き声じゃあない。いや、イノシシで確定というわけじゃないのだが、サルかイノシシが出ると聞いていたから、サルじゃなきゃイノシシかなあって。
ドドドドドドと走る音が聞こえた気がした。次の瞬間、鳴き声が!
プギイイイ!
そして、別の音が鳴り響く。
ドシイイイイン!
「うわああ!」
外にいる獣(仮)がポップアップテントに体当たりをしてきやがった!
ポップアップテントが破られるか傾くかを覚悟し身を固くしていたが、予想に反しびくともしていない。ポップアップテントの壁がしなった様子さえなかった。
ポップアップテントに硬い部分ってあったかな? 支柱はそれなりに硬いかもしれないが、持ち運びを重視したポップアップタイプのポップアップテントだし、イノシシのアタックを受けたら支柱が折れないにしても地面に刺さったペグごと持っていかれポップアップテントが浮き上がりそうだ。
幸運、いや超幸運にも無事にやり過ごしたと考えるのが自然だよな。
二度目はない。
一方で獣(仮)はたまたまポップアップテントに弾かれただけでまだまだ元気一杯だろう。一回失敗したことで諦めてくれればいいが、期待は薄い。
しかし、待てども二度目のアタックがない。
「諦めてくれたのか……?」
外の様子を確かめ対応策を打ちたいところだが、ポップアップテントの近くで待ち構えているかもしれない、と思うと外に出る気にはなれなかった。
そこで俺が取った動きは、網戸のジッパーを開きポップアップテントの窓から外の様子を眺めること。
身を乗り出せば窓から顔を出すこともできるから。
「え……?」
さっそく網戸をあけ膝立ちになり、おそるおそる窓から顔を出す。
ポップアップテントに突撃してきた犯人は窓の近くにいた。なので、犯人の様子は窓からよく見える。
犯人は予想通り獣であった。獣はイノシシだと思う。大型犬ほどの茶色いあいつが体当たりをしてきたら、普通ポップアップテントなんて一たまりもないよな。
背筋がぞっとするものの、超幸運に心の中で感謝する。
普段から一日一善を心がけているせいか、運を引き寄せたのかも。これからも、精進していかねば。
さて、ポップアップテントに突撃してきたイノシシであるが、俺が出て来るのを待ち構えて寝そべっていた……のではなくひっくり返って気絶しているようだった。
あいつ、気が付いたらまたポップアップテントにアタックしてきそうだよな。
どうしたものか。逃げてくれるのが最善だが、次もポップアップテントが無事だとは限らない。
自然と俺の視線は体の半分ほどの長さがあるリュックへ……あれ、リュックがないぞ……。あの中には非常用食料をはじめ、鍋やナイフなどのキャンプ用品が詰め込まれている。
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