第7話
5月下旬。今日は土曜なのに登校日だ。
この時期は高校総体期間で特編授業になる。運動部の先輩達はほとんどが総体に行っていて学校にはいない。先生達も大会の引率に行っていていつもよりずいぶん少ない。
1年生は総体に出る生徒が少ないからだいたい学校に残ってるけど、それでもどのクラスも10人くらいは総体に行っているみたいだった。
俺の周りだと雛崎もいないし、彼方もいなかった。クラスは違うけど高山と颯人も総体に行っているはずだ。
今日は2時間で授業が終わるから、この後家に帰って何をしようかな、と考えていた1限目の休み時間に突然それは起こった。
「慎一ぃ~」
ん? アニメ声で俺の下の名前を呼ぶ声がする。
周囲を見てみるけど、誰が言ったのか分からない。
「慎一ぃ~。こっちだって~」
声の方を振り向くと、隣の席の玉木さんだった。
初めて話しかけられて、俺はちょっと動揺した。
あの、どんな男子に話しかけられても無視をしてきた玉木さんが、俺に?
「え、な、何?」
返答が思わずキョドる。だって、クラス内で玉木さんから男子に話しかけたのなんて見たことがなかったからだ。
「園山慎一ぃ~。夢乃とはどーゆー関係なの~?」
玉木さんは右手にスマホを持ったままこっちを見ていて、それはそれはうれしそうにニヤニヤしている。
明らかに、俺の反応を待って楽しんでいるよね。
しかし、何かと思ったらまたこれか。いろんな人に何度も説明してるんだけどな。
にしても、玉木さん俺のこといきなり名前呼び?
距離感の近さにちょっと驚いたけど、やっぱり玉木さんってめっちゃかわいいよな。
背が低めで、茶髪のツインテールにくりっとした目。お人形さんみたいだなっていつも思ってた。
それに、あまーいアニメ声。今も、聞いてるだけでぞくぞくしてるんだけど。
俺は周りから雛崎との関係について聞かれたときと同じように、なるべく冷静を装って答える。
「どういう関係って、雛崎とは中学からよく話す友達の一人だから。それ以上でもそれ以下でもないよ」
それを聞いた玉木さんはニタッと笑う。いたずら好きな子猫みたいでかわいい。
「ほんとに~。ほんとは好きなんじゃないの~。けっこーお似合いじゃ~ん」
なんでそう見えるんだろ。マジでそんなわけないからね。
「いやいやそんな訳ないって。それより、玉木さん彼氏いたよね? 今どうなの?」
玉木さんは俺の言葉を聞いて、更にうれしそうな、意地悪そうな表情になった。まるで、俺からその質問が来るのを待ち構えていたみたいだ。
「彼氏~? いつの話それ~? 今はいないよ~。あたしのことは愛瑠でいいから~」
え、今日話したばかりなのに下の名前で呼んでいいの? 愛瑠さんってすごく気さくだな。
ていうか、今なんかすごいこと言わなかったか。
「あ、愛瑠さん。別れたんだ彼氏と。2週間ぐらい前に一緒に帰ってなかった?」
確か、それぐらい前に愛瑠さんと男子が手をつないで下校してるのを見たんだよな。男はそんなにかっこいいって感じじゃなかったけど、いい人そうな顔してたな。
「あ~それは前の前の彼氏だよ~。高校入ってから4人目の彼氏~。もう忘れたけど~」
俺は思わず耳を疑った。
高校入って2ヶ月もたってないのに、もう5人と付き合って別れたってこと?
愛瑠さんはかわいいからモテるのは分かるけど、さすがにサイクルが早すぎじゃないか?
高校に入ってから彼氏5人目、という言葉に俺は思いっきり動揺していた。
「ご、5人目? へぇ~。け、結構早く付き合って別れてるんだね。何か理由あるの?」
噛み噛みになったけど、何とか理由を聞くことができた。
愛瑠さんは相変わらず、子猫のようにコロコロ笑っている。無邪気すぎて何か残酷なくらいに。
「だって~、あたしのことかわいいとか好きって言うから付き合ってあげたの~。みーんなドーテー~。ドーテーってかわいいじゃ~ん。でも、1回エッチするとすぐ飽きちゃうんだよね~」
はい? へ?
俺はマジで、言ってる意味が分からなかった。
今日初めて話した男に何て話してんのこの子?
と、とりあえず現状を確認するしかない。
「え! えっとつまり、言い寄ってくる男、その、童貞の男と付き合って、えっとその、エ、エッチしたら飽きるから捨てちゃうってこと?」
お互い小声だけど、ここ教室だぞ? 冷静に考えたらとんでもないこと言い合ってるよな。
俺の言葉を聞いた愛瑠さんが、突然自分の顔を俺の耳元にものすごく近づけてきた。これは、あまり人に聞かれたくないことを話す時の仕草、のはずだ。
てか近いって。めちゃくちゃいい匂いがするって。童貞には刺激強すぎるって!
愛瑠さんは口元を俺の耳元にほぼ重ねたまま、右手でツインテールの髪をくるくるしながら事もなげに、ささやくように言った。
「捨てるって人聞き悪いな~。ドーテー君はあたしみたいなかわいい子と付き合えてエッチもできて幸せでしょ~。あたしもドーテーかわいいから好きだし~、気持ちイイこと好きだし~。皆に幸せ分けてあげたらWin-Winじゃ~ん」
え、ま、まあそう言えなくもない、のかこれ? いや訳分からん。
愛瑠さんの話が本当だとしたら、愛瑠さんはいわゆるビッチ、てやつなのかな。
ていうか、何でいきなり俺にこんな話するんだ? 俺はもう、何が何だか分からない。
「えっと、俺たちって話したの今日が初めてだよね。な、何でそんな話するの?」
すると、愛瑠さんは俺の耳元から顔を離し、いたずらっぽくニヤっとしていきなり俺の顔の正面に顔を最接近させてきた。
気づいたら、愛瑠さんの顔と唇が俺の唇の目の前にある。
いやマジで近いって。唇触れちゃいそうだって。童貞には無理ゲーだって!
愛瑠さんが超目の前でASMRみたいに甘ーくささやいてくる。
「慎一ってぇ~、夢乃と付き合ってないんでしょ~。だったら~、私とかどう~? かわいいでしょ私~。どーせ、慎一もドーテーでしょ~。じゃあさ~、一緒に気持ちイイことしたいと思わな~い?」
いきなり頭をハンマーで殴られたような破壊力だった。
愛瑠さんの甘ったるいアニメ声でこんなことを言われたら、大抵の童貞は落ちちゃうよなこれ。現に、俺もうっかり落ちそうだったし。
もし俺が一言「YES」と言えば、きっとすぐにこんな美少女と付き合えるだろうし、その先には多分、童貞卒業が待っているんだろう。
俺は本気で誘惑に負けそうになる。
でも、俺は雛崎のお陰で知っているんだ。俺の周りにいる美少女は、俺のことを本気で好きになることなんてないって。
だから、何とか踏みとどまれた。
「えっと、ど、童貞とかはともかく、俺たち今日話したばかりだよね。確かに愛瑠さんはとびきりかわいいよ、それは間違いない。でも、だからってすぐ好きになるのは、ちょっと違うかなって」
それを聞いた愛瑠さんは俺から少し離れ、はっとしたように目を見開いた。そのまま、黙って俺の言葉を待っている。
「それに、そもそも俺って誰のことが好きなのか自分で分かってないんだよ。これから、もしかしたら愛瑠さんを好きになるかもしれないし、他の人かもしれないし。それはまだわからない。だから、今すぐ付き合うことはできないよ」
そう言うと、愛瑠さんの表情からそれまでの小悪魔な笑顔が消えて、普通の不機嫌そうな女子の顔になった。あれ俺なんか変なこと言ったっけ?
「へーそうなんだ。愛瑠振られちゃった。ドーテーのくせに生意気~」
最後の方はまた小悪魔な感じで茶化して言ってたけど、はじめはトーンが低かったな。もしかして、それが本来の愛瑠さんなんだろうか。
俺は、右拳を握りしめて勇気を出し、気になったことを愛瑠さんに聞いてみた。
「聞いていいかな。愛瑠さんが付き合ってすぐ別れてを繰り返している本当の理由。俺、ちょっと気になるんだけど」
素の表情を見てしまった以上、愛瑠さんの交際のしかたには何らかの意味があるとしか思えなかった。
すると、小悪魔ビッチな愛瑠さんはそこから消えてなくなり、表情がますます平坦になった。
愛瑠さんは俺から更に離れ、体をひねりながら目を右斜め上にそらして窓の外を見たまま言った。
「別に理由はないよ。あったとしても話す必要ないし。慎一には関係ないことだよ」
愛瑠さんの表情は、見えない。
何だか、触れちゃいけないことに触れてしまったのかな俺。
俺が黙って何も言えずにいると、愛瑠さんは再びこっちを向いた。また、元の小悪魔な笑顔に戻っている。
「ていうか~、さんはいらないから~。私のことは愛瑠って名前で呼んでね~。慎一を気に入ったのはホントだよ~。LANE交換しよ~」
こうして俺と愛瑠さん、今後は愛瑠って言うけど、俺と愛瑠はLANE交換した。
交換しながら、俺は頭がクラクラしていた。愛瑠が俺に言った話は、そういう経験のない俺には刺激的過ぎたからだ。
もし、俺があのとき付き合うって言ってたら多分付き合えていただろうし、いい思いもできたかもしれない。
けど、そういう関係はきっとその時だけのものだ。少なくとも俺は、初めて付き合う相手をそういう一時的な感情に任せて選びたくはなかった。
「分かったよ、愛瑠。これからよろしくな」
そう言うと、愛瑠は小悪魔ビッチな顔を更に楽しそうにしてニッと笑ってきた。
いろいろすごいこと言ってたけど、愛瑠って笑顔がかわいいんだよな。その笑顔の前では、何を言われても許してしまいそうな俺がいた。




