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「君、男女のミックスド・マッチ、やった事ないよね?」
「ええ、シングルでは一度も」
「最近はこの手の試合をする団体も増えてきたが」
「所詮、イロモノの試合形式ですから」
柄にも無くハイテンションで言う高野社長に対し、栄介は冷めた口調で呟いた。本音を言えば、引退試合は自身の集大成となるシビアな戦いをやってみたいと思う。
プロレスは相手の技をかわさず、如何に華麗に受けきって見せるか、そこが問われる非常に特殊な競技だ。
どんなに過激な攻防でも対応できる自信が栄介にはあり、それは過去の対戦相手からも高く評価されていた。
「蘭子さん、昔のタッグパートナーを呼んでハード・トレーニングをこなしたそうだね。それでも女子は相手不足?」
「いえ、現役時代のアイツには俺、一目も二目も置いてます。でも引退直前の腰は本当に酷かったし、今でも後遺症が残っているんですよ。あんなんで今更……」
客寄せパンダも無いだろ?
喉元まで出た言葉を、栄介は噛み殺した。
既に発表した興行をキャンセルする訳には行かず、切羽詰まった西関プロの窮状を蘭子は見かねたに違いない。
本音は嫌に決まってる。
だから、往年のムーブを一通り披露、ファンサービスを果たした後、栄介がフォール負けする段取りを考えていた。
その旨を彼女にも直接伝えていたのに……
「……もしかして、君、コレ、まだ観てないの?」
高野が差し出したスマホを一目見、栄介の眼が丸くなる。
「なぁ、ソコの奥さん、うざい旦那をブッ殺したくね?」
漆黒のコスチュームに身を包み、悪魔風メイクを施した巨体が、液晶画面の奥で吠えていた。
「あたしもさァ、23年一緒にいて、旦那にゃホトホト愛想が尽きてる」
リアルすぎる殺気を漲らせた顔は、現役時代さながらのハルマゲ蘭……栄介の妻に間違いない。
「鈍感ッちゅ~か、無神経っちゅ~か、あたしらが何にムカついてるか、バカ面下げて気付きもしねぇ」
トレードマークの木刀を肩へ担ぎ、右手に持つ大きなリンゴを一口齧って、蘭はギロリと目を光らせた。
こちらを睨まれた様で、栄介の背筋を寒気が走る。
「金曜日はクラッシャー真白の引退試合じゃねぇ。命日だ。積もり積もった長年の恨み、思い存分、味合わせてやらぁ!」
言うや否や、蘭はリンゴを一瞬で握りつぶした。現役時代、リングで良くやって見せたパフォーマンスだ。
更に木刀をカメラの方へ力一杯振り下し、衝撃音と共に画面は暗転した。
「どう? 客寄せパンダで済ます気持ち、奥さんには無さそうだよ」
唖然として声も無い栄介の肩を叩き、高野が楽しそうに笑う。
「でも……あいつ、今朝もいつもと同じ雰囲気だったんです。弁当だってホラ、いつも通り……」
不安に駆られ、ランチボックスを開いてみて栄介の眼がまた丸くなる。
見慣れた愛妻メニューの上、無残に握りつぶされたリンゴが一個、まるまる載っかっていた。
これは妻からの宣戦布告だ。能天気な栄介と言えど、もう悟らずにいられない。
ハルマゲ蘭の真意が何処にあるにせよ、彼女は本気で夫の引退試合をぶっ潰すつもりなのだ、と。
試合開始は午後5時だった。
他の小さな団体へ移籍が決まった者、プロレスから離れてしまう者……進路の異なる選手達が精一杯のパフォーマンスを見せ、会場は徐々にヒートアップしていく。
午後六時半を過ぎると、メインイベント目当ての客も増えて来た。
セミファイナルの時点で客席はほぼ埋まったが、そこで試合が荒れ始める。
メインと同様の男女混合。残留組の中では比較的知名度のある中堅二人がゲストの女子選手と組むタッグマッチである。
そのゲストの一人が火種となった。
ハルマゲ蘭と「終末シスターズ」を組み、長年相棒だったノストラ睦美が、尋常ならざる殺気をまとって入場する。
しかも、持ち込んで来たのは殺気だけではない。
「終末シスターズ」のオハコであるラダーマッチ(高い位置に吊られたアイテムを複数の選手で奪い合う試合形式)用のどでかい金属ハシゴを振り回し、自分のパートナー、レフェリーを含む四名を袋叩きにしたのだ。
僅か五分で試合は終了。本来なら睦美の反則負けになる所を、レフェリー不在の為、ノーコンテスト裁定となった。
後は本日のメインイベント・クラッシャー真白のラストマッチを残すのみである。
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次回、夫婦バトルのゴングが鳴ります。