第3話 境界の扉(ザ・ゲート)
乾いた風が、地表を撫でるように吹いていた
鉄と石で閉ざされた地下から、葵慧はようやく地上へと足を踏み出す
光が、強い
だがそれは眩しさではなく、ただ単に「人工光に慣れ切った眼」にとって異質だった
見上げた空は鈍い灰色で、青みは一切ない。雲は低く、空気は重い
(……空気密度が違う。酸素濃度が低い。高地か? それとも、この世界の構造上の問題か)
慧は無意識に呼吸を調整し、肺をなだめるようにゆっくりと吸い込む
周囲に広がるのは、岩肌の台地
緑はない。湿度も乏しい
見渡す限りの枯れた大地に、唯一“文明”らしきものは、前方に聳える監視塔だけだった
──木造。構造は粗雑。警戒は厳重
塔の麓には二人の男がいた。槍を持ち、顔を布で覆っている
慧は歩を進めた。後戻りはできないし、そもそも選択肢すらなかった
「……止まれ」
当然のように言語は理解できない
だが、男の声に含まれる低い威圧と、槍の構えが意味することは明確だった
慧は即座に両手を広げ、掌を見せた。
攻撃の意思がないことを示す、あくまで“共通のボディランゲージ”
すると、一人の男が何かを言いながら歩み寄り、慎重に慧の体を調べる
麻布の服。鉄棒は持っていない。武器なし
やがて男は頷き、背後の塔に向けて手を上げた
──そのとき、塔の上層から一人の若い女が現れた
まだ10代半ばか、慧と年齢が変わらないように見える
しかしその背筋は凛としており、目には明確な警戒と好奇心の光があった
「……セファル・トゥーン……グリ・カッタ?」
彼女の言葉もまた意味は取れない
だが、その響きと口調、指の動きから察するに──これは“確認”だ
(名乗れ、という意味だな)
慧は静かに、自分の胸を指差して言った
「ケイ・アオイ」
女はその言葉を数度、口の中で反芻した後、短く頷いた
「ケイ。アオイ。……ヨルグへ、連行する」
慧は理解した
どうやら“上”の存在に報告がなされたようだ
そしてこの場所は、ただの監視地点。彼を待つのは、さらに遠く、さらに深い“本拠”である
だが慧の頭は、すでにその先を考えていた
(逃げ道。距離。地形。衛兵の配置。……あとは、食料と水の管理)
この世界には、魔法がない
だからこそ、“戦”は戦術と理性の勝負だ
言葉は通じず、信用もされない
だが、慧はそれを「不利」とは捉えていなかった
むしろ、それこそが“最小の干渉で最大の情報を得る”機会だと理解していた
女は指を鳴らし、背後から荷馬車が一台引き出される
木製の車体に、鉄の格子。囚人を運ぶものだ
慧は一切表情を変えず、自らその中へ乗り込んだ
(俺を“檻”に入れたつもりか──違う。これは、俺が“檻”の中から見るための観測台だ)
車輪が軋む音が、荒れ地に響いた
空は依然として重く、乾いた風だけが未来の輪郭を曖昧に撫でていた
慧は、決して目を閉じなかった
観察する者を、観察する。その逆転だけが、彼の唯一の武器だった