野球帽の竿
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
こーらくん、どう? もう橋、渡れたかなあ? まだ途中とか、いじわるなことやらないでよ?
平気? ほんとに平気? 信用するからね……ふう、助かった。
どうも高所恐怖症の亜種というか、僕は橋を渡るのが、特に怖いんだよね。
いくら足を着けられるとはいっても、周りの景色はまぎれもなく高所のもの。突然、支えとなる足元が崩れて落ちたらどうしよう……そう思わせる怖さがある。
一説によると、高所恐怖症は目で見る景色と、自分の足が着いている感覚とのギャップから生まれるという。
普通なら見上げるべき位置にある山の頂、ビルの屋上などなどが、いざ自分の立つ位置と同じ高さにある。
それは本来、あり得ることではなく、脳が異常を感知してあれやこれやと神経を過敏に働かせてしまう。ときには高所から落ちるリスクの想像力にも力を割く。
結果、急激な体調不良や精神不安定を招き、恐怖症の症状を見せるのだとか。
しかし、火のない所に煙は立たぬ。
妄想にも思える想像力にさえ、源泉となるべきものがあるかもしれない。自分が覚えていようと、いまいとだ。
おそらく僕の高所恐怖症兼橋横断恐怖症の原因のひとつは、小さいころのできごとにあるんじゃないかと思っている。
橋も渡りきって落ち着いたし、そのときのこと耳に入れてみないかい?
まだ5歳くらいのころの僕は、さほど高所を怖がってはいなかった。
高いがけっぷちもなんのその。なんなら落下防止の柵を越えて、下をのぞきこもうとすること、しょっちゅうだった。
後ろから押すような悪意どころか、ヘタな風が吹いただけで、千尋の谷へまっさかさまだろう。助かる可能性は、決して高くはないはずだ。
それも無知によるところが大きいと思う。
何がどれほど危ない行為か、学ぶことができていない。だから、それを熟知した大人にとっては肝を冷やす行いも、平気でやってみせる。
怖いもの知らずゆえの恐ろしさ。仮に事故で命を落としてしまっても、その怖さを知る前に逝けるのだから、ある意味で幸せかもしれない。
周りの人の心配、心労を考えないのなら。
ゆえに、旅行先でつり橋を渡るときも一番乗り。先陣を切って、がたがた揺らしながら何メートルも先にある対岸まで渡ってしまう。
両親のゆったりとした歩みがいかにも遅くて待ち遠しく、「早く早く」と急かすように、まわりの旅行客の間を縫いながら、何気なく橋の近辺を見回してみる。
岸壁に渡されたつり橋の下は、大きくえぐれた入り江になっていた。
その時間は潮の満ちるころらしく、入り込む波は入り江深くまで立ち入って、奥の岩壁にぶつかって、大きく水をせり上げるほどの勢いを見せる。
波のしぶきも相応に飛び散る中、その入り江のへりのあたり。いくつか海中から突き出る岩の一角に、ぽつんと立つ人影があった。
赤い野球帽をかぶった、中年くらいの男性だったか。救命胴衣によく似たデザインのジャケットを羽織り、手に持つのは長い長い竿。旗でも作るのかと思う、人の身長の何倍もあるものだった。
釣りをする人かな、と僕はそっとその人を見やる。向こうはこちらに気づいていない様子で、顔を向けることなく竿を大きく振りかぶった。
振り下ろした、と思ったが、その投げ出した先端を見やっても、うきのたぐいが着いている様子はない。
「ん?」と思う前に、その人は竿をあっさり引いてしまい、また振りかぶる動作へうつる。
釣りで投げ込むポイントが悪かったのだろうか? いや、それにしては目の前で二回、三回、四回と竿を振っては戻していく。
いくら何でもミスしすぎだろう。あるいは度を超えた完璧主義者で、パーフェクトなものしか許さないとかか?
そんなことを思いつつも観察を進める僕は、やがてその竿の先には、糸さえついていないことを見て取った。
あの男は手に持った竿を、ぶんぶんと振り回しているだけなんだ。魚を釣ろうなど考えていないのだから、すぐに竿を引っ込めるような動作をするわけだよ。
なおも、男は動きを止めず、何度も手にした竿を振る。まさか子供のように、振り回す遊びだけで心満たされ、夢中になっているわけじゃないだろう。
いったい何が……僕は視覚以外の五感にも集中力を回してみる。
それはつり橋の揺れる、きしみに混じっていた。
かすん……かすん……。
上を行く人の歩みとは別に響く音。それはつり橋を釣る金具よりも下。橋げたの裏から聞こえているような……。
まさか、と僕はいま一度、あの竿の男を見る。
彼は引き続き、竿を振っていた。
その常識外れに長大な竿を。しっかりと振るったなら、ずっと上にあるつり橋に届くやもしれない、その竿を。
それが頭を振ると、つり橋は一緒に「かすん」とつぶやく。
確かな接触の証。よく目を凝らせば、その竿の先端に黒ずみが見られるようになっていた。度重なる橋げたへのふれあいが、ああも色を変えて現れているんだ。
親がようやく渡りきり、合流したからそれ以降の観察はなしになる。
後の旅行の時間を楽しみながらも、僕の頭にはあの野球帽の男の姿が焼き付いていた。
ああも吊り橋に、手の込んだちょっかいをかけて、何をたくらんでいるのか、と。
そうして陽が暮れるころになって。
僕たちは地元まで戻ってきていた。数時間のドライブののち、たどり着いた家のごく近所の橋。ここを抜ければ自宅までは目と鼻の先……といったところ。
車の揺れで、途中はうとうとしていた僕だけど、ここに差しかかる少し前に目を覚ましている。
まだ完全には暗くなっていない景色、ぽつぽつと橋まわりに設置された電灯も明かりをつけ始め、ひょいと僕は眼下に横たわる川とその中州へ目を向けてみる。
いた。あの赤い野球帽をかぶり、長い竿を携えた男の姿が。
「うひっ」と声が出そうになるけど、いい具合にのどでつっかえて、なおさら変な音に。しゃっくりか何かかと、家族が変な顔でこちらを見てくる。
車での通過ゆえ、あの吊り橋のときほどじっくり観察できたわけじゃない。
けれども確かに野球帽の男は、持っている長い竿を大きく振りかぶったのち、しならせた。
車のエンジンがうなり、少しくらいの音など遮るガラスをも越えて、「かすん」とあの吊り橋の時も耳にした音が、僕の聴覚へ深く深く刻まれた。
翌日の新聞。
僕たちはあの旅行先で渡った吊り橋が、一部損傷し、しばらく通行禁止になった旨を知る。
起こった時間的に、僕たちがあの場を後にしてからさほど時間が経っていなかったようだ。
にわかには信じがたいが、僕は直感する。
あの野球帽の男の竿が、高くにある橋を壊してしまったんだと。
それを裏付けるかのように、昨日の帰りに渡った橋もまた道路の一部が損壊。修繕のためにしばらく通行止めとなってしまった。
聞いた話だと、ただ路面が傷つき、えぐれたというものじゃなく、真下の川へ破片が崩れ落ちて穴が開いてしまうような、奇妙なものだったらしい。
それから、僕は橋を渡るのを怖く思い始めた。警戒のしすぎなんだろう。いわずもがな、例の竿を持つ野球帽の男のことさ。
あのときは、僕がたまたま目にできる位置にいたから良かった。
でももし、橋の真下であれと同じようなことをされていたら、目じゃ気づけない。音にしても車内の誰かとくっちゃべっていたら、聞き逃してしまうだろう。
いつまた現れるか分からないあいつと、僕の行く先が交わってしまう……その瞬間が来るのが、恐ろしくて仕方ないのさ。