その30
「仕方のない人ですねぇ」
そう言って笑いながら、自分の胸に抱き着いていたつばさを、そっと引き離した。そうして、やさしく微笑みかけながら話し始めた。
「かつて、人間の娘とキューピッドが恋に落ち、結婚したことがあるそうです。――でも…、そうするためには、娘はとても厳しい三つの試練を乗り越えなければなりませんでした」
「試練?」
「もう、怖気づきましたか?」
「そんなことない! 私、何をすればいいの?」
「いいえ、それは昔の話です・・・。ですが……、これからぼくはオリュンポスへ戻って罰を受けなければなりません」
「罰?」
「はい。ですから、こちらの世界に戻って来るには三年はかかると思います。これは三つの試練ならぬ、三年の試練です…」
「三年…」
「もし、あなたが三年の間、ずっとぼくのことを忘れずに好きでいてくれたなら、その時はもう一度、二人は会うことができるかもしれません。でも、その間に、あなたがぼく以外の誰か他の人を好きになってしまったら、それきりです……」
「なんだ、そんなの簡単よ、私を信じて!!」
「ほんとうに? 今後あなたの周りには、とても素敵な男性がたくさん現れて、次々にあなたを誘惑するはずですよ」
「えっ? うそ…!!」
「ほんとうです。だって、これは試練ですから」
****
――気がつくと、つばさは自宅の自分の部屋のベッドに腰掛けて座っていた。
「えっ? あれ? クピトくん!? クピトくん!! どこ…?」
辺りを見廻し、いくら呼んでも返事はなかった。
思い出そうとしても、今日一日の記憶が完全に飛んでしまっていて、クピトと会って例の約束をしたこと以外、何も思い出せなかった。
と同時に、相沢竜と付き合い始めていたことも、きれいさっぱり忘れていた。それどころか、それ以降、校内で彼を見掛けると、訳もなく嫌悪感を抱くようになっていた。
そうしてつばさは、何か大切なものを失くしたように、心にぽっかり穴が開いたような気持で、時折浮かんでくるクピトの姿を思い浮かべては、胸を締めつけられるような、どうしようもない恋心を抱いた。
――もう一度、彼に逢いたい……
けれどもその後、どんなにつばさが彼に恋い焦がれても、二度と再び、クピトの姿を見ることはなかった。




