2話 疑惑/再会
◇◇◇
昼食を終えて部屋に戻り、いつも通りパソコンとスマホを眺めながら自堕落な生活を送っていた時、それは唐突に訪れた。
「お友達が来てるわよ」
コンコン、と控えめなノックと共に現れた母親の言葉に、私は驚きを隠せなかった。
「えっ、友達って―――」
私は浮足立つように急いで玄関まで向かう。
そこにいたのは、およそ一年ぶりに再開する親友とも呼ぶべき女の子だった。
「なっちゃん、久しぶり」
「うん。元気そうだね、憂妃」
憂妃―――そう呼びかける響きがもはや懐かしくて、我ながらつい感慨にふけってしまいそうになる。
久しぶりに見た彼女は黒髪をショートカットに整え、眼鏡を掛けていた。一年前とは違って随分と印象が変わっている。
鬱ノ宮夏姫、鷺森憂妃。
何を隠そう、私と彼女は一年前に起きた事件の当事者であり、あの時、あの場にいたのは私だけではなかったのだ。
「部屋、上がってく?」
「そうだね。お邪魔します」
当然、そのことは母親だって知っている。
お互い心身ともに受けた傷は酷いもので、だからこそこれまであえて直接会わないようにしてきたのだが―――
「それで……今日はどうしたの?」
彼女を部屋に招き入れた後、私は恐る恐る問いを投げかける。
すると、彼女はいつになく真剣な面向きで目を合わせてきた。
「一年前の事故のこと、覚えてる?」
「えっ……う、ううん。私はあんまり……」
やはりか、と心の中で思い至る。
あれから『夏姫』と『憂妃』としてのやり取りはなく、お互いに連絡すらまともに取り合わなかったのだ。二人の接点なんてそれぐらいしか思いつかない。
「何か思い出したりしなかった? なんでも良いの。何か手掛かりになるような情報が欲しくて」
「ど、どうしていきなり……?」
私が問いかけると、彼女は怪訝そうな表情をして黙り込んでしまった。
わざわざ家まできて話すことなのだ、相当大事な事柄に違いない。
「なっちゃんは記憶喪失になった……んだよね?」
「そうだね。だから当時のことは全然思い出せない」
そこで言葉が詰まる。
記憶を失うなんて相当のことだし、友達とはいえデリケートな問題に足を踏み入れるのは難しい。
それでも何かを知りたくてここまできたのは彼女なのだ。
ならば彼女が何を知りたがっているのか、それを明らかにしなければ―――そう思った矢先だった。
「リョウ、って知ってる?」
私はその名前を聞いて、思わず目を見開いた。
それはSNS上で『ナツキ』と頻繁にやり取りをしているHNである。
何故、今ここでその名前が出てくるのか―――私は驚きのあまり心臓が早鐘をうち、呼吸が荒くなってしまう。
「……う、ううん。知らない」
咄嗟に口をついて出たのはそんな嘘。
彼女には見破られてしまうかもしれないけれど、ここで知られてしまうわけにはいかなかった。
「そう。もし関わるようなことがあったら気をつけて。その人、もしかしたら危険な人かも」
「危険な……って、ええ……?」
「SNSを使って近付こうとしてるストーカー男かもしれないから」
まさかのストーカー、ときた。
本当は一年前のことを何か覚えているのかとも思ったけれど、それは些か遠回しが過ぎるだろう。
私は極めて冷静を装うように、震えた身体を抑え、奥歯を噛み締めてから言い返す。
「……それは言い過ぎなんじゃない?」
「警戒するに越したことはないと思う。ただでさえ一年前におかしな事故に巻き込まれたんだから」
「うーん、そうかもしれないけど……」
その真剣な眼差しをみて、それが本気なのだということはすぐに伝わってきた。
けれど、いくらなんでもストーカーだなんて酷い言われようだ。警戒するのは仕方ないにしても、そんな風に言われてしまうと本人ではない私だって傷ついてしまう。
「覚えてはいないけれど、一年前の事故はただの事故じゃないかもしれない。だから、本当に気をつけて」
「う、うん……わかったよ」
ハッキリ言ってそんな言葉を鵜呑みにするつもりはないけれど、こうでも言わないと引き下がってくれないだろうと思い、私は上辺だけの返答を口にする。
どこまでいっても偽り、嘘だらけな自分に嫌気がさすけれど、これもすべては二人のこれからを円滑に進めていくための通過点、必要経費というやつだ。
「それじゃあ、そろそろ帰るね。もし何か思い出したらすぐに教えて欲しい」
そう言って、彼女は私の前から背を向けて行った。
久しぶりの邂逅―――あれだけ待ち望んでいた再開だというのに、私は何か声をかけることもできぬまま、去りゆく友人の背中を見送ることしかできなくて。
(どうすれば、信じて貰えるのかな……)
ネット上、SNSでの『友人』のことを思いながら、私はこれからどうするべきかを考え直すことにした。
◆◆◆
失った記憶を取り戻すのは簡単なことではない。
医師による診断結果では、およそ一年分ほどの記憶がごっそり抜け落ちてしまったのだという。
事故当時のことだけではなく、それに関する情報さえも綺麗サッパリ無くなったため、ひとりで記憶を取り戻すのは不可能に近いとのことだった。
記憶の一部分が蘇って何かしらを思い出せたとしても、それが自分自身で事実かどうか確証を得られない限りは意味がないのである。
よって、結論としては『事故当時に何があったのか』を事細かに知る必要がある。
少女―――鬱ノ宮夏姫は、友人である鷺森憂妃と再開した。
それが何かしらのきっかけになるかもしれないとは思ったが、結果として特に得られたものはなかった。
夏姫の視点で怪しむべき事柄は、果たして友人である憂妃自身が本当に何も知らず、覚えていないのか―――という点である。
明らかに様子がおかしいのは明白で、本来なら知る由もない事柄についても妙な反応を見せていたけれど、憂妃がわざわざ何かを隠す理由が夏姫にはわからないのだ。
何故ならば、彼女もまた被害者だからである。
事件のあった場所に囚われていたのは夏姫だけではなく憂妃も同じ。
記憶を取り戻す鍵を握っているのは間違いないけれど、夏姫にとって大切な友人であることは変わらない。
彼女が何を考えているのかわからなくても、夏姫は同じ境遇にいる憂妃のことを信じたいと強く願っていた。
◇◇◇
私がリビングに行くと、母親が気まずそうな雰囲気を出しながら小声で話しかけてきた。
「夏姫ちゃん、なんの用事だったの?」
「ううん、別に。久しぶりに会いにきてくれたってだけだったよ」
「そうなの? それならいいんだけど……」
なにか言いたいことがあるのだろう、と察しはしたものの、母親は特にそれ以上追求しては来なかった。
あんな事故があったとはいえ友達は友達だし、引きこもりになった私に仲良くしてくれる相手なんてゼロに等しい。母親としてもそういう友達はできるだけ大切にしたい、と思ってくれているのだろう。
「ねえ、ママ。記憶喪失って、どうやったら治るのかな?」
ふと、私は気になってそんなことを口にしていた。
母親は一瞬キョトンとした表情を浮かべてから、すぐさま真剣な表情に変わって、
「夏姫ちゃんの記憶喪失は相当な重症なの。下手に刺激したりしないほうがいいわよ」
「わかってる。ただ、急に思い出したりすることもあるのかなって気になっただけだから」
はあ、と溜め息を吐きながら私は冷蔵庫から飲み物を取り出してリビングを後にした。
あれから一年、今になって何かが動き始めている。
いや、きっとここからは私が動かなければならない、その時がやってきたのだ―――なんて、そんな確信に近い何かを胸に秘めながら。
過去のあやまちを正すために。
―――今度こそ、私は取り戻してみせる。
◆◆◆
夏姫が部屋に戻ってベッドに腰掛けながらスマホを取り出すと、そこにはひとつの通知が届いていた。
そこには『リョウ』という名前と、いつも通り他愛もない内容のメッセージ。まるで数年来の付き合いかのように気さくな接し方をしてくる相手。
―――ストーカーだなんて疑いたくはない。
夏姫は思わず溜め息を吐いてベッドに横たわる。
疑い半分、期待半分。
夏姫は自分の精神状態に嫌気がさしつつも、送られてきたメッセージに返信を送ろうと文章を打ち込んでいく。
そうして、最後の一行。
勇気を振り絞り、夏姫はとある言葉をそこに残した。
『次の休みの日、会ってみる?』