フォーカイドのとある村で 03
消灯時間から約一時間も経てば、日中を動き回る子供たちは寝入る。御山野チョウエツは寝られなかった。自分にとって特別な笑顔を向けてくれる少女の今の容態がどうなっているのか、もう会えないのか。
「……もう、会えないのは嫌だ」
音を立てず忍ぶようにベッドから出た御山野チョウエツは、廊下に出向く。
消灯時間から暫く──"先生"に招かれるチョウエツは、そこに何か打開策があるのではないかと願って歩を進める。
「こんばんは。そこに掛けなさい」
薄暗な一室だ。書類がいたるところに散乱し、見たこともない言語の表紙をした分厚い書物。
ロウソクに照らされる灰色の髪をした青年が、手招きして御山野チョウエツを呼んでいる。
「今日はお疲れだったね」
「うん。リエは助かるのかな」
「どうだろう。先生は、医学にはそんな詳しくないからね。前にも言った通り歴史と魔術学に多少覚えがあるだけだよ」
「……」
「──でも、僕の考えで"リエ"の命に保険をかけることはできる」
「?」
青年は小首をかしげる御山野の瞳をのぞき込む。
「阿保……カードせんせ?」
「君は心から、助けたいと思うかい?」
「そりゃあ、そう──」
青年の値踏みするように顔を覗き込む視線に、御山野は逸らせないでいた。
その中で、"先生"はジャケットの内ポケットから手のひらサイズの細長い物体を取り出している。
「ならば、聞いてみてほしい"コイツ"に」
水晶で出来た虫のオブジェ。多足類の昆虫がモデルのようなフォルムだ。
掌の中に握らせられたその水晶に視線を落とした御山野。身動きしないそれにオブジェだと、そういう認識をした瞬間、それは動きだした。
自分の皮膚の下へと潜り込み、異物感が表皮と筋組織の下を伝って中枢へと向かっていく。
「ワアアアアアアアアアッ!?」
不思議と出血は無い。虫が潜り込んだそこから血しぶきが弾けない違和感と、体内に得たいの知れないものが潜り込む不快感と不安──突如、その不快感が脳へと到達した瞬間、何者かが語り掛けてきた。
大いなる存在。人が嘗ては体得していたと思わしき、未分化の感覚器官が──その全貌を追いきれない程巨大な存在が語り掛けてくる。
その声は聞いたことのある声。
「これは、自分の声」
「そうだ。御山野チョウエツ、お前はリエ=K=ギミヤを救いたいか?」
「救い……たい」
「それは"形無の世の法"では可能だ。だが、"生の世の法"に反する」
「法? なんだよそれ!?」
自分の声が、自分の知らない概念を滑らかな活舌で紡ぎ出す。時が止まった空間で自問自答を続けるような奇妙な違和感。なにか、とんでもない選択を迫られている圧力に、胸の奥から嘔気がこみ上げてくる。
「再度問うとしよう。御山野チョウエツ、君が今最も救いたい命はリエ=K=ギミヤで間違いないな?」
「ああァ!! そうだよッ!!」
「いいだろう。君を依り代に、我は──真の"全"を手に入れる」
自分でない者の自分の声を最後に、チョウエツの意識は途絶えた。それを尻目に、灰色の髪をした青年、阿保カードは耳元に指を二つ添えて口を開く。
「早急に迎えを頼む。もうこの地に用は無いよ」