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魔女の祠

 新月の夜。晩秋の宵闇が薄膜となって、島全体を静かに包む。物心ついた時から、日々の暮らしは波音と共にあった。もうすぐ潮が引く。それを肌が感じる。


 母と視線を合わせる。彼女はそっと頷くと、細い指先で自宅の玄関扉を静かに示した。見送りの言葉はない。


 通過儀礼イニシエーションの夜、島全体が沈黙に沈む。住民の誰一人として、口を開いてはならない。通過儀礼は沈黙と共に始まり、沈黙のままに幕を下ろす。


 それはこの島を縛る数少ないおきての一つ。



 玄関の扉を後ろ手に閉めて、一歩を踏み出した。


 傾斜に沿って建ち並ぶ家並みを一望する。普段ならば、沿道の民家の軒先で夕飯を終えた住民達が思い思いにくつろぐ姿が見られる時間帯だが、今夜は一切の人影がなかった。


 身をくねらせる蛇のように斜面を這う、石畳の道。一定間隔で置かれたランタンが、砂浜に至る経路を仄かに照らす。


 そのふもとには、黒く静かに広がる水面みなも



 月明かりのない夜、平坦に身を横たえる海を横切って、堆積した珊瑚の細道が白く伸びている。



 秋風に冷えた石畳が、微かな湿度を足裏に伝えてくる。この道を幾度駆け下りたことだろうか。通り過ぎる全ての民家、そこに住まう村人達の顔を思い浮かべながらゆっくりと坂道を下っていく。


 やがてランタンの灯りが背後になり、砂浜に満ちる宵闇に目が慣れてきた頃。満天を白く濁らせる星明かりに黒い輪郭が、水平線に低く浮かび上がってきた。


 幼少の頃から決して渡ってはならないと厳しく言われてきた、北の島だ。



 起伏に富んだ地形、豊かな湧き水の恩恵を受けて樹木が生い茂る南の島とは対照的に、この北の島は殺風景な岩場が広がるのみ。ここに人が住み始めてからずっと不毛の島で、人工物は一切存在しない。


 ただ一つ、魔女のほこらを除いては。



 星明かりに仄かに浮かんだ珊瑚の道を辿る。足下の砂粒が荒くなり、珊瑚の亡骸が所々に未だ形を保っているのを感じる。



――――――



「ねぇ、アレン。お母さんと約束して。決して、北の島には渡らないって」


「どうして? だってほら、海に道が出来てるよ」


「あの道はね、子供が渡ると消えてしまうの。一度渡ってしまうと、帰ってこられなくなるのよ」


「ボク、平気だよ、お母さん。だってミラがね、北の島にはちっちゃなおうちがあるって言ってた。そこに住めばいいんだよって」


「アレン、それはおうちじゃなくて魔女のほこらよ。絶対に近寄っちゃいけないわ」


「魔女? 魔女ってなに?」



――――――



 目前に迫った北の島の輪郭。オレの内から上陸への強い抵抗感がこみ上げてくる。いま思うと、大人からの言いつけを破る子供が一人もいなかったのも、アルキナティアが分泌する成分の効果なのだろう。


 吹き抜ける潮風が、前髪をなぶる。目を凝らして傾斜の緩やかな岩場を探す。亀の手状の甲殻に身を包んだ無数のペルセベがビッシリと並ぶのを手探りで避けて、波が穿った僅かな窪みに指先を掛けた。


 慎重に傾斜をよじ登り、真っ暗な岩場に身を引き上げる。ごろごろと並び連なる大きな岩の向こうに、微かな灯りが見えた。祠の入り口にランタンが掲げられているのだろう。


 覚束ない足下に幾度か姿勢を崩しながらも、灯りを目指して着実に進む。時折、足下で何かがうごめくのを感じた。思わぬ訪問者に蟹か船虫が驚いているのかも知れない。



 冷涼な追い風を背に受けながらしばらく歩を進めると、やがて祠が視界に鮮明になってきた。


 その石造りの建造物は幼い頃から遠目に想像していたよりずっとこぢんまりとしていて、いささか拍子抜けする。長年に渡って海風になぶられるまま、ところどころ風化して丸みを帯びた岩壁で構成されるそれはせいぜい農作業用の納屋くらいの大きさ。


 大人が雨宿りに使うとしたら、五人くらいが精一杯だろう。かつては門柱も備えていた様だが、いまは地面にその痕跡を残すのみ。



 近付くにつれて、ランタンの灯りを片手に佇む人影が見えてくる。


 馴染み深い輪郭に思わず声を掛けそうになるオレを、その人物は片手を掲げて制止した。

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