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瑠璃雀蜂

「アルキナティアは常緑の多年生植物。


 温暖な気候に恵まれたこの島では、一年を通じて島内の至る所で群生している姿が観察される。初夏から秋に掛けて朱色の花をつけ、その期間は島全体が微かな酸味を帯びた甘い香りに包まれる。


 この香りは茎及び葉からも常に分泌されており、吸引した生物に非常に強い高揚感、多幸感、攻撃性抑制等の効用をもたらすが、島外に持ち出されたアルキナティアは数刻を待たずして枯死してしまう。過去の研究でもその原因はいまだ解明されておらず……」



――――――



「なぁ、親父、まだなのかよ?」



 無言で手渡された、古びた羊皮紙。丁寧な筆跡でそこに書き付けられたアルキナティアについての記述を追うことに飽きたオレは、思わず声を上げる。


 夕刻、海から帰宅したオレは、親父に自宅の地下室へといざなわれた。いや、あれは連行された、と言っても良いくらいの強引さだったが、普段から寡黙で何を考えているのかわからない所がある人なので、こちらとしても特に抵抗はしない。


 それから、そろそろ半時間が経とうとしている。


 机上に並ぶのは、見慣れない形状の器具ばかり。さっきから親父が黙々と組み立てているそれらの中には、この島には珍しいギヤマン製の器もあった。その横にはいつの間に集めたのか、籠いっぱいに盛られたアルキナティアの朱い花。



「アレン、知っているか。アルキナティアは虫媒花だ」


「虫媒花? 何のことだよ。返事になってないだろ」


「つまり、この花は昆虫を媒介として受粉を行う。そして、アルキナティアの場合、その役割は瑠璃雀蜂ルリスズメバチが担う」


「……あぁ、島中に飛んでる碧色のデカいあれな。子供が紐で縛ってオモチャにするヤツ。見た目はイカついのに大人しいんだよな、あいつら」


「アレン、それは違う。自然の造形には必ず意味があるものだ」



 慮外の強い否定に顔を上げる。いつの間にか随分と白い物が増えた前髪に隠れて、親父の灰色の瞳孔が珍しく強い光を放っていた。



「よく覚えておくんだ。この島の固有種である瑠璃雀蜂は本来、強い縄張り意識と社会性、そして腹部に致死性の毒針を持つ非常に危険な肉食昆虫だ」


「……え?」


「生育したアルキナティアが空気中に放出する物質は、あらゆる生物の攻撃性を抑制する効果を持つ。それは瑠璃雀蜂も例外ではない。よし、そろそろ良いだろう。花弁を外して、花芯だけをこの器に集めるんだ。丁寧にな」


「待てよ。話が見えないって」


「この島には争い事がない。現在だけではなく、過去の歴史を遡っても、人間同士が争った記録が一切見受けられない」


「みんな、のんびりしてるからな」


「アレン。人というのは本来、争わずにはいられない生き物だ。お前は知らないだろうが、大陸の国々の歴史を紐解けばそれは血塗られた戦乱の記録以外の何物でもない」


「だから! さっきから何の話だよ、これ!」



 オレと視線を合わせたまま、親父はゴツい指先を伸ばしてアルキナティアの朱い花を一つ摘み上げる。手元に視線を落とさずに花弁を取り除くその洗練された手つきからは、年月による習熟が見て取れた。



通過儀礼イニシエーションの夜に話す。いまはこの手順を黙って暗記するんだ。絶対にメモは残すな。これは我が家にだけ伝わる秘術の一つだ」


「なんだって言うんだよ。わけわかんねぇ」


「秋の新月まで待て」



 沈黙が降りた地下室に、二人がアルキナティアの花を処理する物音だけが残された。ランタンの灯りが壁面に大きな影絵を残して、単調な仕草を踊り続ける。



「なぁ、ほこらの地下には……本当にいるのかよ」


「おい、黙って手だけ動かすんだ」


「その……『魔女』ってやつが」



 最後の言葉はほとんど声にならず、唇を動かしただけだった。


 恐る恐る視線を上げると、作業机の向こうに座る親父の眼差しと交差する。こちらを見詰める灰色の瞳が、それ以上の問いを禁じていた。



 作業はそれからさらに日数を要した。だが、それ以降は日々の暮らしにこれと言った変化もなく、やがて島を吹き抜ける潮風に静かな秋の気配が満ちていく。


 そして、通過儀礼を目前に、島の住民達がどことなく浮き足立って映ったある夜のこと。


 ミラの姿が島から忽然と消えた。

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