8 道脇淳 僕と僕の面白い従妹
僕には従妹がいる。三歳年下の道脇桜、四歳年下の道脇楓、六歳年下の道脇桃である。
その中でも、楓の話をしようと思う。
僕は楓を贔屓しているのではなく――いや、贔屓はしていないが気にはかけている。だって桜ちゃんや桃ちゃんは、年下の女の子に想うような感想ではないのかもしれないが、何というか……ちょっと怖い。
桜ちゃんや、桃ちゃんは僕のことを淳さん、と呼ぶ。でも、楓は僕のことを淳お兄様と呼んでくれる。僕には兄弟がいないので、そう呼ばれると少し嬉しい。そのことも気にかけている理由に含まれているだろう。あんなに慕ってくれていたのに、最近は避けられているような気がする。今年から初等科に入学したから、お年頃、とかいうやつだろうけど、従兄としては少し寂しい。
本当は皆に対して平等に接しなければならないのだろうけど、楓はつい従妹ではなく、妹のように扱ってしまう。叔父様や叔母様は楓のことを愛していないわけじゃないけど、どうしても桜ちゃんと桃ちゃんに偏りがちだ。まあ、叔父様や叔母様のぶん別のところから……この辺りはあまり深く考えない方が賢明だろう。本人たちも気付いていないみたいだし。
とにかく、僕が少し気にかけているくらいは問題ないはずだ。
話がそれてしまった。楓は不思議な子だ。特に、二年前からさらに不思議な子になった。無邪気にお菓子で目を輝かせたと思ったら、難しい単語がぽん、と出てくることがある。勉強も、自分から家庭教師をつけて欲しいとお願いしたようだし、習い事をもっと一生懸命するようになったと聞く。
楓は、自分のことを何の面白みのないつまらない人間、だと思っているようだけど、それは違う。彼女は、すごく面白い。
この前だって、僕がプールで楓を見つけたので、声をかけようとすると溺れていた。急いで引っ張り上げたら、激しく咳き込んでいたけれど、間に合ったようだ。
本人は、あれは背泳ぎだ。背泳ぎをしようとしたところで、僕が引っ張り上げたから、溺れたように見えただけだ、と主張された。
でもね、楓。泳げる人は、けのびの時点ですでにごほごほと苦しそうな音を出さないんだよ。
さすがにそれを言うと、機嫌が急降下しそうなので、想うだけに留めておいた。
それでも、私は泳げると主張するので、一度だけ深いプールで泳がせてみたら、五秒も経たずに溺れていた。
それを指摘すると、前に進めたので泳いでいるといえる、と言ってきた。拗ねてアヒル口になっていたけれど、本人はそのことに気付いてないようだったので吹き出さないように、必死だった。
結局、浅いプールに戻って、楓に泳ぎを教えることにした。少し目を離した隙に、浮き輪もつけて、足もしっかりとつくはずのプールで溺れかけていた。
これはまずい。一番まずいのは、本人があれで泳げていると思い、深いプールに入ろうとすることだ。無自覚とは恐ろしい。
僕の学園では初等科からプールがあるけど、鳳海学園では中等科からだったはず。まだ時間があるので、叔母様や叔父様にそれとなく、楓をスイミングスクールに通わせるように勧めてみようと思う。
楓は金槌の烙印を押されたことが不満らしく少し、機嫌が悪かった。
でも、プールから上がってアイスを買ってあげると、ころりと機嫌をなおした。そんなに高いアイスではなく、安いものだったけど、ご満悦だった。僕の従妹は案外ちょろい。
そういえば、叔父様と叔母様から別荘に行かないかと誘われていた。
去年、別荘で起こったことは、一生忘れられないだろう。
僕がソファーに座って、図鑑を見ていると、楓が興味深そうにのぞき込んできた。図鑑は、昆虫がたくさん載っていて、普通の女の子なら怖がるのに、怖がるどころか、面白そうに見てくるのでつい、調子に乗っていろいろと解説してしまった。
その翌日、楓はいなくなった。
最初にそのことに気づいたのは僕だった。昼になっても自室から出てこようとしないので、ノックをしたけど返事がなかった。不審に思って、ドアを開けると、そこに楓はいなかった。
叔父様と叔母様にすぐ相談したけど、どうせその辺りにでもいるんだろう、と軽くあしらわれた。
でも、どこを探しても楓は見つからない。夕方になっても楓が姿を現さず、ようやく二人も焦りだした。誰かに誘拐されたのではないか、とか、別荘を抜け出して事故にあったのでは、とか。
誘拐された可能性があるから、早く警察に届け出を出した方が良い、と言ったけど、可能性の域をでないまでは、警察にはいけないと言われた。
面子、とかいう問題だろう。
この時ばかりは、さすがにぶん殴りたくなったが、何とか理性で持ちこたえた。
楓は、その日の夜遅く――……午後十一時を回った頃だろうか、に戻ってきた。
どこにいっていた、と尋ねると本人は何でもないことのように、山に行ってきた、と言っていた。
別荘の裏には山がある。
理由を聞くと昆虫図鑑を見ていて、本物が見たくなったのだそうだ。手には誇らしげに虫取り網と虫かごが握られていて、なかなかの大物も捕まえていたようだった。
その大物たちを売りさばいて、ちょっとしたお小遣いかせ……ゴホン、ゴホン。ちょっとした臨時収入を得た。
熊がいない山だし、誘拐犯にも会わなかったからよかったものの、一歩間違えれば大変なことだった。そんなことがあったのに、本人はケロリと忘れてしまっている。
普段は面倒くさがりな癖に、こういう時だけフットワークが軽いからタチが悪い。
それ以来、楓は裏山に出禁を出された。僕は、そっとお札を貼って、昆虫図鑑を封印した。
そういえば、最近はクマの人形を大量生産していた。どうしよう、本物の熊が見たいといいだしたら。別荘の近くの山には、クマはでなかったはずだから、かなり遠くまで一人で行こうとするのではないだろうか。さすがに、それはない……はず。ないと言い切れないところが恐ろしい。
先手を打って、動物園にでも連れて行ってもらった方がいいかもしれない。
これで彼女は自分のことを大人しいと思っている。
大人しい、という言葉が泣きながら殴り込みに来そうだ。
何事もなく、無事に夏休みが終わればいいけど、楓がいる以上何か、起こりそうな気がする。
またよからぬことを企んでいるみたいだし。
彼女は、なぜばれるのかわからない、と言っていたけれど楓は案外わかりやすい。じっと目を見ると、感情が手に取るようにわかるのだ。
面白いから言わないけど。
無事に二学期を迎えられることを願わずにはいられない。