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鳳海学園の初等科と中等科には給食がある。高等科に入ったら、お弁当や学食だ。
給食と呼ぶにはかなり豪華すぎるものを食べ終えた後は、昼休みに入る。
いつもは読書やなんかで時間を潰すが、今日は違う。
大丈夫。大丈夫だ。イメージトレーニングはしっかりしてきた。ベッドにおいているクマ男くん相手に練習もした。姉にコイツ何してんだ、という目で見られたが……それだけ頑張ったということだろう。
あとは、自然に言うだけだ。
強張らないように注意しながら、笑みを浮かべる。
「あの、美紀さんと遼子さん?」
「はい、何ですか?」
「何でしょう、楓様」
美紀ちゃんと、遼子ちゃんは私の取り巻きの子たちの代表のような存在である。血の繋がりはないはずだが、どことなく雰囲気が似通った二人だ。
この二人に聞き入れてもらえたら、自然と他の子たちも様づけを直してくれるだろう。ちなみに、チキンな私は実際に、二人をちゃんづけしたことはない。私の心の中だけで呼んでいる。上手く立ち回って、どうにかちゃんづけ出来る関係になりたいものだ。
──そう思っているのに。
きらきらきら。
きらきら光っている瞳が目にまぶしい。
「……うっ!」
「大丈夫ですか!楓様」
優しい二人は、私が呻くと駆け寄ってくれた。
大丈夫じゃない。全く大丈夫じゃない。
彼女たちの目の輝きは、目が潤んでいるからじゃない。尊敬だ。目から「私たちはあなたを尊敬しています」オーラがでているのだ。
友人という関係にもお互い尊敬することは必要だろう。でも、これは違う。こんな尊敬を私は知らない。
もっと気軽な空気が欲しいのだ。
「……ええとね、二人とも」
私が呼吸を整えて、話し始めると二人は小首を傾げた。そんな姿も可愛い。……じゃなくて、可愛らしいけれども。
尊敬してくれるのは嬉しいが、私はそんな大層な人間ではないのだ。
それに、そんなことをするつもりはないが、もし間違って私が姉や妹――ひいては淳お兄様や前川を――敵に回してしまった場合には、私をスパッと見限ってほしいのだ。
自意識過剰かもしれないが、彼女たちは、どこまでもついてきてくれるような気がする。
ついてこられてもその場合、最悪の場合私は自殺をしてしまうし、そこまでいかなくとも何らかの処罰は受けることになるだろう。そうなれば、私は彼女たちを守ることが出来ない。
彼女たちが巻き込まれなければいいが、記憶に間違いがなければ、彼女たちは漫画で道脇楓と共に姉や妹に様々なことをしていたので、巻き込まれる可能性が高い。
「呼び方を変えて欲しいのだけど、駄目でしょうか?」
私がそういうと二人ははっと目を見開いた。
よかった。自然に言えたようだ。
私がほっと胸を撫で下ろすと、彼女たちはおろおろとしだした。
「申し訳ありません!」
「気付かずにすみません!なれなれしかったですよね」
深く頭を下げられた。
アレ。何だかおかしくないだろうか。様づけってなれなれしいどころか、丁寧すぎると思う。
「道脇様!!どうかお許しを」
「もう二度と楓様とお呼びしません!!」
どうやら彼女たちは私が、名前で呼ばれるのを嫌がったととったらしい。違う。寧ろ、呼び捨てにしてくれ、と言いたいがぐっと堪える。いきなりそこまで求めるのは酷だろう。
「……そういうことではなくて」
私が溜息をつくと二人はびくっと体を強張らせた。いけない、そういうつもりではなかったのに。もっと、にこやかに穏やかに言わなければ。頭ではそう思っているのに、だんだん頬の筋肉がひきつってきた。普段から使わないからこうなる。家に帰ったら、笑顔の練習をしよう。
「下の名前で呼ばれるのが嫌なわけじゃないの。そう呼んでもらえて嬉しいわ」
私がそういうと、ようやく二人は顔をあげてくれた。
「え、じゃあ……」
「これからも、楓様とお呼びしても……?」
私が大きく頷くと、とても嬉しそうな顔をした。
「「ありがとうございます!!」」
なぜ、これだけでそこまで喜ばれるのかは謎だが、私が二人をちゃんづけで呼びたいのと同じような感覚なのかな。ううむ、よくわからん。
「私の名前に『様』をつけるのをやめて頂きたいの。私たちは、同じ年齢なんだし、他の方と同じように呼んで下さらないかしら」
自分と歳が違う相手なら、様を使う場合は多々ある。けれど、私は姉や前川や赤田とは違うのだから、様づけはやめて頂きたい。
私がお願いすれば、すぐに聞き入れてくれるだろうと思ったが、予想に反して二人は首を振った。
「ええっ!そんなの無理です!!」
「そんな失礼な真似できません!!」
いや、だからその私がいいっていっているのだけど。
「……よろしければ、なぜそのように呼ぶのか聞かせて頂けませんか?」
「だって、楓様はあの青薔薇の冬月様と対等に話せるお方で、いいえ、冬月様だけじゃないわ、他の上級生の方々とも堂々と話すことができる方ですよ」
「冬月様って……?」
何だか聞いたことのある名前だが、思い出せない。
「ええと、この前も教室にいらしていた……メガネが特徴の……」
「ああ!」
メガネ先輩のことか。確かにこの前の前川家主催のパーティにも参加していたけれど、メガネ先輩そんなすごい人だったのか。知らなかった。
「それに、私たちがもし楓様とお呼びしなくなっても、他の方はそう呼ばれると思いますよ。男子の間でもそう呼ぶようになっているみたいだし」
なぜ、なぜに男子にまで広がってるんだ。この前までは、女子のしかも私の取り巻きの子たちだけだったはずなのに。
「前川様とやりあえるのもこの学年で、楓様しかいらっしゃいません」
まえかわめえええええ!!!!アイツか。アイツのせいか。
やりあうって、睨まれてもどうしようもなかったからスルーしてきただけなのに。
だって、大魔王様を呼び出すのにはかなり勇気が必要だ。
それが仇になったとは。
「……何か勘違いをされているのではないかしら」
……というか、何かいいように誤解されている。上級生と話せる……というのは前世があったからだし、メガネ先輩のこともそんな大物だって知らなかっただけだし、前川のことは怖かっただけだ。
「そんなことございませんわ!!」
「勘違いなんて、一つもありません!!」
きらきらきらきら。
あ、だめだ。くらっと来た。
「大丈夫ですか!!楓様!!!」
そのままふらっと倒れた私は、保健室に運ばれた。
保健室とはいえ、鳳海学園のベッドはふかふかだった。
色々とオーバーしてしまった私はベッドで眠り続け、起こされたのは、授業も全て終わった後だった。
そして、最悪なことに、私を迎えに来たのは姉だった。
姉に作った貸しの代償はあまりに大きく、私は様づけをなくしてもらうことを諦めることとなり、踏んだり蹴ったりな一日だった。
この間七月に入ったばかりなのに気づけば、夏休みはもうすぐそこだった。
それまでには、先延ばしにしてきた大魔王様の件もどうにかしなければならない。
胃がきりきりと痛んだ。