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もしかして、き、キスしてるー!?
キスを目撃してしまった私は、急いで自室に戻った。まだ心臓がドキドキチクチクしている。いやいや、待て、落ち着け。私の見ている角度だとキスに見えただけで、実は淳お兄様がお姉様のまつげをとってあげただけとか。……なーんて、ベタな想像をしてみるけれど、違うだろう。そういうベタな展開は、淳お兄様とお姉様が何とも思っていない場合に起こりえるのであり、両想いの二人には当てはまらないだろう。
どうして婚約破棄できないの!?
違うよ、僕も頑張っているんだ、信じてくれ。
貴方を信じていいの……?
もちろんだよ。
――みたいな、流れでキスすることになったんだろう、多分。
「……はぁ」
まさか、好きな人のラブシーンを目撃する羽目になるとは。とっくに振られているのはわかっているけれども、何とも胸に来るものがある。今なら、漫画の道脇楓とも話が合うんだけどなぁ……、と思いながら、私はふて寝した。
■ □ ■
さて、三学期。三学期と言えば、あともう少し頑張れば、春休みという素晴らしい学期である。そんな三学期の中――鳳海学園は、浮足立っていた。
理由は単純。
今日は、バレンタインデ―なのである。気になるあの人に想いを伝える大チャンス! だ。
私がぼう、と自分の席にに座っていると、前川が手を差し出してきた。
「ん」
「ん……?」
何だその手は。私が、訝し気な顔をすると、前川は照れたように早口で言った。
「……世間では友チョコというものがあると聞いた」
! 前川! あれだけ散々女子から本命のチョコレートを貰っておいて、まだチョコレートがいるというのか。ちなみに、零子ちゃん宛にも、大量のチョコレートが届いたと聞いた。
「……まだいるんですか」
「友チョコはお前からしかもらえないだろ。……無いんならいいけど」
くそう。ぐっときた。予備のチョコレート――美紀ちゃんと遼子ちゃん、更ちゃん用の他に一応一個だけもってきていた――を前川に渡した。
「ありがとう」
前川は、本当に嬉しそうにふにゃりと笑った。中身はトリュフであり、大したものではないのだが、そこまで喜ばれると、こっちまで嬉しくなってくる。
「ところで、淳さんには渡したのか」
「淳お兄様ですか……? 渡しませんよ」
「はぁ!? お前何考えてるんだ」
前川に大声で突っ込まれてしまったが、こちらの事情も聞いてほしい。
「淳お兄様は、毎年たくさんのチョコレートを貰って帰られるので、私はいつもコーヒー豆を渡してるんですよ」
淳お兄様はコーヒー党であり、コーヒーとチョコレートはよく合う。甘いものばかりでは、淳お兄様も飽きてしまうだろう、という気遣いからだった。
「……お前なぁ、そういうところだぞ」
どういうところだよ! と突っ込みたくなったが、そこでホームルームの始まりを知らせるチャイムが鳴り響いたので、しぶしぶ諦めた。
■ □ ■
「……これ、どうしよう」
今日の部活は、バレンタインデーなので当然のことながら、チョコレートを作った。フォンダンショコラだ。困っているのは、
「今日は、バレンタインデーですし、自分で食べず、誰かに渡しましょう」
と部長が掲げたスローガンだ。
こんなことなら、前川にトリュフをあげずにこっちを渡せばよかったなぁ……と思いながらも、帰路に就く。
と、玄関でばったり淳お兄様に出くわした。淳お兄様は、大量の大きな紙袋――おそらく、中身はチョコレートだろう――を持っていた。どうしよう。
私の理性は、
いずれ婚約破棄する従妹から、チョコレートを貰うのは、重いとは思われないだろうか。それにただでさえ、こんなに大量のチョコレートを貰っているのに、更に一つ増えたら消費するのが大変だろう。それに、もうコーヒー豆は贈っているのに、それ以上何かあげたら訝しまれるよ。
と言っているが、
私の恋愛脳は、
そんなことは関係ない。私だって淳お兄様にチョコレートを渡したい! と主張してくる。
「おかえり楓」
「ただいま戻りました、淳お兄様」
そう悩んでいる間に、淳お兄様に話しかけられてしまった! 淳お兄様の目線は自然と、私が手に持っているラッピングされたチョコレートに吸い寄せられる。
私は、咄嗟にチョコレートを後ろに隠し、あはは、と笑いながら自室までダッシュした。
「……ぜえはぁ」
荒い息を吐きながら、自室に滑り込む。
――結局、スローガンに背くことになったが、フォンダンショコラは自分で食べることにした。
フォンダンショコラは、甘いはずなのに、何故かしょっぱい涙の味がした。