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※本日三度目の更新です
鳳海学園の二学期は忙しい。運動会が終わったら、わりとすぐ文化祭があるのだ。文開祭――それは、多くの者にとって、とても楽しい行事だろう。後夜祭ではフォークダンスもあるし、気になるあの子と仲を深めるドキドキのチャンスである。
しかし、私こと道脇楓に限っては、文化祭とは悪魔の祭りである。別にクラスの出し物が、男女逆転の執事喫茶とメイド喫茶を行うことになったことは別にいい。問題は、そこではなく――そう、合唱コンクールが行われることだ。しかも厄介なことに、今年の私のクラスの団結力は、凄まじい。そう、打倒三年生を目標に掲げるほどに。
道脇楓は音痴である。それも超がつくほどの。小学生の頃は、小声という名の口パクで乗り切ってきたのだが、今年のクラスはそうは問屋がおろさない。私が、口パクで歌っていると、
「楓様……もう少し、声量だせますか?」
「すみません、風邪をひいているもので。来週には治ると思うんですけど」
「じゃあ、来週よろしくお願いいたしますね」
と言われてしまったのだ。よろしくお願いできるわけがない。だって、私は風邪でなく、音痴なのである。一週間で音痴が治るなど聞いたことが無い。これは、当日文化祭を休むべきだろうか……?
「どうした、項垂れて……、さては合唱のことだな」
私が生徒会室で項垂れていると、前川が話しかけてきた。前川には、私が音痴だということがバレている。その顔はニヤニヤしており、完全にからかうそれである。
「前川様こそ、零子ちゃんになる覚悟はできたんですか」
負けじと私も前川に言い返す。そう、前川は、メイド喫茶のメイド役に大抜擢されたのである。それもそうだろう。前川は、顔がいいし、何より身長が伸び悩ん――……今後に期待といったところ。前川本人は、裏方を希望したが、クラス全員に却下されたのだ。
「なっ……俺があんなひらひらした格好できるわけないだろ! 一樹兄さんに知られたら最悪だ!!」
「いいじゃないか、零子可愛かったよ」
「隼まで裏切りやがって……」
そう、前川のメイド姿はそれはもう可愛かった。声変りがもう済んでしまっているのが残念だが、声以外は完ぺきに女の子だった。
「何で隼は裏方で俺はメイドなんだ」
赤田は、身長が高いので、赤田に合うサイズのメイド服がなかったのだ。なので赤田は裏方である。ちなみに、女子の中では中々に高身長な私は、執事役の一人だ。
「そんなことより前川様、前川グループで音痴が治る薬とか開発してませんか?」
前川グループは、製薬部門が強い。何か、そういう便利そうな薬を開発していたりしないだろうか。
「残念ながら、そんな薬はない」
ですよねー、と思いながらも、頭が痛くなる。
「まぁ、練習するしかないんじゃないか」
「ですよね」
一週間で歌が上手くなる方法はあるのだろうか。ああ、もう、どうしよう。
■ □ ■
とりあえず、一週間は放課後というか――生徒会の仕事でほぼ夜なのだが――本邸の近くの河原で合唱の練習をした。
しかし、結果はやはりと言うか、全く改善が見られず当日を迎えることとなった。
合唱コンクールへのプレッシャーからか、なんだか体もふわふわする。
「ああ、もう、どうしよう」
私が項垂れている横で、前川も項垂れていた。
「俺も言いたい」
「いいじゃないですか、すごく可愛いですよ、零子ちゃん」
「うるさい黙れ。男装の麗人に見えるお前とはダメージが違うんだよ」
前川はよほどメイド服にダメージを受けているのか、顔が真っ青になっている。
「しかも、結局、今日一樹兄さん、淳さんとくるらしいし……死ぬ。この姿を見られたら死んでやる」
「まぁまぁ、落ち着いて」
自分より焦っている人を見ると、何だか冷静になれるというのは本当らしい。体はふわふわするものの、心は若干落ち着いてきた。そうだ、音痴がなんだ。音痴だって一生懸命やればいいじゃない。
よし、と覚悟をきめて、執事役を務める。合唱コンクールは午後からだ。午前中は、与えられた役割をきっちりこなそう。
「執事さーん、こっちお願いします」
「かしこまりました」
男女逆転喫茶は、前川のおかげか大盛況で、人でごった返していた。
注文を取り終わり、厨房の方へいくと、丁度写真撮影から抜け出せたらしい前川と目があった。
「おい、お前顔が赤いぞ。……熱でもあるんじゃないか」
「まさかぁ、いくら合唱コンクールが不安だからって、熱何て、でませんよ。……だって私風邪ひいたことないです、し」
そう言って、笑おうとして、おかしい、体がふわふわするのは朝からだが、上手く体に力が入らない。
「おい、道脇?」
「あれ、おかしい、な」
気付けば私は、床にへたり込んでしまった。
「お前保健室に……、おい、どう、わき」
耳が、聞こえない。私は、ぷつり、と意識を失った。
■ □ ■
まるで雲の中にいるみたいだ。体がゆらゆらして、でも不思議と嫌な感じはしなかった。
「……じょうぶ? ……もうすぐ……だから」
それに何だか、とても懐かしいにおいがする。このにおい好きだな。淳お兄様のにおいに似てて落ち着く。
すき、すき、すき、だいすき
わたし、だいすきなの。
私が、そういうと、誰かはとても悲しそうな声で、うん、と言った。
■ □ ■
がばり、と布団からおきると、そこは本邸の自室だった。倒れてから、全くの記憶がないが、状況を見る限り、家に連れ帰られたらしい。
何と意図せず、合唱コンクールをさぼってしまったのである。しかも、執事役だったのに、喫茶も途中で抜けてしまったのだろう。クラスのみんなに申し訳ない。
ふと、布団に重みを感じて、見ると、そこには淳お兄様が寝ていた。
「……え?」
? えっ? なんで……と乙女ティックな反応をしてみたが、おそらく、看病してくださったのだろう。後でお礼を言わないと。そう思うのに、体はまだだるくて、再び私は眠ってしまった。