29 道脇楓 貴方の愛が私をつくる
シリアス回です
改めて、目の前にいる人物を観察する。
艶やかな黒髪も、桜色をした唇も、穏やかな瞳も、何一つ違いはないように思われた。
「私に御用があるようだけれど……」
躊躇いがちに言われた言葉にはっとする。そうだ、今日の目的は姉さんの姿を見ることではない。
「お願いがあるんです。私と――」
■ □ ■
文化祭は、無事に終わった。来年から合唱があるのが、音痴の私にとっては、難点だけれど。二学期も終盤になり、紅葉が深まる季節になった。ようやく、外出禁止令も解け、実に晴れやかな気分である。
「ふふ、このお茶菓子とてもおいしいわ」
「それはよかったです」
私が、姉さんに頼んだことそれは、――私と、また会って欲しいというものだった。私のお願いに、頷いてくれた姉さん――名前は水鳥川小百合というらしい――に甘えて、日曜日に水鳥川家でお茶会などを開いていた。遊園地などではなく、お茶会なのは、姉さんの病弱な体がまだ完全には治っていないためだった。
何度かお茶会を開くうちに、いつの間にか、交互にお茶菓子を用意するというルールができ、今週は私の番だった。
水鳥川家で流れる、ゆったりとした時間は、まるで昔のようで、私はとても好きだった。
「楓ちゃん、また、小百合のところに行ってきたの?」
家に帰ると、姉が呆れたようにため息をついた。呼び捨てをしていることからわかるように、姉と姉さんは、親友らしい。
「はい」
私が頷くと、何か言いたげに姉は、私を見た。
「何でしょうか」
「……何でもないわ」
何でもないというときほど、何かあったりするのだが、姉に対して無関心になると決めているので、深くは追及しない。姉は、また一つため息をついた。
■ □ ■
そんな日々が続いたある日、私は、お茶菓子にナッツの入ったクッキーを持って行った。お茶菓子を口に運ぶ姉さんをドキドキしながら、反応を伺う。
姉さんは、何のためらいもなく、クッキーを食べた。
それと、同時に落胆する。
姉さんは、落花生アレルギーだったのだ。いつも、おいしそうなのに仕方ないわね、何ていいながら、頬を膨らませてから、笑っていた。
姉さんなら、姉さんは。
「今日は、もうお終いにしましょう」
そんな私の様子に気づいたのか、姉さんは、席を立った。
「まって姉さん――」
いかないで。置いていかないで。
「そう思ってくれるのは嬉しいわ。けれど、そうではないでしょう?」
そういわれてはっとする。そう、たった今わかったじゃないか。彼女は姉さんではない。
別人に重ねるなんて、とても失礼なことだ。
けれど、私は、自分勝手に彼女――小百合さんを姉さんと重ねてきたのだ。
「……私は、あなたのお姉さんではないけれど、また、遊びに来てくれたらうれしいわ」
もしかしたら、小百合さんは、ずっと私が姉さんと重ねていたことに気づいていたのかもしれない。
それでもなお、そんな優しい言葉をかけてくれる。
どうしようもなく、自分が恥ずかしかった。
■ □ ■
少しだけ、私の前世の話をしよう。
姉さんと私。私たちは、二人きりの家族だった。
おとうさんと、おかあさんは所謂駆け落ち結婚というやつだった。おかあさんが名家の出身だったらしい。けれど、愛するものと結ばれて、二人は幸せには暮らせなかった。おとうさんは、私が生まれた一年後に交通事故で無くなった。おかあさんは、私が幼稚園のころ、病気で亡くなった。そうして、両親を亡くした私たちは、世間体を気にしたおかあさんの親戚の家に迎え入れられることとなった。
けれど、駆け落ち結婚をした結果生まれた私たちへの風当たりは強く、親戚の家はあまり居心地がいいとは思えなかった。そんな私にとって、姉さんは全てであり、世界だった。
優しくて、暖かい姉さん。
大好きだった。大切にしたかった。それなのに。
けれど、私はもう――じゃない。私は、道脇楓だったのだ。今までの自分がしてきたことを振り返ると、本当に恥ずかしい。穴があったら埋まりたい。
私は、元々オカルトの類は信じない。それなのに、それを証拠がないからという理由で、信じたのは――とても安心したからだ。前世の記憶は、私にとても優しかった。姉さん、という私を愛し守ってくれる絶対的な存在。そして、私が愛されない理由。悪役に生まれ変わった、という妄想のようなもの。だけど、そうなら仕方ない。私は、悪役で姉のように完ぺきではないから、妹のように可愛げがないのだから。自分の性格は、前世から変わっていないし、今更可愛げなんてだせない――。だって、だって、仕方ない。私は、悪役に転生してしまった、という正当な理由があるのだから。家族のことを愛せなくても仕方がない。だって、私は転生なんて望まなかった。ずっと姉さんと一緒にいれたらよかったんだから。
ああ、なんて楽なんだろう。
愛されない理由を外に求めるのは。
私は、きっと道脇楓になれていなかった。前世の記憶とやらが戻ってくるよりもずっと前から、きっと一度も愛そうとしたことなんかなかった。自分から愛そうとしないくせに、愛されることを望んでいた。
伸ばされた手を振り払い続けていたのは、私の方だ。
もし、本当にあの記憶が前世だというのなら、今世では物心つく前に亡くしてしまった父や、母がいて、姉がいて、前世ではいなかった妹までいるのだ。大切にしないなんて、嘘だろう。そう、思うべきだった。蹲って、言い訳ばかりを並べ立てるべきではなかったのだ。
私がふらふらと、水鳥川家を出て行ったあと、どこにいく当てもなく歩いていたら、声をかけられた。
「楓」
「……淳お兄様?」
「なんで、ここに?」
こんなひどい顔を貴方に見られたくなかったのに。
「桜ちゃんから、迎えに行くように言われてね。どうせ今日が何の日か忘れているようだからって。……楓」
私のぐちゃぐちゃな顔を見た後、淳お兄様はふと、足を止めてほほ笑んだ。
近くに、紅葉がきれいな公園があるんだ。だから、少し、歩こうか。
ためらうことなく伸ばされた手は、簡単に私の指先を包んだ。
淳お兄様の言う通り、少し歩いた先には、紅葉が綺麗な公園があった。赤色、茶色、黄色……様々に色付いた葉が美しい。
私の物よりもずっと色素の薄い瞳が細められ、唇がゆっくりと弧を描く。
「――きれいだね」
「ええ、とても」
「綺麗すぎて、涙がでそうなくらいだ」
ねぇ、楓。そういって、淳お兄様は微笑んで、ずっと黙って手を握ってくれた。
――ああ。貴方の愛にどれほど助けられただろう。愛されることを望むばかりで、誰も愛そうとも、愛される努力もしてこようとしてこなかった私のそばでずっと寄り添ってくれた人。
貴方の愛に恥じない私でありたい。
今、迷わず私の手を取ってくれるこの手が他のだれかを選ぶようになる。もしかしたら、その相手はお姉様ではないのかもしれない。でも、きっとそう遠くない未来だ。
そのときまでに、貴方にもらった優しさを返していけるだろうか。
今の私では、子供過ぎて対等になんか全然なれない。守ってもらって、甘えるばかりではなくて、淳お兄様を支えることができるような人間になりたい。
この感情が、何なのかわからないけれど。いつか、必ず追いついて見せるから、だから。
あと、少しだけ。
結局、私が泣きやむまで、淳お兄様はずっと、黙って手を握ってくれた。
■ □ ■
家に帰ると、玄関に仁王立ちで姉が立っていた。
「あなたを待っていたのよ。今日は、貴方の誕生日だから、早く帰ってきてねっていったのに」
そうか、今日は、私の誕生日だったのか。ということよりも、姉が、あの姉が――我慢何て知らない桜姉様が、待っていた。私のために。という事実に驚く。
おかげでまた、涙腺が緩みそうになる。
まだ、間に合うかな。私は、貴方たちの家族になれるだろうか。
「おかえりなさい」
私を待っていたせいで、お腹がすいているからか、ふてくされたように妹が――桃が放った一言にはっとした。
ああ、そうかもしかして私は――、記憶を取り戻してから一度もこの言葉を言ったことがなかったのかもしれない。
「……っただいま」
以上で、小学生編は終わりです。次話から、中学生編に入ります。