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夏休みがその後、どうなったかというと、誘拐事件とそれに纏わる淳お兄様との喧嘩以外は対して事件もなく終わった。外出禁止令のおかげで、その間開催されたパーティに行かずに済んだのはとても有難いが、絵日記の半分は結局ほぼ庭の草木のことばかり書いて終わった。
「ごきげんよう楓様」
「ごきげんよう、美紀さん、遼子さん」
始業式が終わり、久しぶりに美紀ちゃんと遼子ちゃんと会話に花を咲かせた。
久しぶりに会う美紀ちゃんと遼子ちゃんはそれはもう可愛らしかった。だが、相変わらず様呼びは改めてもらえないし、きらきらと眩しい瞳も引っ込めては貰えない。
今年の運動会こそ、この二人と友達になりたいな。去年の運動会は……、またもや放送係の先輩方に絶賛された、とだけ言っておく。今年は、放送係に目をつけられることなく、普通に活躍したい。
「ところで、楓様、児童会室に行かれなくてもよろしいのですか?」
美紀ちゃんに問いかけられて、はっとする。しまった!忘れていた。今年度の運動会は、例年よりも一週間早く行われるのだ。だから、運動会の話し合いをするため、始業式の後、すぐに児童会室に集まらなければならなかったのだった。
「……おい、道脇」
怒りを含んだ声に思わず振り返ると、そこにいたのは前川だった。何時までたっても児童会室に来ない私を迎えに来させられたらしい。久々に会った前川はそのことを差し引いても、ものすごく不機嫌だった。児童会室への道すがら訳を聞くとどうやら、前川の兄である一樹様の婚約者が決まったらしい。そのイライラは交換日記にまで現れており、その婚約者の気に食わないこと、例えば、お辞儀の角度が一度高いなどといったことが書かれていた。しかしながら、どれもただの難癖を付けているだけでは?と思わないでもないことばかりで、とにかく、前川がその婚約者を気に入らないことが見て取れた。
そのイライラに付き合わされる赤田は大変そうであり、今回ほどクラスが離れていてよかったと思ったことはない。
しかし、これで前川が女性に対して気にする点の情報を得られたわけだ。夏休みは上手くいかなかったが、これを基にして何とかして妹と前川をくっつけたい。
それにしても、婚約者か。もう、婚約者が決まるとは、名家の跡取りは大変だ。
■ □ ■
運動会まであと一週間を切った日、祖父から呼び出された。
本来なら、外出禁止令が解けていない私は、習い事や学校以外での外出は認められていないのだが、
道脇家家訓その一 祖父の言うことは絶対
なので、私は今、道脇家本邸に来ている。一応、隠居した身でありながら、こうも権力を持つのはいかがなものか……と思いかけて、閃いた。なるほど、これが院政か。
祖父の元へ向かう途中で中原撫子と出会った。何かと本邸に入り浸っている彼女だが、今日はいつもと様子が違った。出会うなり私をキッと睨みつけて
「これで勝ったと思わないことね」
と言って去っていったのだ。いつもなら、自分の優秀さや、それと比べて私の劣っているところを上げ連ねる彼女との会話は十分はかかるのだが、今日は一分もかからなかったのだ。
そのことに疑問を抱きつつ、襖を開けた。
祖父の用事は何だったかというと、ただのお小言だったようだ。私の水泳教室での成果から、最近のテストの結果まで全て祖父の元に渡っているらしく、それについてつらつらと並べ立てられた。
おそらく、誘拐事件の軽率さについて叱られるのではと思っていたので拍子抜けした。どうやら、父と母は誘拐事件のことは隠ぺいしたらしい。ほっと一息ついたところで、しかし、爆弾が落とされる。
「ところで、お前、淳を好いとるらしいな」
「……はい?」
「惚けても無駄だぞ。とある筋からの確かな情報だからな」
惚けているわけではないんですが。
どこから漏れたその情報!私が、淳お兄様を好きなこと(設定)は前川しか知らないはず。まさか、これがよく言う、絶対秘密だよ♡とかいった翌日に、クラス中に広まっているというやつだろうか。
……っていうか、淳お兄様にまで伝わってないよね?ないよね?
考えるだけで、胃が痛くなってきた。
「……で……であるからして…………を」
いや、そういえば私は、前川に口止めをするのを忘れていた。でも、普通、好きな人って秘密にしておくものではなかろうか。そういえば、前川は恋愛偏差値が低いのだった!くそう、私のミスか!
「聞いておるのか」
いえ、全く。正直にそう言う訳にもいかないので、とりあえず、はいと返事をしておく。
「では、わかったな。淳の婚約者の件だが」
あーなるほど。本日呼ばれたのは、どうやら淳お兄様の婚約者の件らしい。そういえば、『長女のキミ』でも婚約者が決まるのは、一樹様と同じく、淳お兄様が中学一年生だった気がする。もちろん、その相手は私の姉だ。婚約者にも関わらず、微妙な距離感を取ってきた二人が、淳お兄様が大学生になったのを機に、私の父の元で仕事の手伝いをするため、一つ屋根の下で暮らすようになってから、じりじりと距離を縮めていく……というのが、『長女のキミ』のあらすじである。
つまり、祖父は、私に、その初恋叶わないよということをわざわざ伝えるために呼び出したことになる。
父と同じく氷のなんとか――具体的な二つ名が何だったか忘れた――などという名で呼ばれている割に、案外優しいところもあるらしい。
……なんて、ことを考えていた私に、祖父は衝撃的な言葉を投げかけてきた。
「婚約者はお前にすることにした。これからは、そのつもりで扱うのでより励むように」
……婚約者はお前
……お前?
周りを見渡したが、当然ながら祖父の目の前にいるのは私だけだ。
いやいやいやいや。
「………………え?」