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思い出してから、貴方のことを忘れた日はない。いつも貴方の夢をみる。
「置いていかないで」
そばにいて。離れないで。けれど、なんといっても、貴方はただ困ったように微笑むばかりだ。あの日見た貴方は幻だったのだろうか。艶やかな黒髪も、薄く色づいた唇もすべてこの目に焼き付いているというのに。
ーーピピピピッ
アラーム音に目を覚ます。そして夏休み中のいつものように二度寝をしようとして、日付を確認し、ガバッと飛び起きた。
……危ない。今日はリカちゃんと約束があるのだ。急いで支度をして、階段をかけ下りる。
リビングへ行くと、すでに淳お兄様は朝食を済ませた後のようだった。淳お兄様は、今年も私たちと一緒に別荘で過ごしている。去年は、夏休みの半分を道脇家の本邸で過ごされていたのだが、ドキドキ☆恋の鞘当て~夏の陣~に巻き込まれるのが嫌なのか、今年は夏休み期間ずっと私たちの別荘に滞在することになったのだ。
「今日は、お友達とかき氷を食べに行くんだってね。この前のように虫歯にならないようにね」
先日、前川に更に恋愛の良さを伝えるべく、恋愛映画を見に行ったのだが、その帰りによったカフェでケーキをたくさん食べて、歯磨きを忘れて寝てしまった私は、虫歯になってしまったのだ。そして、淳お兄様おススメの歯科にいったのだが……その時のことを忘れることはきっとないだろう。
「……ハイ」
あまり深くは思い出したくはないので、私は一生歯磨きを忘れないことを心に誓った、とだけ言っておく。
「駅まで送るよ」
駅は別荘からそう遠くない場所にあり、徒歩でも十分いける距離だ。リカちゃんとは駅で待ち合わせている。
「大丈夫ですよ、私もう三年生ですよ。自分で行けます」
そう強く主張したが結局淳お兄様に流されてしまい、送ってもらうことになった。
「じゃあ、帰りも駅に着いたら連絡してね」
「はい。送ってくださって、ありがとうございます」
淳お兄様と別れ、リカちゃんと合流し、目的のかき氷店へ向かった。
■ □ ■
かき氷にシロップを掛けながら、リカちゃんはため息をついた。
「でねぇ、陸ってばさぁ……」
ちなみに陸とはリカちゃんの彼氏の名前らしい。――などということは一先ず置いておくとして。
これが私が夢にまで見ていたガールズトーク!
恋愛論から始まったガールズトークの内容は、私には若干高度すぎるけれど、そんなの全然問題ない。重要なのは、自分がガールズトークに加わっているという事実なのだ。
「うん、うん、わかるよ」
シチュエーションにニヤニヤしていると、ちゃんと聞いてる?、とリカちゃんからご指摘が入ってしまった。
リカちゃんの話をまとめると、陸くんは誰にでも優しいらしい。私は、それはとても素敵なところだと思ったけれど、どうやらリカちゃんにとっては違うらしい。皆に優しい陸くんを好きになったけれど、陸くんには自分にだけ優しくしてほしい。矛盾しているけれど、そこが恋する乙女の気持ちらしい。
なるほど。勉強になります。
「それで、楓ちゃんはどうなの?好きな人とかいるの?さっき、楓ちゃんと一緒にいた人とかは?」
純粋な目で聞かれて、思わずたじろいだ。たぶん――というか、十中八九淳お兄様のことだろう。私の設定上では、淳お兄様に恋をしていることにはなっているが、実際には初恋もまだの身だ。
「好きな人はいないかな……」
正直に答えると、リカちゃんは恋の素晴らしさを力説し始めた。
「勿体ないよ。恋って、ほんとに凄いんだから。恋をするとね……」
年下の女の子に恋を説かれるというのは若干、情けないでもないが、私の目標はバリバリ稼ぐエリートになることなのだから、恋は別に問題ないのだ。そう主張すると、一つため息をつかれた。
「楓ちゃんは、子供だね」
いや、リカちゃんも小学二年生だよ!年下の子に子供扱いされるのはさすがに辛い。っていうか、リカちゃんはなんでそんな酸いも甘いも噛み分けたような顔をしてるんだ!!私の周りには早熟な子しかいないのか!!
――なんてことがありつつも、私たちは楽しくかき氷を食べ、また駅で別れた。
ちなみに、今日の午後は花火大会がある。折角できた友達であるリカちゃんともっと親しくなるチャンス!と思ったが、リカちゃんは彼氏といくらしい。誘ったときに、若干憐みの眼で見られたが、気にしない。小学生で彼氏がいるリカちゃんがおかしいだけで、私は普通だから!全然、いや、本当に全然羨ましくなんてない。
それに、花火大会にいってもいいという許可を淳お兄様から貰っただけでもラッキーだろう。もちろん、淳お兄様と一緒に行くなら、という制限付きだけど。リカちゃんと一緒なら、この条件を外せるかも、と思ったのでそこだけが残念だけれど。
それにしても先日は前川を恋愛脳にするために映画にも行ったし、今年の絵日記は苦労することなく埋められそうでとても嬉しい。去年は、前川しか友達がいなかったし、三分の一を過ぎた辺りで書くネタが尽きて、途中からエア友達との架空の日々を創作し始めていたけれど、この調子だと三分の二は普通に埋められそうだ。
それにしても、どうしようかな。淳お兄様は駅についたら連絡するようにと言っていたけれど、帰る予定の時間よりも二時間早く駅についてしまった。別荘から近いとはいえ、淳お兄様が何か用事の最中だったら申し訳ないし、少し駅で時間を潰そう。
淳お兄様の言いつけ通り、決して駅から外へ出ずに待っていると、声を掛けられた。
「こんにちは。お嬢ちゃん、お菓子は好きかな?」
優しそうな顔のおじさんだ。
「はい。大好きです!」
私の血液はお菓子でできているといっても過言ではないほど、お菓子は大好きだ。満面の笑みで頷くと、おじさんもにっこり笑った。
「おじさんは、お菓子屋さんをやってるんだ。これ、新作のクッキーなんだけど、よければお試しで食べてみて、感想を聞かせてくれないかい?」
お試し……つまりは無料!無料でお菓子が、しかも好物のクッキーが食べられるのに、私が断る理由はない。
「もちろんです!!」
クッキーを貰い、口に運ぶ。バターの香りと、さくっとした触感が口の中に広がった。
「とってもおいしいですよ」
そういうとおじさんは嬉しそうに笑って、お代わりを勧めてきたので、有難く頂く。
すると、
「あれ……」
なんだか、眠いというかふらふらする。視界がぼんやりとして定まらない。
「大丈夫かい?」
大丈夫じゃない。そう返事をする前に、私は意識を失った。
■ □ ■
私が意識を戻すと、そこは廃墟の中でした。
椅子に座らされ、手は後ろで縄のようなもので縛られている。
……うん。馬鹿な私でも流石に気づくよ。誘拐されたんだって。
大方、さっきのおじさんに貰ったクッキーに眠くなるような薬が入っていたのだろう。そんな即効性の都合のいい薬があるのか?と思わないでもないが、何せここは漫画の世界。なんでもありなのだろう。
しかしながら、見た目が華やかな姉や妹ならともかく、一見地味な子にしか見えない私が、実はお嬢様だとよく気がついたな。おじさんの観察眼は、なかなかのものなのでは?もしくは、道脇家に恨みがあるのかな?
そんな私の疑問の答えは、私に背を向けて誰かに電話をしているおじさんからもたらされることになる。
「……ああ。なるべく馬鹿そうな子を選んでおいた」
な、なんですとー!言うに事欠いて馬鹿とは。事実だけど。まだ寝たふりしてるけど、しっかりばっちり聞こえてるんだからな。覚えてろよ!
しかしなるほど。このおじさんの言葉によって、道脇家への私怨ではないことは確定したわけだ。私が誘拐されたのは本当に偶々らしい。
っていうか、誘拐されて何分経ったんだろう。できれば淳お兄様にバレる前に脱走して、何事もなかったように花火大会に行きたいんだけれども。
それにしても、縄抜けの授業ちゃんと聞いていてよかった。こんなことして意味はあるのか?と思っていたけれどばっちり効果があったようだ。
――後ろで縛られている手の縄を寝たふりをしながら解いていると、思わぬ刺客が私を襲った。
ぐーぎゅるぎゅるぎゅる
私に背を向けて電話していたおじさんが振り返った。
――しまった!かき氷食べ放題で食べ過ぎた!!