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前川をパーティ会場で救出するには、それなりの地位の家柄でないといけない。逆にいえば、私である必要はない。私がただの友達で、美人でも可愛くもなく、愛嬌もないため恨まれる。つまり、地位がある家柄出身で容姿に優れ、前川にとってのポジションがお嬢様方が諦めざるを得ない人物であればなんの問題もないのだ。
そんな人物いるわけがない?いや、ただ一人いるのだ。
その人物の名は――道脇桃。つまり、妹だ。妹と前川をさっさとくっつけてしまえばよい、というのが私の閃いたアイディアだった。
容姿は、少女漫画のヒロインなのだ。当然可愛い。家柄は、言うまでもない。問題なのは、二人の今の関係性が顔と名前は知っている、程度だということだ。
折角前川とは友人関係なのだ。これを利用しない手はない。
――例のパーティの翌日から、私は交換日記を使って妹のプレゼンを始めた。
妹は何が好きかから始まり、妹はどんな性格なのか――普段会話がほぼないので大体は漫画からの知識だが――できる限り妹に好感を持ってもらえるように事細かに書いた。
しかし、それに対して返ってきた返事は
『道脇はシスコンなんだな』
の一言だった。いや、もっと他にあるだろ!前川は成績はいいらしいが、恋愛偏差値は絶対に低いに違いない。いや、もしかして他に好きな人がいるとか……?そう思い、交換日記に質問したが
『そういうのに興味がない』
だった。何たることだ!そんなことでは困る。私は、放課後いつものように隣のクラスに行って前川に交換日記を手渡した後、体育館裏に引っ張っていった。
「何なんだ、いきなり」
「前川様は、とても勿体ないことをしている、という話です」
私は、恋の素晴らしさを力説した。曰く、恋をすると世界が色付くだの、その人が何をしているか想像するだけで、毎日幸せな気分になるだの。全て、少女漫画からの受け売りなのが残念なところだけれども。
前川は興味がないといった割には、私の話を最後まで聞いてくれた。しかし、思わぬジャブが前川から放たれる。
「そういうお前はどうなんだ」
「……え?」
「それほど素晴らしいものなんだ。好きな人がいるのか?」
ぎくっ。全くそういう返しが来ることを想定していなかったので、焦る。まさか、他人に恋を勧める人間が実は初恋もまだなんです、なんて言うわけにはいかない。
「……い、いますよ!もちろん、好きな人の一人や二人」
「本当か?」
じっと前川に見つめられ、たじろいだ。
「ええ、もちろん。私の好きな人は、とってもかっこよくて、優しくて、背も高くて、運動ができて……、とにかく素敵な人ですよ」
如何にも嘘っぽいがこれで通すしかない。
「で、そいつの名前は?」
名前まで考えてなかった。くそ、誰か同じクラスの男子の名前でも挙げるか?いや、そもそもそこまで完璧な男子いただろうか。いるのかもしれないが、女の子でさえ美紀ちゃん遼子ちゃんと友達になれるかな……というコミュニケーション能力の私が、まともに男子と交流しているはずがなく、全くもって思い浮かばない。
――どうする?このままでは嘘がバレてしまう。
いや、同じクラスではないが、一人いた。
「……淳お兄様です」
我ながらナイスアイディアだ。淳お兄様以上に素晴らしい異性を私は知らない。
「私は、淳お兄様が好きで好きでたまらないのです」
淳お兄様の素晴らしいところをひたすら上げ、私が淳お兄様以外眼中にないことをアピールする。そして、私たちは友達ですよね?と念を込めて確認しておく。
大切なのは、共通認識だ。普通、友達に好きな人がいることを知っていて、それを壊すようなことはしないだろう。だから、ここで前川に私が淳お兄様に熱烈に恋をしているということにしておけば、万が一、前川との婚約話が持ち上がっても断ってくれるはず。後は、原作と違って私が淳お兄様を好きにならなければいいだけの話だ。
「そうなのか」
全てはでっち上げだが、前川は私の言葉に納得してくれたようだ。
「俺に任せておけ」
「よろしくお願いします!」
これで、前川と婚約話がでることはあるまい。それに、恋愛への興味も持ったはずだ。
――しかし、この会話のせいで、事態は思わぬ方向へ転がることとなるとは私は、少しも想像していなかった。
■ □ ■
事件は、五月に行われたパーティで起きた。
今回は、前川はお嬢様方に取り囲まれていなかった。それよりも先に、淳お兄様の元へと向かったからだ。……あの二人仲が良かったっけ?と疑問に思ったが、もしかしたら前川の兄であり、淳お兄様の親友である一樹様繋がりで仲良くなったのかもしれない。
そんなことを考えながら、ぼうっと突っ立っていると、前川と談笑していたはずの淳お兄様が、急に私の方へ向かってきた。
……?どうしたのだろうか??
「どうしたの、楓。彼から聞いたのだけど、話があるんだってね」
直接言ってくれればいいのに、と淳お兄様は微笑んだが、私は前川にそんなことを頼んだ覚えはない。
淳お兄様の肩越しに前川を見ると、前川は生温かい目で私を見ていた。
――まさか!任せておけ、というのはそういう意味か!!
違う。私は淳お兄様との仲を取り持ってほしいわけではないのに。ただ、いつか婚約話がでたときに断ってくれればいいのだ。そして、私がお嬢様方に呪い殺される前に妹とくっついてほしい。
私が思わず、固まっていると、前川は仕事をやりきったぜ、あとは頑張れよ!というような顔をした。
きっとあいつの眼には、好きな人と喋れて舞い上がっている女の子に見えているに違いない。そう考えると、急に恥ずかしくなってきた。何だか、体中が熱い。
「あ、淳お兄様」
淳お兄様相手に声がひっくり返ったのだって初めてだ。くそう!何で、淳お兄様と話すだけなのに、なんで、こんなに恥ずかしい思いをしなければならないんだ。
「大丈夫?楓、頬が赤いよ」
淳お兄様が心配そうに私に近づいた。改めて見ると、淳お兄様は本当にカッコいい。中学生になってよりのびた身長も、長い睫毛に、吸い込まれそうな瞳も、すっと通った鼻も、そして何より形のいい唇も。何か、ドリンクを飲んだ後なのか、濡れた唇はより色っぽい。目線が自然と、唇にひきよせられ――
「う、うわああ!」
「楓!?」
さっきから私は、何を考えているんだ!これではまるで変態じゃないか!
急いで私は淳お兄様から距離を取った。
「楓、本当に大丈夫?」
大丈夫じゃない。全く大丈夫じゃない。でも、淳お兄様に、実は私変態なんです、何て告白するわけにもいかず、
「か、風邪をひいたみたいで、あ、淳お兄様にうつしてはいけないので、失礼します!!」
そう叫んで、パーティ会場から逃げ出した。
■ □ ■
私の淳お兄様への緊張は、しばらく続いた。私は、これを克服するために、以前淳お兄様と一緒に撮った写真と見つめあうという特訓を行った。
その特訓のおかげで、二か月も経つと、淳お兄様に対して変に緊張することも無くなった。
オーケー、もう大丈夫だ。きっと、よりカッコよくなった淳お兄様に耐性がついていなかった、それだけの話だ。自分が変態ではなかったことに一安心する。
しかし、そんなことをしているうちに一学期が終わってしまった!でも、前川との婚約話のフラグが折れたことはかなりの成果と言えるだろう。だが、前川をパーティの度に救出する役目が消えたわけではない。
どうにかして、妹と前川を早いところくっつけてしまいたい。運命の赤い糸で結ばれた二人なのだ。きっと、きっかけさえあれば、簡単に恋に落ちるはず。
――やはり、どうにかして妹に食パンをくわえさせて、前川とぶつからせるしかないか。
問題は、恋に落ちる定番のシチュエーションをどうやって実現させるか、だ。そもそも前川と妹は車通学なので実現はかなり困難だが、夏休みの間に作戦を練って、頑張ろう。