18
その数日後、淳お兄様に連れられたのは、遊園地だった。てっきり、淳お兄様のイメージからして、博物館か美術館だと思っていた。前世を含めて、お正月シーズンに遊園地に行ったことが無かった私は、それはもうはしゃぎまくった。
身長制限に引っかからなかったジェットコースターにすべてのり、コーヒーカップをぐるぐる回し、前世では恥ずかしくて乗れなかったメリーゴーランドにも乗った。そのすべてに淳お兄様は付き合ってくれた。
「あっ。淳お兄様、あれやってもいいですか!」
そう言って、私が指さしたのは遊園地内にあるゲームコーナーのミニゲームだ。そのルールは、五百円で球を三球貰い、的の真ん中に当てられたら景品でぬいぐるみが貰えるというシンプルなものだった。
「……」
「淳お兄様?」
淳お兄様からの返事がない。そこで私は、はっとした。そういえば、お正月前に淳お兄様に最後に会ったのは、私がさんざんやらかし、今悩む原因にもなっている運動会だったのだった!もしや、淳お兄様はあの失態を思い出されてるのでは……?
心配になって淳お兄様を何度か呼ぶと、淳お兄様はようやく返事をしてくれた。
「ああ、ごめん。……懐かしいなと思って」
「懐かしい……?」
何かこのゲームに思い入れでもあるのだろうか。少なくとも、私の失態を思い出しているわけではなさそうだ。
淳お兄様は、私の質問には答えず柔らかく微笑んだ。
「楓、少し遅いけれど昼食にしようか」
■ □ ■
淳お兄様が口を開いたのは、淳お兄様のおごりで私がスペシャルお子様セットを食べ終わり、食後にオレンジジュースが運ばれてきた時だった。
「今日、ここに楓を連れてきたのは、この遊園地が初めて僕と一樹がまともに話した場所だったからなんだよ」
淳お兄様と一樹様は同じ学園に通われているから、まともに話す機会など学園であるはずだけれど、それ以前に出会ったということだろうか。
「それが違うんだ。僕たちは、学園に入学してからすれ違ったら挨拶くらいはかわすけれど、その程度の仲だったんだよ」
ええ!これはかなりの驚きだ。私は、前川の兄である一樹様と詳しくお話したことはないが、一樹様といえば、淳お兄様と親しいどころか、大親友と言っても過言ではないはずで、淳お兄様から何度もお話を伺っている人のはずだった。
それから淳お兄様が話す話は、私の知らない淳お兄様の姿だった。
「一度だけ、話そうとしたことがあるんだ。けれど、その時に他のクラスメイトに家の為とか、何とか言われてね。今だったら全く気にしないし、本当に子供っぽいと思うのだけれど――当時はそれがすごく嫌で、もう二度と必要以上にかまわないぞ、って思ったんだ。特に僕はそれまでとても甘やかされていたから、余計に子供っぽかったところもあったからね。お爺様は、今ではあの通り怖い人だけれど、何て言ったって僕は初孫だったから、当時――そうだね、丁度今の楓の年齢まで、すごく甘やかされてきたんだ」
私は、自分が三歳だったころをあまり覚えていない。
――祖父のあの眼光が緩められることはあるのだろうか……。けれど、氷の帝王なんて呼ばれているくせに姉や妹の前ではその顔を崩す父を思い出すと、淳お兄様の前では似たような顔をしていたのかもしれない。その顔が、想像できるような、できないような。
うんうんと私が唸っていると、淳お兄様はそんな私を見て少し笑って話を続けた。
それが、ある日――淳お兄様が小学一年生のときの元旦、変わったのだという。
道脇家現当主である、私の父の三人目の子供である妹が生まれて、もうすぐ一年という年の、元旦に、祖父は今後淳お兄様を道脇家次期当主として扱うと宣言したのだ。
それまで甘かった祖父はそれ以来、その宣言通り、道脇家の次期当主として淳お兄様を扱うようになり、今までとは打って変わってとても厳しくなったこと。当主になりたいと思ったことも無かったのに、自分の将来を勝手に決めて厳しくなった祖父に、とても腹がたったことを淳お兄様はうすく微笑みながら話した。
「淳お兄様が怒ることってあるんですね」
「もちろん、あるよ。聖人じゃないんだし、それに今よりももっと子供だったから――反発心もすごく強かった。特に僕には将来の夢があったから、余計にね」
「将来の、夢……?」
私が尋ねると、淳お兄様は顔を赤らめた。そんな顔を見たのは、初めてだった。いつも堂々としてる淳お兄様でも照れたり怒ったりするんだ。
「楓の年齢の頃、僕はね、ヒーローになりたかったんだ」
淳お兄様は、照れているせいか、少し早口でそういった。
確かに、日曜の朝9時からやっているようなヒーローに小学一年生の男の子だった淳お兄様が憧れてもおかしくない。それにしても、あの頃の淳お兄様がそんなことを考えていたなんて夢にも思わなかった。
まあ、それはおいといて。淳お兄様は話を続けた。
「あんまりにも腹が立ったから心配させてやろうと思って、僕は三が日のあれこれで皆が忙しい隙をついて、この遊園地に一人で遊びに来たんだ」
もちろん、後でこれ以上ないほど怒られたけれどね。と淳お兄様は付け足した。まさか、淳お兄様がそんなことをしていたなんて。思ってもみなかった。
「その日にこの遊園地で一樹と出会ったんだ。……さっきのあのミニゲームの場所でね。これは、後から一樹も言っていたけど――最初は、人違いだろうと思ったよ。まさか前川家の跡取りであるはずの彼が、こんなところに一人でいるはずがないって」
人違いじゃないとわかった二人は、何となく一緒にミニゲームをやったり、一緒にアトラクションに乗ったりするうちに、ぽつりぽつりと互いのことを話すようになったのだという。そのうちに、同じような悩みを持って家を抜け出してきたこと、将来の夢だったもの、好きな本、などで意気投合したのだという。
「この前は、恥ずかしくてついなんとなくといったけれど、きっかけはその日だったんだ。それから学園ですれ違って挨拶をするだけではなくて、親しく話すようになった。――もちろん、僕たちの関係を利害関係……一緒にいると得をするからだと思っている人だっていなくなったわけじゃない。でも、前よりも気にならなくなるようになった。そんなことを言う人を気にするよりも、僕は一樹と話したいと思うようになったから」
淳お兄様は、そういって笑った。
「だからね、楓。もしも気になる子がいるのならその子と近づいて見るのもありかもしれないよ。近づいて初めて見れる一面を持っているかも知れないから。――なんてね。偉そうなことを言ったけれど、楓が思うようにするのが一番だと思うよ」
どうして、淳お兄様には私の悩み事が全部ばれてしまうのだろう。
「いいえ、淳お兄様。とても勉強になりました。お話してくれて、ありがとうございます」
とても、勉強になったし、それになにより今まで知らなかった淳お兄様をたくさん知ることができた。そういうと、淳お兄様はまた照れたように笑った。
「少しは、役に立てたのならよかったよ。それじゃあ、行こうか。まだ乗ってないアトラクションもいくつかあるし、それも乗るだろう?」
「はい、もちろんです!」
その後、私たちは閉園時間まで遊園地をたっぷり満喫してから、帰宅した。
■ □ ■
――そして、ついに三学期初日、私は前川を呼び出した。
「前川様、この前は話の途中で置き去りにしてすみませんでした」
冬休みの間に考えたことは、まずは私は前川に謝らなければならないということだった。美紀ちゃんや遼子ちゃんに友達になろうといって、走って逃げられたら私は一か月は寝込む自信があるし、先延ばしにされた返事を聞くまで夜も眠れないだろう。そこまで傷つけたかは、わからないが、私が前川にとても失礼なことをしたのは事実だ。
「……それは、別にもういい。俺も、突然すぎた」
「それで、例の件なのですが」
休みの間いっぱい考えた。私は、どうすべきなのか、何をしたいのか。
「喜んで友達になりましょう。しかし……、手順を踏むべきだと思うのです」
その結果、一先ず前川を知ることにした。前川と必要以上に関わることが、私にとって良いことなのか悪いことなのかはわからない。私は、漫画が始まる前の前川を知らない。正直言って、目つきが悪いことと、仮にも女の子を下痢女呼ばわりする――いや、一般の小学生はそんなものだろうか――、あとは、可愛いものを好きなことくらいしか知らない。判断するには、情報が少なすぎるのだ。もしかしたら、仮に友人関係が築けたとしても、漫画が始まるころにはすべてなかったことになってしまうのかもしれない。
――それでも、それはそれとして。まずは、知ることから始めようと思ったのだ。
そのために、私はこの方法を選んだ。
「手順……?」
不思議そうな顔をした前川を尻目に私は、今日この日のために買ってきたノートを取り出した。男の子が使ってもおかしくないようノートの柄は青のストライプにした。
「まずは、交換日記から始めましょう!!」
「交換日記って今どきどうなんだ!今の時代は、平成だぞ!!」
前川は、一瞬虚をつかれた顔をした後、すぐに突っ込んできた。なるほど、前川にはツッコミ属性があるらしい。知らなかった一面を新発見だ。淳お兄様の言っていた通りだった。
「私たちの間には圧倒的に会話が足りないんですよ!二週間に一回生徒会の用事でしゃべるかしゃべらないかだった私たちがいきなり親しい会話なんてどう考えたって無理です!!」
私がそう強く主張すると、前川はしぶしぶ頷いた。案外押しに弱そうだ。一樹様と淳お兄様は双方に技術があったからできたのであって、私にそんな高等技術はない。
「確かにそう、かもしれない……」
「ですから、まずはこの日記を使って、
『日記を持ってきたよ』
『ありがとう』
『次はよろしくね』などといった簡単な会話から始めましょう!」
それから、私たちは交換日記を始めた。始めはお互いに好きな色、好きな食べ物など無難なことしか書けなかったが、三週間も過ぎると多少はくだけたこともかけるようになっていた。
入学当初から、親しいどころか何かとトラブルがあった私たちが交換日記をしているという噂はあっという間に広まり少々恥ずかしい思いをしたものの、一か月を過ぎるころには皆が慣れ、特に何も言われなくなった。
――そして、三学期が終わるころには、交換日記が無くてもそれなりに会話をするようになり、私は初めての友達を手に入れたのだった。