13
「お前……」
前川が何かをいいかけたようだが、無視をする。最後まで聞いている暇はないのだ。余計なことをヤツが口走る前に、腕を掴んだ。
「とにかく、一緒にきてください」
──げ り お ん な
大魔王様が、私を見た瞬間確かにそう言おうとしていた。危ない。危なすぎる。ただでさえ、ぼっちなのに、私が極度の下痢をもちだと勘違いされたら余計に女の子たちが近寄りがたくなってしまうじゃないか! このままでは、ボッチ界のエリートとして間違いなく出世してしまう。それはいけない。私は、『友達?ああ、100人くらいかな?』、と某有名なあの歌のように友達をたくさん作り、可愛い女の子たちと青春を謳歌したいのである。確かに、前川の発言を聞けば、遼子ちゃんと美紀ちゃんはあのきらきらと眩しい瞳を引っ込めてくれるだろう。だが、それと引き換えに大切なものを失うことは明白だった。
一学期に使用した教室はもう改装されていて使えそうになかったので、とりあえず、目立たないように階段の脇まで引っ張った。いくら久しぶりに見る前川がいるからといっても、夏季休暇明けというのは友人たちとつもる話があるだろうから、気にはとめてもそこまで大事にはならないはずだ。廊下に出ている生徒は少ないし、その生徒たちからも距離が離れているので大丈夫だろうと信じたい。
「で、話とはなんだ。下痢女」
おのれ、お姉様方め。しっかりバッチリ大魔王様にも伝わってやがる。と、いうことは必然的に赤田もだろう。
ヤツの方はまだ、きていないようだった。大魔王様と違って話が通じやすそうなタイプではあるけれど、油断はできない。とっとと、大魔王様と話をつけ、赤田が登校してきたらすぐに話を付けよう。
「……前川様」
「なんだ?」
私は透明な袋にブルーのリボンをつけたものをポケットから取り出した。鳳海学園では、始業式等の式典は礼服を着用することが義務付けられている。いつもと勝手が違い、少々、手間取ってしまった。ラッピングにも時間をかけたというのに少しよれてしまったが、まあいい。大切なのは中身である。
ぐい、とそのまま袋を押し付ける。
「そちらは差し上げます」
袋の中には私が寝不足になってまで仕上げたブツ(クマ)が入っている。確か、夏季限定で発売されていたものを必死に頭の中で思いだし、作ったものだ。限定品ということで、ビーズがところどころ使われており、それが一層可愛らしくみせるのだけれど、夜中の作業にはきつかった。何度、船をこぎかけたところでぶすっと、指に針がつきささったことか。だが、その甲斐があったようで、前川の視線はクマに釘付けになっている。そうだろう、そうだろう、私も前世ではこれを買うためだけに朝一で店に並んだものだ。
「何か……」
前川が怪訝そうな顔をしたので、ぐいぐいと押し付けながら一気にまくしたてる。
「代わりに何かを頂きたいということではありません。私のお腹がゆるいという、誤った認識をただして頂きたいのです」
私が緩くて弱いのは頭だけであって、腹ではない。
「わかった」
前川は口先ではそう言っているものの、頬がぴくぴくと動いている。にやけるのを必死で我慢しているようだ。本当に大丈夫かなあ。とはいえ、こちらとしてはその言葉を信じるしかない。
「よろしくお願いいたしますね。お時間を頂き、ありがとうございました。では、私は先に教室に戻ります」
にやけながら、ああ、と生返事を返した大魔王様を残して教室に帰る。教室に戻ると、時計はもう8時15分を回っていた。赤田はもう来ていたようだが、クラスの男子たちと夏季休暇の話に花を咲かせていた。さすがにあの中から連れ出すのは無理そうなので、赤田に話すのは放課後にするしかなさそうだ。でも、それまでに赤田が話してしまう可能性がある。思い出されることのないよう、私はなるべく教室の隅で、気配を消して過ごした。
■ □ ■
始業式は開会の挨拶のあとの長い校歌が終わった後、校長先生の有難いお話がある、が、今の私にはかなりピンチだった。小学生が長時間じっとしていられるわけがない。だから、あまり長くはならないだろうと考えた私が愚かだった。この学園は、普通の学園ではない。鳳海学園なのだ。ちらり、と横を伺うと身じろぎひとつせずみんな前を向いている。
「ふぅ――――」
深く息を吐いた私に一瞬驚いたような目を向けられた気がするが気にしない。耐えろ、耐え抜くんだ。あの針があと10進むまでには全てが終わっているはずだ。ここで倒れて、赤田が余計なことを思い出したらどうする。全てが台無しだ。しかし、ぎりぎりと拳を握って耐えている間にも、悪魔は私の耳元で囁き続ける。
――倒れても、思い出さないかもしれないじゃないか。
いや、だめだ。そんな保証はどこにもない。
――睡眠不足は肌に良くないよ。
肌のゴールデンタイムはとっくに過ぎている。
「えー、今日という日を全校生徒――……」
校長先生! その話題さっき話されました!! まずい、終わりが見えたと思ったら、最初の話題に戻る無限ループだ。
――もうあきらめたら?
私は、負けるわけには……。
「きゃあ!」
私が悪魔に絶対に勝つという意思を強めた丁度その時、悲鳴が上がった。女子生徒は、ふらりとよろけると、そのまま倒れてしまった。先生たちが生徒にかけより、速やかに担架で保健室まで運ばれた。その後は、ようやく校長先生の話は切り上げられ、始業式は終わった。
のちに聞いた話によると、その女子生徒は体育館で般若を見たのだとぶるぶると震えながら語ったのだという。そういえば、前日は一般的な夏季休暇最終日であったため、怪談などを特集した番組が放送されていた。私は、興味がなかったので見ていないが、姉は自分の部屋で「子供騙しだわ」なんてぶつぶつ言いながら結局チャンネルを変えなかったようだ。時々、私の部屋にまで悲鳴が聞こえてきた。それなりに視聴率も高かったようだし、それの影響かもしれない。
その余波として、一時学園内で七不思議なるものが流行ったが、二学期は行事の多い学期ではあるので、すぐに忘れさられることとなった。
■ □ ■
始業式の後、何とか赤田を呼び出すことに成功した。
「来てくださってありがとうございます」
「で、『放課後、体育館裏まで来られたし』なんていう古風な呼び出しをされる覚えがないんだけど。どうしたの?」
いちいち人の手紙内容を読み上げるんじゃない。私だって、最初は『体育館裏に来てくださいはぁと』、なんていう可愛らしい文を考えていたのだ。……書いて、気持ち悪すぎて速攻で破り捨てた。
それに、その手の内容だと、来てもらえない可能性が高いと思ったのもある。現に、私が手紙を放り込むために靴箱を開けたとき、多くのラブレターが落ちてきたのだ。どんなに誠意のある人間でもそれ全部には付き合えないだろう。――いや、淳お兄様なら付き合いきるかもしれない。
何か、目に留まってもらえるように……と、考えたとき、果たし状しか思い浮かばなかった。
「どうする? 果たし状ってことは、決闘でもする?」
赤田は、腕まくりをし始めた。なんで、そんなにノリノリなんだ。
名誉を回復する、という意味では決闘でもいいかもしれないが、あまり暴力的なことはしたくない。
「いえ、そうではなくて」
「……そうなんだ」
なんで、そんなにがっかりした顔をするんだ。やめろ、そんな目で見るんじゃない。そして、そんなキャラじゃなかっただろう。夏季休暇が明けたらなんか雰囲気変わったよねぇ、というパターンはよくあるが、これでは別人と入れ替わったのかと思うほどの変貌ぶりだ。それか、こっちが素なのか。悪いことはしてないはずなのに、罪悪感がのしかかる。
「あの……」
「する?」
「しません」
これは、早く解決したほうがよさそうだった。いろいろと私の心に悪い。
「そうではなくて。……誤解を解いて頂きたくて」
「誤解?」
「……その、私のお腹がゆるいという誤解です」
赤田は考え込むように唸ってから、ああ! と手を打った。
「たしか、主に高学年の女子生徒たちの間で流行っていた噂のことだよね」
「そのことです」
しまった。考え込まないと思い出さないレベルだったとは。墓穴をほったか。
とりあえず、これを差し上げるので黙っていて下さい、と紙袋を押し付けた。
「……ふ」
赤田が紙袋の中身をみて、目を細めた。中身は私が食べようと思って、大切にとっていたクッキーの詰め合わせが入っている。前川とは違い、何にすればいいのかわからなかったので、私が貰って一番嬉しいものにした。いらないなら、喜んで持って帰る。
「? なんですか?」
「いや、なんでもないよ」
何でもないという割には口角が上がっているので、全くそういう風には見えない。
「別に、誰かに言うつもりなんてなかったけれど、助かるよ。これ、ナッツが入っているクッキーだよね。前、食べられなかった分、最近ナッツをよく食べるんだけど、あまり食べすぎると家族に怒られるから助かるよ。貰い物なら……仕方ないよね」
ああ、それはわかる。前世で、なるべく食べないようにしていたけれど、一度食べだすと止まらなくて、ピーナッツを食べすぎてしまい怒られたことがある。それと同じようなことだろう。そういえば、本当に食べすぎると鼻血がでるのだろうか。
「僕は、元々言うつもりがなかったから、僕のほうが借りっぽいな。借りを作るのは面倒だから、僕も何かお菓子を送るよ。それで貸し借りは無しってことでいいかな」
どうやら、赤田は独自の理論があるやつのようだった。お菓子が無料で貰えるのに私が断る理由はない。
後日、赤田が送ってきたのはクッキーだった。クッキーにクッキーを返すとは、もしやこやつ、クッキー大好き隊の隊長の座を狙っているのか? ……と、若干疑いながらも、食べると、サクッとした触感と共にバターの香りが広がった。
おいしい、どころか、私の好みのドンピシャだった。
赤田……できる。
■ □ ■
何とか入学式を終えた数日後、姉から蝋で封をされた招待状を渡された。参加したら、今度こそ正式に生徒会執行部の一員になるというあれだ。
あの人も……姉さんも、来るのだろうか。
まだ、心の準備ができていない。
いっそ、休んでしまおうか。
そんなことを思い悩むうちに、当日になった。