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Sailor's Act  作者: 里崎
2/3

中編 \\ Attract

「動くな!」


鋭い声が空気を揺るがす。一斉に向けられる銃口。


不審な人影はそのときすでに、手近な男の両腕をひねり上げ、その後方に回りこんでいた。布に包まれた小柄な身体は、屈強そうな軍人の広い背中にあっさりと隠されて、周囲からの射線を完全に切る。


たやすく膠着した状況に、その鮮やかな手並みに、周囲の軍人たちが舌打ちを鳴らす。


「おい、あいつは何だ?! 司令部からの指示はまだか?」


「あんな仮想敵、今日の要項になかったよな」


「実弾に切り替えるか?」


せわしなく飛び交う混乱の声を、


『--あああ天谷(アマタニ)殿?!!!』


きぃん、と耳に痛い、盛大なハウリングが遮った。ひどい残響音が、周辺の金属装甲に染みいるように広がる。


マストに取り付けられているスピーカーから聞こえたのは、恐らくは本艦の艦長の声。その場の誰もがそれを確信できなかったのは、『不動の鉄壁』と恐れられる、厳めしい顔の軍幹部の、動揺のあまり裏返った声など、今まで、どの戦場にあっても聞いたことがなかったからで。


ガタンと、スピーカーの向こうから大きな物音。

それから、気まずそうな咳払いが一つ。


『大変失礼した、天谷殿。ようこそ、我が艦へ』


艦長よりも幾分冷静な挨拶をしたのは、艦長の指示の下で艦内戦闘員の指揮を執る、司令官の声。


甲板の端、()になっている男の背後から、ぬっと突き出る白い手のひら。その手が、幹部二人がいるであろう艦橋の方角に向かってひらひらと振られると同時、若い女の声が聞こえた。


「元気そうだね、じーちゃんども」


最新鋭の総合艦の全権を担う艦長と、数百人規模の三国合同部隊を束ねる司令官とを、謎の不審者はそんなふうに軽々しく呼ぶ。


スピーカーの向こうはしばらく押し黙ったあと、息を吸う音がして--司令官の声。


『全乗員に通達! 本日の演習予定を変更する! 仮想敵は一名。現在、前部甲板・左舷側にて第三小隊と交戦中。被害を最小限に食い止めることを主要任務とし、敵の捕縛は努力目標とする!』


続いて、通訳の声で、二か国語に訳された同様の指示が飛ぶ。

過去に例のない、あまりにも消極的な指示に、艦内のいたるところでどよめきがあがる。


間髪入れず、広い甲板に駆け込んでくる、いくつもの軍靴の音。


「なんだ?! 何が起きてる?!」


そう叫んで真っ先に顔を出したのは、左舷後方の警備を担当していた男。

前部甲板からの混乱しきった報告を咀嚼しきらぬまま、部下を引き連れ、主砲近くの02甲板から前部甲板を見下ろした。


彼らの目の前で、突然。

盾代わりになっていた男が崩れ落ちた。


さらに、その周囲で銃を構えていた全員が、一斉に崩れ落ちる。


目にも留まらぬ早さでその場の全員をあっさりと昏倒させ、ゆっくりと立ち上がったのは、中央に残った仮想敵、たった一人。潮風に大きく布をはためかせ、緩慢な動作で顔を上げた。


表情をひきしめた上官は、背後に控える部下たちに向けて叫ぶ。


「総員、配置に--」


言い終える前、上官の頭上に、踊る影。


「な」


数瞬前まで前部甲板の中央近くに居たはずの仮想敵は、人間離れした跳躍力で02甲板の欄干をあっさりと飛び越えて。

増援たちのすぐ近くに、音もなく着地する。


ライフル型のペイント銃を構えた近くの一人に、一瞬で肉薄し。

仮想敵はいきなり、自身より上背のある相手の身体を抱え上げ--そのまま船外に、ぽいと放り投げた。


はるか下方へと遠ざかっていく、驚嘆の声。

遅れて、ばしゃん、と小さな水音。


欄干近くにいた数人の目に、オレンジ色の救命胴衣がひとつ、波間に揺れているのが映った。


そして、仮想敵の手にはいつの間にか、彼から奪取したペイント銃が構えられていて。


ぱぱぱぱん。


ジグザグに走り、周囲からの射撃をかわしながらの発砲。

またたく間に、周囲の全員に鮮やかな青色を点けた。


あっさりと制圧された部隊を前に、暗い色の布をひるがえして、上官の男を振り返る人影。

これならどう、と言わんばかりに。


上官の冷静な目は--いっさいの動揺を見せることなく、照準器越しにその標的を見ていた。


互いに向けあう銃から、空薬莢が飛ぶ。


***


艦橋の一番上。

ところ狭しと配置されたアンテナ類の隙間。


揃いの軍服を着た数人の男女が、甲板で繰り広げられているその演習の様子を、思い思いの表情で見下ろしている。


ひゅう、と囃すような口笛を鳴らし、スキンヘッドの男が愉快そうに口角を吊り上げた。


『なんだありゃあ。トモリ、なんてもの雇ってんだ、オマエの国の軍隊は』


彼の隣。

長髪の男が藍色の目を細め、別の言語で言う。


『嘘くせぇ動きだ。さては大がかりなドッキリか?』


『この国の人間に、そんな小粋なジョークが用意できるとは思えないがね』


黙って肩を竦める二人。


逃げ惑う掃除夫たちを「がおー」と叫びながら楽しげに追いかけ回している仮想敵を見下ろし、


「あれは」


一人の青年が小さく呟く。その声は階下の騒動と潮騒の音に掻き消され、誰の耳にも届くことなく消えた。


足の間に立てたライフル銃を片手で握りしめ、ゆっくりと目を細める青年。


***


不意に大きく揺れる船室。

ぐらりと傾ぐ、グラスの液面。


船内構造図を広げ、額を突き合わせていた軍幹部たちは、突然の振動に数歩よろめき、慌てて艦橋窓に目を向ける。

先ほどまでほとんど静止していたはずの青空と海面が、あっという間に左右に流れてゆく。

沖へと突き進む軍艦の艦首で、三国の国旗がバタバタと忙しなくはためく。白い飛沫が上がる。


「何やってる、出航の指示は出してないぞ!」


艦長が唾を飛ばして怒鳴った直後--

「ああ」と戸口側から、若い女の声がした。


「機関室と操縦室、いま制圧してきたから」


艦橋内にいた全員が、即座に振り向く。


開け放たれた水密扉(すいみつひ)の前、ぱさりと肩に落ちる布。暑そうに首を振る少女。鮮やかな金髪が、綺麗に広がる。


脂汗を浮かべた艦長が、背筋を伸ばして緊張気味に敬礼。


「ま、まさか本当に、飛び入りでいらっしゃるとは……いや、失礼、」


国家要職の男が顔をひきつらせるのに対して、それと正対する、二回り以上も年下の少女は、にんまりと、いたずらっこのように笑うだけ。


「ですが、困ります、勝手をされては」と艦長。


「えー、昨日電話したでしょ。近くまで来たって聞いたから、遊びに行くねーって」と少女。


「いえ……」


「だめだよ、本国屈指の最新鋭の総合艦が、ネズミ一匹紛れ込んだくらいでうろたえてちゃあ」


そんな風に茶化して言って、にっこり微笑む少女の前に、かつん、と硬い靴音が鳴る。ついと見上げた少女のすぐ目の前に立つのは、真っ白な軍服を身につけた赤髪の男。胸元のエンブレムの下には、海向こうの大国の国旗。襟と肩口の階級章は、彼が本艦内にいる全ての自国部隊のトップにあることを示している。


彫りの深い顔立ちで、にこりと愛想良く微笑んだ彼は、金の袖章が光る両腕を大きく広げた。

艦橋内の全員の視線を集めながら、少女と男がゆっくりとハグを交わす。


続いて、男がひざを少し落とす。

互いの両頬に、そっと落とすようなキス。


『見違えたよ。すっかり大人の女性になったね』


「ふふ。ディナーの一回くらいは一緒したげてもいいよ? 私のこと、つかまえられたら、ね」


今にも鼻先がくっつきそうな至近距離で、意味深な目配せを交わしあう二人。


彼らから視線をはずし、咳払いをして、制帽の向きを整える艦長。


さてと、と少女はその艦長に再び向き直り。


「にしても。艦上の交戦演習だからって、みんなここにいるなんて無防備だなぁ」


「……どこから演習の(その)情報を、」


顔をこわばらせた司令官が言うのを遮って、少女が艦長にぽいと何かを投げ渡す。

黒い円筒形の記憶装置(メモリ)と、中腹でぶった切られた、特殊鋼線製のワイヤーロック。


戦闘指揮所(CIC)、簡単に入れちゃったよ?」


「こ、これ……」


過去の戦闘データ、搭載兵器の全スペックを含め、交戦シミュレーション用の軍事データがわんさか入っている情報装置だ。

機密情報の塊を握りしめ、慌てて部下に指示を飛ばす艦長。

その様子を楽しげに眺めている少女に、


「設計図面でも漏れているのか?」


「うん?」


一歩近寄った司令官が、眉を寄せながら訊いた。


戦闘指揮所(CIC)の場所は最高軍事機密のはずだが。いくら貴女といえど……」


「どこの艦船も、間取り、だいたい似たようなものだよ」


明快に答えて、にっこりと微笑む少女。

司令官は顎を引き、一度、口を閉じる。


「……なるほど。再考が必要だな」


「いっそのこと居住区画に紛れ込ませたほうが安全かも」


うなずいて礼を言う長身の男に、金髪の少女は鷹揚に手を振る。


--ぐらりと、船室が再び揺れた。


再び全員が顔を向けた艦橋窓の向こう、沖へとまっすぐに飛んでゆく、複数の航空機とヘリコプター。その下、恐らくは最高速度で波間を駆け抜けてゆく、真新しい警備艇が二隻。


部屋の端にある通信機材のところに駆けていった司令官が、通信士を押しのけマイクに怒鳴る。


「おい! 誰だ、勝手な真似を!」


「演習中に脱走する奴があるか……」


嘆息する艦長に、少女がへらっと笑う。


「違う違う。今あれ無人運転(オートパイロット)


『……ふぅん?』


通訳の横、白い軍服の男は興味深そうに片眉を上げて艦長を見やる。

一方の艦長と司令官は、極秘裏に搭載している隠し機能を平然と暴露されて、固まるしかない。


それをよそに、布の下から取り出した端末を指先ですいすいと操作しながら、少女はのんびりと呟く。


「システム新しくしたんだね。うーん、ちょっと手間取ったなぁ」


これはあの会社の仕事かな、と呟きながら、どう見てもスマホにしか見えない小型端末を振ってみせる。(ちなみに、スマホの筐体にムリヤリ収められたその中身が、実は世界最高峰の高度情報処理装置だと知っている人間は、この艦には二人(・・)しかいないのだが--それは、また別の話。)


『AUTO』と表示されている画面が、すぐにロック画面に切り替わる。某加工アプリで犬耳を生やした女子高生4人が笑う画面を消して、少女は端末を再び服の下にしまいこんだ。


苦渋の表情を浮かべた艦長が、少女にむけて、ゆっくりと低頭する。


「実に、不甲斐ない……」


「いいんだよ、そのために来たんだから」


明るく答えた少女は次に、壁際の一人に向き直る。

濃紺の軍服をまとう小太りの男は、先ほどからずっと黙したまま、睨みつけるような目を少女に向けていた。立てた襟には、黄金色のアラベスクで縁取られた隣国の国旗。


『……先月の、洋上テロでの協力には感謝しているが。謝礼金は不足なく支払ったはずだ』


脇に控える通訳の女性が一礼して、少女の母国語で同じ内容を述べた。

少女はきょとんとして、首を傾げてから、答える。


「そんなつもりはないけれど、」


そこまで言ってから、急に満面の笑みを浮かべて、


『気に入らないのなら--とっととつまみ出したらいいんじゃない?』


唐突にその口から流れ出る、流暢な隣国の標準語。ぎょっとする通訳にウインクをひとつ、楽しげに駆けだした少女は、出口近くのテーブルに置かれていたグラスに手を伸ばし、ぐい、と中身を飲み干す。

惜しげもなくあらわになる白く細い首筋に、つい目を向ける男たち。


「ぷっはぁ。よし、後半戦、行ってきまーす」


そう言って布をかぶりなおすと、誰が止める間もなく、少女は再び水密扉から元気よく飛び出していく。


彼女を追った一部隊が息も絶え絶え、ようやく足取りを掴んで艦橋に駆け込んでくるのは、その数秒後のことだった。

作業BGM:AFN(米軍ラジオ)


2018/6/3 加筆修正

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