前編 \\ Ready
寄せては返す潮騒の音。
照りつける太陽の下、
「--Ready?」
制服姿の少女が、歌うようにささやいた。
ローファーのかかとが軽やかに鳴る。
だだっ広いコンクリートの道を駆けてゆく少女の、その前方にそびえ立つのは--
今しがたこの軍港に停泊したばかりの、巨大な総合艦が一隻。
黒を基調としたシックな塗装。舷側にペイントされたナンバーとロゴは、本国の新戦艦である証だ。
「Get set, 」
少女の赤い唇が動く。
同時に、自身の艶やかな黒髪にするりと手櫛を通す。それだけで、手品のように一瞬で、吸い込まれそうな黒い髪が、鮮やかなブロンドのそれに変わった。
潮風にふわりとなびいて、金糸は青空に散らばる。
翼を広げたカモメが一鳴きして、のんびりと中空に漂う。
真っ白なワイシャツの襟元を、するりと滑る赤いリボン。コンクリートに落ちたそれの上に、直後、タータンチェックのプリーツスカートが広がって重なる。
「GO!!」
これ以上なく楽しそうに叫んだ少女が、ちょうど地面が途切れた位置で、ひざを深く曲げ、強く地を蹴り--
大きく跳躍した人影が、高く、青空を舞う。
しなやかに反る背を包み込むように、大きく広がる鈍色の外套。
見る人が見ればすぐに分かる、世界最高レベルの防弾・防刃品質を誇る特殊素材の特注品だ。
布をはためかせて、空にその身を投げ出した少女は、目の前の海をあっさりと超えて艦船に至る。
直後。
その波止場に、黒塗りの車両が音もなく停車する。
中から降りた黒服の男が、少女が脱ぎ捨てた制服を丁寧な所作で拾い上げた。
「--ご武運を、Sue」
すでに姿の見えない、自由奔放な年下の上官に向けて、うやうやしく一礼。
低頭する人影の、はるか頭上を飛行機が横切る。
なめらかに伸びてゆく飛行機雲。
***
頭上を横切る影。
その、鳥にしては大きな気配に、甲板で各方位を監視していた乗組員たちが次々と顔を上げる。
すとん、と--
落下音というよりは、着地音。
衆人環視のど真ん中、甲板のど真ん中に降り立ったのは、暗い色の布をまとった不審な一人。
どこの国の軍人にも、あるいは軍艦の乗組員にも見えないその身なりに、三国合同の軍事演習を進めていた乗員たちは、一瞬、思考を停止させた。
着地から少し遅れて、潮風に遊ばれた布が広がる。
深く曲げていたひざをゆっくりと伸ばして、立ち上がる。
布の下から見えた、その口元がふわりと微笑んだかと思うと。
一番手前にいた年若い軍人の首筋に叩きこまれる、鮮やかな手刀。
そのたった一撃で、声すら上げず、大柄な男はどさりと崩れ落ちる。
踊るように身をひるがえした不審者は、驚きに息をのむ右隣の青年にも同様の一撃を食らわせた。
「おい! 止まれ!」
近くにいた別の男がそう叫んで、腰のホルスターから拳銃を引き抜き、
その手首に鋭い衝撃。
黒い拳銃が上方に弾け飛ぶ。
その場の誰もが視認できない速さで男に肉薄した不審者は、彼の鼻先に右足のかかとをぴたりと押し当て、からかうような口笛を鳴らす。
はるか後方の床に、拳銃が落ちる音がした。
2018/5/20 加筆修正、表紙絵追加
2018/6/4 タイトル変更