夢見る姫と夢を食べるバク
きらびやかな回転木馬、クリームたっぷりの甘いケーキに湧き出るジュースの泉。
『お父様と遊べてとても楽しいわ!』
『はっはっはっ! わしもだよ!』
お姫様は王様と一緒にきらびやかな回転木馬に乗っていました。イチゴのジャムがついたクッキーが『私を食べて』とふわりふわり、目の前を浮いています。
『私このクッキーが大好きなの!』
お姫様は空飛ぶクッキーに手を伸ばしました。しかし、クッキーはあと少しのところで突然現れた白と黒の獣にパクリと食べられてしまいました。それは夢を食べるバクです。
バクは夢の中のものなら何でもすべて食べてしまいます。なんと王様さえもぺろりと飲み込んで、残っているのはお姫様と真っ暗な世界だけになってしまいました。そして呆気に取られているお姫様を見るとひとつゲップをしてにやりと笑います。
「バクなんて大嫌いよ!」
お姫様が叫ぶとそこは温かなベッドの中でした。カーテンの隙間から差し込む光がベッドに埋め込まれた宝石をキラキラと輝かせます。お姫様はその光がまぶしくて余計に嫌な気分になりました。お姫様は寝ることが大好きでしたが、ここのところ楽しい夢はすべてバクに食べられてしまうのです。
「おはようございます、お姫様。今日はよく晴れましたよ」
お姫様が起きるとすぐに従者がやってきて大きなカーテンを開けました。窓の外は真っ白な雪景色です。今年は冬が長く、雪が続いたので、太陽が出るのは久しぶりのことでした。
「そんなことより、ジャムのついたクッキーが食べたいわ。夢で食べ損ねてしまったの」
「はい。すぐに用意させますね」
従者はすぐにクッキーを用意しました。ジャムもちゃんとのっています。でも望み通りのクッキーが目の前にあるのにお姫様は満たされませんでした。お姫様は夢の中と同じように王様とクッキーが食べたかったのです。
「あら、その顔はまたバクに夢を食べられてしまったの?」
お姫様の元へやってきたのは王様ではなく女王様でした。
「ええ。本当にいいところで夢をすべて食べてしまったのよ」
「バクは子どもの幸せな夢が大好物だというものね。さぞかし姫の夢は美味しいのでしょう」
「お父様と遊べないなら、それは不幸な夢よ」
お姫様は窓の外に見える回転木馬に目をやりました。王様がお姫様のために作ってくれた立派な回転木馬は雪で埋もれてしまっています。
すると回転木馬の傍で黒い影が動いているのが見えました。よく見るとそれはお姫様と同じ年くらいの少年でした。少年は温かい城の中にいるお姫様よりもずっと薄着で、せっせっと回転木馬に積もった雪を落としています。
「あの子は?」
「何でもいいから仕事を欲しいというので雪かきを頼んだの。雪かきをしておけば、いつでも回転木馬で遊べるでしょ」
「お父様がいなければ雪かきも意味がないわ」
女王様は答えに困ってしまいました。忙しい王様はなかなかお姫様と遊ぶことができなかったのです。
「お父様は国のためにお仕事をなさっているのよ」
「いいの。私は寂しくなんてないわ。だって夢の中のお父様は優しくていつも遊んでくれるもの。だからお父様を食べてしまうバクが許せないの」
お姫様は次にバクに会ったら絶対に文句を言ってやろう、そう決めていました。そしてお昼寝の時間にバクは現れました。
王様と楽しく遊ぶお姫様の夢をバクはまたむしゃむしゃと食べ始めます。あっという間に王様は笑顔のままバクに飲み込まれていきました。
『ねぇ、ちょっとあなた!』
お姫様はとうとうバクに話しかけました。バクは長い鼻先をこちらに向けてピクピクと動かしています。
『私の夢ばかりじゃなくて他の子の夢を食べたらいいでしょう! 子どもはたくさんいるんだから!』
するとバクは答えました。
『他の夢は食べちゃいけないから』
お姫様が気づいた時にはまたベッドの中でした。
「どういうことなの?」
バクの言った意味が分からないお姫様は雪かきをしていた少年のことを思い出しました。そしてあの子に聞いてみよう、そう思いついたのです。お姫様がコートをはおり外へ出ると、冷たい風に頬がピリリと痛くなりました。その寒い中を少年は休むことなく雪かきをしています。少年の鼻は寒さで真っ赤になり、時折息で指を温めては、木馬に積もった雪を丁寧に払っていました。
「あなたに聞きたいことがあるんだけど」
少年はボロの袖で鼻水を拭くとお姫様のことを見ました。
「何ですか?」
「あなたは昨晩どんな夢を見たの?」
少年は何でそんなことを聞くのかと不思議に思いながら、昨日見た夢を思い出しました。
「昨晩はお父さん、お母さんと一緒に遊ぶ夢を見ました」
それを聞いたお姫様はそれなら自分の見た夢と変わらない、そう思いました。
「なんだ、幸せな夢じゃない」
しかし少年は泣き出してしまいました。
「どうしたの?」
「いくら幸せな夢を見ても夢は夢です。僕の両親は病気です。僕は遊べなくたっていい。お父さんお母さんが元気になってくれれば、それでいいんです」
お姫様は少年がとても可哀そうだと思いました。お姫様も王様と遊べませんが王様は病気ではないのです。
「病気なら一緒にいてあげた方がいいんじゃない?」
少年は首を振りました。
「僕もそうしたいです。でも町では病気が流行って薬の値段はどんどん高くなっています。貧乏な僕の家では薬が買えません。だからこうして仕事を見つけているのです」
聞けば今、国中で貧しさや病気に苦しむ子どもがたくさんいるというのです。王様はその苦しみから国民を救うためにとても忙しくしていたのでした。
少年と話をしてからというもの、眠ることが好きだったお姫様は全く眠れなくなってしまいました。バクが他の子どもの夢を食べないのは、お姫様以外の子どもたちが幸せではないからでした。バクは夢でしか幸せになれない子どもの夢は食べないのです。
お姫様はいてもたってもいられずに王様の元へと行きました。王様は従者たちと難しい話をしている最中です。
「姫、悪いが今は遊んでいる暇はないのだ」
王様は言いましたが、それでもお姫様は王様に近づいていきました。
「お父様、私は遊びに来たのではないわ。この国の人々のために何かお手伝いがしたいの」
王様はお姫様の申し入れをとても喜びました。それからというものお姫様は贅沢をやめ、お菓子をつくるための小麦粉や砂糖を国の人々に配りました。そしてベッドの宝石を売り、たくさんの薬を買ったのです。お姫様は王様を手伝いながら人々を励まし続け、そのおかげで徐々に人々の病気は治っていきました。
しかし、それでも寒さは厳しく暖炉にくべる薪が不足していました。
「これは困ったぞ。山は雪が深くて薪を取りに行くことはできない。城にあるものを使ったとしても、とても足りないぞ」
困っている王様を見てお姫様は決心しました。
「庭の回転木馬を壊して薪にしたらどうかしら。あの回転木馬は木でできているし、とても大きいからたくさんの薪になるわ。それに男の子が丁寧に雪かきをしてくれたから、すぐに使えるはずよ」
それには王様も女王様もとても驚きました。回転木馬に王様と乗ることを誰よりも楽しみにしていたのはお姫様です。
「それはありがたいが本当にいいのかい?」
王様が聞くとお姫様は頷きました。
「ええ、いいわ。私にはもう必要がないの。だって回転木馬に乗らなくても、こうしてお父様と一緒にいられるんですもの」
王様はもちろん国中の人々がお姫様の優しさに感激しました。回転木馬は薪になり、人々の身体と心を温めたのです。その後もお姫様は寝る間を惜しんで人々のために駆け回りました。
そして、とうとうお姫様の国に暖かい春風が吹きました。安心したお姫様は宝石がくり抜かれたベッドで深い眠りにつくと、久しぶりに夢を見ました。
『お姫様ありがとうございます! お姫様のおかげでお父さんもお母さんも元気になりました!』
少年と両親が笑顔でお礼を言います。お礼を言ったのは少年だけではありません。
『お姫様のおかげで温かく過ごすことができました』
『お姫様が励ましてくれたから頑張れました』
国中の人々が代わる代わるお姫様にお礼を言いました。
『姫、立派だったぞ。姫はわしの誇りじゃ』
王様がお姫様の頬にキスをします。お姫様は遊んでいる夢よりもずっと幸せな気持ちでした。するとどこからかあの黒と白の獣が、のそのそとやってきました。そしてお姫様の隣にどすんと座ります。しかしバクは座っているだけで夢を食べようとはしませんでした。
『何で食べないの? 私の夢は美味しいのでしょ?』
するとバクが答えます。
『食べない。これは夢じゃないから』
それは王様や国の人々がお姫様に見せた感謝の気持ちでした。お姫様は自分が世界で一番の幸せ者だと思いました。
そうして優しいお姫様は大人になると立派な女王様になりました。国の広場には城にあったものよりもずっと大きな回転木馬があります。回転木馬は子どもたちに大人気です。
「また昨日、バクに夢を食べられたんだよ」
「私もよ! いつもいいところで食べられちゃうのよね」
「バクは幸せな子どもの夢しか食べないんだよ。君たちの夢はよっぽど美味しいんだろうね」
父親がイチゴジャムのついたクッキーを差し出すと、子どもたちは目をキラキラと輝かせました。
「どんな夢だったのか今度女王様に話してごらん。女王様はとてもお喜びになるだろうから」
クッキーを頬張りながら子どもたちは笑顔で頷きます。この国ではバクに夢を食べられてしまう子どもが後を絶ちません。でも女王様はバクの話を聞くのが大好きでした。何故ならバクが現れるということは、みんなが幸せだという証なのですから。
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