2章 真田可奈(3)
奈々城が手を動かす度に線が足されていく。俺はその様子をじっと見ていた。
「……」
奈々城が手を止め、カバンから紙パックのジュースを取り出す。いちご牛乳だ。甘いものが好きなのだろうか。
「……」
ストローを刺し、ゆっくりと吸う。俺もコーヒーを一口すする。
「…………」
ストローから口を離し、ふぅ、と一息吐く。この姿は絵になる。俺はそう思った。
「…………」
と、無言で奈々城が俺を睨む。俺は小さく手を挙げた。
「そこで何してるのよ」
「なんとなく見てた」
「やめて頂戴、集中できないわ」
「すまん、ダメだったか」
「ダメよ。だってその……その、恥ずかしいじゃない」
段々と伏し目がちに、声は尻すぼみになる。顔は赤く染まっていた。一瞬だけ胸の高鳴りを覚えながらも、俺はこれしか言えなかった。
「あー、えーと。すまん」
「二回も謝らなくていいわよ。でも、下手な絵の製作過程を見られて嬉しい人はいないわ」
「下手。そうか。……これが?」
奈々城から視線を外し、画面に向ける。パースの狂いはなく、物体のバランスも崩れていない。再び奈々城に目を向けた。
「お前の目は節穴か」
「なんでよ」
「相当上手いだろ、絵心があるってレベルじゃない。構図に悩んでるとか言ったがこれは十分に人を惹きつける絵だ。人が来るかどうかはまた別の問題だが、いい出来じゃねえか」
「……ありがと。でもこれじゃないのよ。そうね、しっくりこないって言うのかしら」
「本人がそう感じるなら仕方ねえな」
「でしょう? 一旦保存して、やり直しね……」
奈々城が作業を再開しする。俺はそのまま見続けるのも飽きたので、座っていた席まで戻る。一応やめてって言われたし、見てても何やってるか分からんしな。
だからと言って、特にすることがあるわけでもない。誰も何も言わない室内で、俺は天井を見上げボーっとする。外からは運動部の気合の入った掛け声が聞こえ、同時に耳に入るバカ共がギャハハと笑う声はすげえ五月蠅い。何故静かにできないのだろうか。何部の活動だか知らんが、部活動に関係ない話は控えるべきだろう。これだから最近の若者は云々と言われるのだ。
騒ぎ事は嫌いだ。いや、祭りなどの騒ぎは大歓迎だが、ただ自分勝手に騒がれるのが嫌いだ。周りの迷惑を考えない、そんな奴が嫌いだ。
例えば今、図書館内から聞こえる足音。一名ほどがパタパタ走り回っている。誰が何の用事で急いでいるのか知らんが、まるでこの部屋に用があるように近づいてこないでほしい。どうせすぐに離れていくのだろうが迷惑甚だしい。今もまだ近づいて――近づいて……
近づいて、くる……?
「いのりー! 遊びに来たよー!」
扉を勢い良く開き顔を覗かせた快活そうな女子は、入ってくるなりよく通る声で奈々城を呼んだ。誰だこいつ。誰でもいいが、うるさい。
「可奈じゃない。今日は部活の方に参加するんじゃなかったの?」
「今日は体育館バレー部が使用するんだってー! 今まで購買で暇潰してたけど、お菓子買ったから来たよー!」
「ここをなんだと思っているのよ」
「溜まり場! 楽しいよね!」
「……」
奈々城は両手で頭を抑えた。どうでもいいが、少しばかり同情する。
「せめて足音くらいは立てないようにしなさい」
「今歩いてるよ?」
「さっきまでの話よ、走り回ってたのは可奈でしょう。自重しなさい」
「あはっ、バレた? ごめんね! 次から気をつけるよ!」
「何回聞いたと思ってるのよ、そのセリフ……」
「両手の指じゃ足らな~い」
カナと呼ばれた人物は高らかに笑いながら菓子類で膨らんだであろうカバンを机の上に置き、
椅子を引いて座る。そこで初めて俺に気付いたようだ。
「あれ? 誰このイケメン! 祈の彼氏? 連れ込み? やるじゃん!」
「そんなわけないでしょ」
冷静かつ的確なツッコミが入る。その言葉には否定と呆れが混じっていた。
そんなことはともかく、イケメンとやらはどこに居るのだろう。ここには俺と奈々城の二人しかいなかったはずだが。
「えー自覚なし? ほんとに? それ見ててウザいよ?」
「可奈に言われたくはないと思うわよ」
彼女が俺のことを言ってるのであれば、全くもって奈々城の言うとおりだ。しかし俺だという確証を持てないため、スルーする。
「無視しないでよー。キミのことだよ目の前のキミ。まー確かに髪はセットされてないし眠そうな目してるし、猫背っぽいしなんかやる気なさそうな顔してるけどさ」
欠点だけを見ると間違いなく俺だ。ほっとけ。
「でも元の素材は悪く無いと思うよ? ねー祈?」
「えっ? ……まあ、そうね。嫌いではないわ」
奈々城が答えると、彼女は満足気な表情をして机に乗り出してきた。手は口に添えられており、耳打ちでもするかのような仕草だった。
「ここで豆知識! 祈の『嫌いじゃない』は裏返しの表現だよ! つまりね」
「何をこそこそと話しているのよ」
奈々城に見つかり、咎められる。と言うより目の前で堂々とやっているのだから咎められないほうがおかしい。しかし話の内容は聞こえなかったようだ。
「奈々城様バンザイ! いのりんサイコー! ジークハイル・祈! って話してた」
「よくそんなに堂々と嘘をつけるわね……。遠藤君、本当は?」
「大したことじゃない。つーか全然聞いてなかった」
「そう、ならいいわ」
「えーっ、大事なことなのにぃ」
席に戻った彼女は口を尖らせながらぶつくさと文句を垂れている。大事なことなら声を大にして言えばいいのではないだろうか。俺個人に言われた事だとしても、俺に関係ない話だったならこれっぽっちも聞く気はない。
「でさ、誰なの彼」
「そうね、彼は……」
奈々城がチラリと俺を見る。自己紹介くらい自分でやれということなのだろう。言ってることは間違っちゃいない。一理あるだろう。
が。
「お前こそ誰だよ」
「あたし? あたしは真田加奈! 図書委員だよ! 部活はバスケ部でぇ、一年一組十八番! よっろしくぅー!」
九〇度傾けたピースを目の近くに寄せ、バチコーンと擬音が聞こえてきそうなくらいにわざとらしいウインクをする。なんとなく予想はしていたが、やはり図書委員だったか。道理で平然とこの部屋に入ってこれるわけである。なんだか自覚がなさそうではあるが。
「俺は一年三組遠藤孝だ。今日から図書委員を手伝っている」
「言うなればボランティアってところよ」
「へぇー、ボランティア! こんなところのボランティアだなんてキミ変わってるね!」
奈々城の補足で理解したのか、真田は驚く。確かに俺は変わっている。だがここで俺が何か言わなければいけないとしたら、おまえが言うな、だ。
面倒くさいから言わんがな。




