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2章 真田可奈(2)

 塵も積もれば山となるが、少しずつ崩せばただの塵だ。

 この場合もそうだ。俺が本の山を片付けたのは、三〇分ほど経った時だった。


「ふう、終わりか」

 さっきまで山が鎮座していた箇所を眺めながらつぶやく。

「どうした遠藤、物足りないか」

 聞きつけて鈴本先生が尋ねてきた。俺は顔をそっちに向ける。

「いや、結構疲れました。あとはこれもやりますね」

 さっきまでの山を片付けたからと言って全部終わったわけではない。俺はこの三〇分間で新しく出来た小山を一瞥した。


「ああ、頼む。……と言いたいところだが、後は俺がやろう。遠藤は好きにしててくれ」

「じゃあ休ませてもらいます」

 荷物を持ち、図書準備室に向かう。人が少なくなってきたので、人手は先生一人で十分足りるだろう。途中で「回答はえーな」といった表情の先生が見えたが、多分気のせいだろう。気のせいではなかったとしても、許可をしたのは先生のほうだ。休まない理由はない。


 図書準備室の戸を開ける。中央には長机と椅子が並べられ、壁には本棚がそびえ立ち、窓から降り注ぐ太陽の光はブラインドで塞がれてはいるが、細々と隙間から漏れ出ている。普通教室の半分くらいの広さでありそこまで大きいとはいえないが、実は結構いい部屋なのではないだろうか。空調設備はないが、とりあえず今は悪くない。勉強するにはもってこいだ。

 奥には随分と古ぼけたパソコンが置いてあり、奈々城が向い合って座っている。


 ……ここにいたのか。すっかり忘れてた。どうやらパソコンで何らかの作業をしているようだ。位置的に見えないが、一生懸命画面と向き合っているというのは分かる。邪魔をする気はないし、そもそも話すこともないため、失礼するとだけ言って適当な席に座る。


「あら遠藤君、お疲れ様」

「よお。一仕事終わらせてきた」

「ありがとうね。どう? やれそうかしら」

「本を棚に戻してきただけだからな、楽勝だ。もちろん他の仕事もいくつかあるんだろうが……なんとかなるだろ」

「やってみると大したことない仕事よ。十分なんとかなるわ」

「だろうな」


 背筋を伸ばし、脱力する。一回ごとの労力が少なくても繰り返せば疲れは貯まる。予習は家でやれるし、今は呼ばれるまで休んでおこう。なにか温かい飲み物が欲しくなるところだが、そんなもの用意していないので我慢するしかない。

「休憩中かしら?」

「それ以外の何に見える。俺は自主的にはサボらない男だ」

「さっきは来るかどうか迷ったくせに」

「来たんだから問題ない」

「結果論じゃない、間違ってはいないけれど。そうそう、この部屋にあるものは好きにしていいわよ。そこの本を読んだり、お湯を沸かして飲んだりしてもいいわ。過去の先輩が置いていった漫画本もあるわよ」

「そんなの置いたままでいいのかよ」

「顧問が顧問だもの」

「OK、だいたい察した」


 やはり甘い先生のようだ。恐らく自分に直接関係しないことにはあまり干渉しない主義なのであろう。俺も似たような考えではあるが、教師としてそれでいいのか。疑問に思いながら電気ケトルがある方に向かう。折角飲めるなら遠慮無く使わせてもらおう。

 コップ一杯分の水を入れ、電気ケトルのスイッチを入れる。


「インスタントのコーヒーや紅茶、味噌汁もあるわよ」

「分かった、ありがたくいただこう」

 飲み物じゃないものが一つ混じっていたが、だからといって食べ物かと考えるとそれも違う気がする。汁物の立ち位置は微妙だ。そんな考え事をしているとカチッという音が聞こえる。

 沸かし終わったようだ。一分程度で終わるとはずいぶん早い。そのうち一瞬で水が沸騰する時代が来るに違いない。科学の進歩に期待しながら、俺は紙コップを用意しコーヒーの粉を入れて湯を注ぐ。マドラーで適度にかき回し、火傷しないよう慎重にコップを持つ。

 そのまま元の席まで戻ろうと振り向く。と、奈々城の作業風景が目に入った。


 思わず声に出る。

「イラストか」

「そう、ポスターを描いてるのよ」

 奈々城が反応して、メガネを外し、目をこすりながら椅子をこちらに向ける。独り言のつもりだったが、思わず俺から話題を振ったようになってしまった。戻るに戻れない。


「ずっと描いてんのか。何のポスターだ」

「図書委員募集のポスターよ。正確には、図書委員ボランティア募集のポスターね。人手が足りないなら少しは勧誘しないと、と思って作っているのだけど……」

「何か問題があるのか?」

 言葉を発しながら徐々に落ち込んでいく奈々城に訊ねる。奈々城自体はどうでもいいが、手伝うという約束を交わしてる以上、現状を知っておかないといけないからな。俺の力だけでどうにかなるとも思えんが。


「構図がなかなか思いつかないのよ。幾つかは頭の中に候補があるのだけれど、どれもピンと来なくてね……。作業を始めてから決まったのは勧誘の文句だけよ」

「お前一人でやってんのか? 他の奴らは?」

「話し合った結果、一番絵心があるのは私ってことで、私一人でやることになったわ」

「相談とかはしないのか」

「まだしてないわよ。自分が納得出来ないものを見せる気はないもの。構図が決まったらもう一度話し合うつもりでいるけれど」

「なるほど、一理ある」


 話し合う気はあるようだし、未だに他の図書委員が来ていないところを見ると一番やる気があるのは奈々城みたいなので任せておいて問題ないだろう。どこか完璧主義に近いような気もするが、より良い出来を目指そうとするのはいいことだ。あまりにも時間がかかりすぎるようなら顧問や他の委員から催促とかあるだろうし、俺が心配するようなことはないか。

「それにしても、ずっと画面と向き合ってると目が疲れるわね」

「大変そうだな、俺にできることはあるか?」

「……私の代わりに、描く?」

「無理。絵心ねえ」

「やっぱり私がやるしかないのね……はあ」

 メガネをかけ直し、奈々城はパソコンに向かう。何となく俺はその後ろに立った。


 画面の中には佐倉坂高校の図書館。内観ではなく、外観だ。読書といえば秋であるというイメージを印象づけたいのか、周辺の木はモミジやイチョウ。葉っぱは生い茂っているが、やや強い風で散っており、いくらか地面に溜まっていた。それを清掃員が箒で掃き、横を仲の良さそうな男女が闊歩している。画像の横にはキャッチフレーズを埋め込むためか、一行分の空白があった。

 色は付いていない。清書もされていない。全て下書きの段階である。しかし絵の中の情景は鮮明に瞼の裏に映り、佐倉坂での秋を経験したことはないはずなのに、不思議と懐かしさを感じさせた。


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