1章 奈々城祈(5)
俺のその疑問は、訊く間もなく彼女が答えた。
「あははっ、面白いわ。貴方って面白いわね」
「は?」
どこがだろう。俺に面白いところなんて全くないと思うのだが。人によって基準は違うので俺が面白くなくても他人は面白いのかもしれんが、全く理解できない。
「ほぼ初対面の人に馬鹿だなんてよく言えるわね、私だったら気後れするわよ」
「事実そう思ったんだ。そう言うしかないだろ」
「ある意味すごいわ。感服するわよ」
「……へえ」
「あら、他人事のようなりアクションね」
「他人から与えられる俺の評価はまさに他人事だからな」
「……ふふっ、やっぱり貴方は面白いわ」
「そうか?」
やっぱり理解できん。
「……貴方にとっての、利点ならあるわ」
「そうか」
「ええ」
彼女は頷くと、一息吸って話し始めた。
「世の中、色々な図書があるじゃない。伝記や論文、小説に資料。ありとあらゆるジャンルの本が存在するわ。図書委員になればそれらに身近に接することが、接するだけじゃなくて休憩中に本の中身を覗いたり、それが気に入れば借りたりすることが出来るわよ。これは結構魅力的なことだと思うわ」
「なるほど」
俺は娯楽小説が好きだが、暇つぶし程度には他の本も読んだりする。多数の本に触れ合い、知識として持っておくのはまあ、悪いことではないかもしれない。
「それだけか」
「まだあるわ」
彼女は毅然とした表情で答えた。ないと言われたら帰るつもりだったが、暗に説明しろと言った以上聞かなきゃいけないだろう。言わなきゃよかった、面倒くさい。
「そこに図書準備室があるじゃない」
「そうだな」
「今日のような休館日でも、私たち図書委員は準備室に入れるのよ。つまりね、」
「暇潰しできるな」
「その通りよ。勉強もできるし、読書もできるわ。これは貴方にとっていいことだと思うわよ。私も準備室で本でも読むつもりだったしね。どう? 図書委員、手伝ってみない?」
「ふむ……」
考えてみる。俺が図書館を利用する理由は、チャラチャラした奴らが放課後に駅前や電車、教室内で騒いでいるところを回避する、その暇潰しのためだ。しかし休館日なら図書室は利用できず、さりとて他にいい場所を思いつくわけでもない。少しばかりの労働力を提供すれば暇潰し場所を確保できるというのは、割と良い条件ではなかろうか。
「少し訊きたい。俺は正規の図書委員じゃないわけだが、それでも勝手に準備室に入っていいものなのか?」
「それは先生も許可してくれてるのよ。手伝ってくれるなら別に構わないって。私が話を通せば大丈夫なはずだわ」
「なるほど。もう一つだけ訊く。いつまで手伝っていればいいんだ? 一年間ずっとやれということか?」
「出来ればそうしてもらいたいけれど……辞めたければいつでも辞めてもらって構わないわ。元々数人見繕うつもりだったし、誰かが抜けたら代わりを探すわよ」
「そうか、分かった。それなら引き受けよう」
「ありがとう、お願いするわ。……えっ、ほんとにいいの?」
彼女は嬉しさ半分、疑い半分を顔に出す。お前から頼んできたんだろうが。
「ただ図書委員の仕事を手伝うだけだろ? 問題ない」
「ありがとう、感謝するわ。……実はダメ元だったのだけれど」
「おい」
「結果オーライよ、いいじゃない」
くすり、と彼女は微笑みかけてくる。俺も笑いこそしないが、右手を上げて返す。お前がいいんならいいんじゃねーの。それで。
「それで、まずはなにすればいいんだ?」
「もうする気なの?」
「早いほうがいいだろ、何を驚いてるんだ」
「いえ、さっきまで全然やる気なさそうだったのに、急に変わるものなのね……」
「一度やると決めたらどんなに面倒くさくても絶対にやることにしてるんだよ。俺はその辺にいるクズどもとは違う」
「……言いたいことは分かるけれど、その言い方は誤解を招くと思うわ」
「別にいいだろ、伝えたい奴に伝われば。それでなにすりゃいいんだ」
「そのやる気はありがたいけれど、明日からでいいわよ? こっちもそれなりの準備があるし、休館日にはそんなに仕事無いもの。そうね、明日の放課後にそこのカウンターまで来て頂戴」
「分かった。なら帰る」
「ええ、さようなら」
言いながら彼女は俺と扉の間を空けたので、俺は扉の前まで進み、ゆっくりと開ける。
そこから一歩踏み出した瞬間、彼女の声が聞こえてきた。
「そうそう、忘れてたわ。名前を聞かせてくれないかしら」
「人に名前を尋ねるときは自分から言え」
「……そうね、失礼したわ。私は奈々城祈、一年一組よ」
「一年三組、遠藤孝」
「あら、同学年だったのね。分からなかったわ」
「そりゃそうだろうな」
「これからよろしくお願いするわ」
「まあよろしく」
個人的によろしくする気はさらさらない。まあ俺が他人と仲良くするなんて光景は想像できないけどな。事務的にだけ仲良くしたい。
「遠藤君と呼んでいいかしら?」
「好きにしろ」
呼び方なんてものは分かりさえすればどうでいい。例えばサヤエンドウとか呼んでくれても構わない。それで俺が応じるかは別の話だ。
「さようなら、遠藤君。また明日」
「……じゃあな、奈々城」
聞こえるように言って、扉を閉める。明日から忙しくなりそうだ。はあ、面倒臭い。
だが提示された条件は悪くない。ゼロに等しかったやる気も少しは湧くというものだ。
まあ最低限頑張ろう。それ以上やるかどうかは……気分次第だな。
背伸びして、ちらっと窓から外を見る。
昨日と同じはずの太陽が、何故か昨日より輝いて見えた。




