エピローグ
7月は、若葉も成長してもう若葉と言えなくなる。そんな夏の中盤だ。
掛け時計は狂うことなく時を刻み、窓の外の松の木は風に靡いて揺れている。
紫陽花の上のカエルはいつしか姿を消し、もう少しすればセミが鳴き始める時期だろう。真南からだいぶ傾いたところにある太陽が夕方だというのにまだ元気でいるなか、俺は図書館に続く廊下を歩いていた。
あれから5日。金曜日だ。結論から言うと、日々はそんなに変わっていない。一日の大半を過ごす教室での扱いが変わったわけでもないので当たり前である。まあ包帯まみれになったことを母親に問いただされたり、そんな姿で登校したことを鈴本先生に驚かれたりはした。あと、偶然伊沼に会った時もやっぱり驚かれたがその後に伊沼自身や……えっと、ラブラブピュアーズだっけ? 違うような気もするが、とにかくあのアイドルの話が飛んできたので無視したことくらいだ。
そうそう、月曜に小田原たちを見つけた時は特に何も言わず去っていった。別に警察沙汰にする気もないので俺としてはどうでもいいが。怪我ももうだいぶ治ったし。
図書館前にたどり着く。ふと、横の掲示板のポスターが目に入った。いつしか奈々城が描いていた、図書委員募集のポスターだ。準備室の内観と、そこで談笑する4人の男女の絵が描かれ、横にあなたも図書委員、やってみませんか? という言葉が添えられている。前の外観のイラストも好みだったが、これはこれでいいだろう。思わず口元に笑みが溢れる。
おっと、こんなとこで油を売っている場合じゃない。ポスターから目を背け、頭を下げて図書館に入る。
「おい遠藤、ちょっとカウンター手伝ってくれ」
「はい、分かりました」
鈴本先生にいきなり言われる。まあ手伝うためのボランティアだ。ここはやるしかないだろう。
「わたくしができることは……」
「セレナはこの本戻しとけ」
「分かりましたわ」
セレナに言って返却された本を棚に戻させる。俺も仕事に慣れ、ボランティアだというのに正規委員に命令できるようになってきた。間違ってたら鈴本先生の責任なので、気軽に言うことができる。
何十分か経っただろうか。入り口の扉を開けて、真田が入ってくるなり小さい声で叫んだ。
「おっまたせー! あたしが来たからには一人休んでいいよー」
「じゃ、遠藤休みなさいな」
「俺が? いや、鈴本先生こそ」
「俺はまだやることがあるからな。遠藤でいいだろう。……うん、いい」
……正直、真田の仕事ぶりを考えると一人分の働きとは言い難いし、フォロー役が必要か。それを請け負ってもらえるというのならありがたく休ませてもらおう。
「失礼する」
「あら、こんにちは。お疲れ様」
「そっちこそお疲れさん」
図書準備室の中には奈々城がいつもの場所にいて、パソコンの向こうから手を振ってきた。……何故かこの席にいる奈々城ばっか見てる気がする。ちゃんと表に出て働いているところを何回も見てきたし、昨日の放課後も俺が本を運ぶ横で、奈々城がしっかりと本の貸し出し処理をしていたというのに。
まあそんなのはいい。コーヒーでも淹れて飲もう。
「あ、コーヒーと紅茶は切れたわよ。新しく買ってくる他ないわ」
「? 先週買ったばっかだし、昨日はまだ少し残ってただろ。何故もう両方ともないんだ?」
「……昼休みに、大飲み対決をしたからかしら、ね」
かしらじゃないだろ、それが原因だろ。思わずため息が出る。今日もセレナとやってしまったようだ。勝敗は別に気にはならんが。
「あら、また味噌汁? 結構好きなのね」
「本当に好きだったら毎日飲んでるだろうが。食品としては好きだが」
休憩中に飲むんならコーヒーか紅茶のほうがいい。そう思いながらお湯を注ぐ。
「ところでこれ、遅れたわね」
「ん、ああコレか。サンキュー」
俺が受け取ったのは薄い袋に入った一枚の写真。遊園地の前で撮ったあの写真だ。あの日の午後に色々あったため、真田が現像を忘れたんだっけか。……よく見ればよく撮れてるよなぁ、これ。写っている3人は可愛いし、俺もそこそこ普通の顔をしている。悪くはない一枚だ。大切に鞄に仕舞う。
「……ところで」
「あら、なにかしら?」
「なんだ、それ」
今までツッコまなかったが、部屋の隅に置いてある笹を指して聞く。あのパンダの主食として有名な笹である。何故そんなものがここにある。
「そうね、ホントは明後日にやりたかったんだけど、日曜日だし……この説明で分かってもらえるかしら?」
明後日? 明後日ねえ、なんかあっただろうか。……分からん。
「七夕、ですわね」
「セレナさん正解! ……表の方はもういいのかしら?」
「大丈夫だよー、鈴本先生が少しの間なら俺一人で十分だって言ってたから」
真田も現れた。それは大丈夫なわけではないんじゃないだろうか。
しかし、七夕か。もうそんな時期か。すっかり忘れていた。
「それよりも、4人の時間を大切にしろって!」
「さすが鈴本先生、いいこと言うわね。笹も運んでくれたしいい先生よね」
「……運んでくれたのか? 運ばせたんじゃなくて?」
「まあ、ちょうどよかったし、快く手伝ってくれたからね」
本当に快かったのか疑問だが、まあ現実を見よう、笹はここにある。
「それで、短冊を飾ろうってか」
「その通りよ遠藤君。可奈も昨日一昨日と部活で、今日しかなかったし」
「それじゃあさっさと始めましょう。短冊はどこですの?」
「ここにあるよー!」
「勝手に鞄を漁らないでよ、可奈」
既に準備済みのようだ。というか真田は何故そこから見つけられたんだ……。
備品の油性ペンでそれぞれ願い事を書いていく。さて俺は……どうしようか。
「『世界平和』? 祈の願い事普通だねー、名前も祈なのに」
「いいじゃない普通で。名前は関係ないでしょう」
「それもそっかー。じゃああたしはこれでっと」
「『お金ください』……うん、そうね」
これは酷い。
「なんでさー、合理的で当たり前の素晴らしい願い事じゃーん!」
「……もっと夢のあるものを願ったらどうですの?」
「じゃあそういうセレナちゃんはどうなのさ!」
「わたくしの? ええっと、それはちょっと秘密ということで……」
真田に迫られ、セレナが後ろ手に短冊を持ってこっちにくる。俺はそれを抜き取った。
「あっ、こら、遠藤!」
「『素敵な恋をしたい』か。ふーん、いいんじゃねーの」
「ふぅ~ん、素敵な恋……ねぇ……」
真田はニヤニヤしながらセレナと俺を見比べる。なんだその顔は、気持ち悪い。
「で、最後にエンドーくんはどうなのさ」
「『エンドーとかいう変に間延びしたような呼び方をやめてほしい』ってところか」
「あたしピンポイント!? い、嫌ならやめてあげなくもないけどさー……」
「いや冗談だ、気にするな」
俺が笑いながら言うと、真田は意表を突かれたような顔をしながら、
「……エンドーくんも冗談言うとはねー。で、本当はなにさ」
「見たかったらあとで勝手に見ろ。自分から言う気はない」
「そうなると見たくなくなるなー……まあ気になるから見るんだけどね!」
だろうな。そう言うと思ってたよ。
だけど……本当は分かってんだろ? 俺が何を願うかくらい。
俺がそう言うと、真田も、奈々城もセレナも、「何となくは、ね」と頷いた。
友人を得たぼっち野郎が、願うことなんて一つしかない。まあ他のやつはどうか知らんが、俺にとってはこれしかない。
わざわざ言いたくはないがな。恥ずかしいというわけじゃないぞ。面倒くさいだけだ。
神様や織姫彦星のような伝承上の存在なんか信じちゃいなし、願い事なんてのは自分で掴み取るものだろうと思わなくもないが、まあ自分で掴む前に叶えてくれるというのなら楽でいい。
そんなことを思いながら、白い短冊を一枚吊るす。
さっそく真田が覗き込んできた。無駄に行動が早い。他の奴らも遠慮がちに、真田と同じことをする。
そんなに急いでもな、つまんないことしか書いてねーよ。
『いつまでも大切な友人と、静かに仲良く暮らせますように』としかな。




