4章 伊沼義彦(9)
屋上にたどり着くと、見えるのは簡素なステージセットと、肉の壁。本当に平日の昼間かと疑いたくなるような人数だ。暇人なんだな、俺含めて。
横から例のグッズが置いてある長机を挟んで、スタッフらしき人が俺に話しかけてくる。
「こんにちは、こちら無料配布物となっております。二種類ありますがどちらになさいますか?」
「Bで」
予め選ぶように言われていた背景が青い方を受けとる。例のグッズとは小さいポスターだった。3人の女の子がポーズをとっている横に、ぴ、ピュア☆ピュア☆ガールズ……? ああ、ユニット名か。とにかくそれが描かれていた。
目的はこれらしいので、Aのポスターを広げて悦に入ってる伊沼に丸まったBポスターを渡す。
「そんじゃ俺はこれで」
「待ちなさいな、どこ行く気ですの」
肩を掴まれる。痛いぞ地味に。
「どこって、帰るだけだが」
「折角来たのですから見たらいいじゃありませんの」
「そうだよ遠藤氏、生で見れるチャンスなんだよ? ボクとはいつでも学校で会えるけど、彼女らに会う機会はなかなか無いんだよ?」
別に興味ねえし、お前にも会いたくねえよ。
「まだ開演まで少しあるから、あっちでグッズでも見てきたらどうだい」
「ほう」
グッズか……有益なものがあるやもしれん。それを見てから帰っても遅くはないか。
「それともピュア☆ピュア☆ガールズの歴史の続きでも……」
「ちょっと見てくる」
「あ、わたくしも見ますわ」
「ちっ」
舌打ちが聞こえた気がしたが、無視だ無視。興味ないアイドルの歴史なんざつまらんだけだ。学校の授業と同じである。
人混みをかき分け、物販コーナーに辿り着く。Tシャツ、ポスター、缶バッジ、写真集、ポストカード……見事にいらない物ばかりである。うちわはちょっと欲しいが、扇ぐことより鑑賞が目的になってないだろうか。百均でいいな、これ。
まったく、無駄なものが多すぎやしないか。例えばこの写真集なんて可愛い女の子が印刷されただけの紙であり、そんなものに価値なんて……。
……ない。いやない。ないったらない。大体、よく見りゃ奈々城やセレナの方が可愛……そんな問題でもないか。
俺がアホらしいことに時間を費やす中、横からセレナが棚に手を伸ばして何かを取る。ユニット名のロゴがデザインされた布のペンケースだ。底面あたりをまじまじと見て、へえ、と感嘆の声を漏らす。
「このペンケース、結構いい素材使ってますわね」
「そういうの分かるのか」
「これくらい見れば区別はつきますわ。とりあえずその辺の物に手を加えただけのチープな品じゃないことは保証致しますわ」
「俺にはさっぱりだ」
手に取って観察してみる。大体こういうのはボッタクリが多いもんだと思ってたが、偏見だけで物事を言うのは良くないな。
「そう、このアイドル事務所は良心的なグッズ販売をするってことでも有名でね……」
「うるさい」
解説せんと飛び出した伊沼を一蹴する。えー、と残念そうな声を漏らしていたが、だからアイドルの歴史なんかに興味はねえんだっつの。
……値段は千二百円か。そろそろ百均で買ったボロい筆箱を買い換えようか考えていたところだ。ここでちょっと高めのペンケースを買うのもいいかもしれない。デザインも派手すぎず、目が痛くならないようなものだ。
しばし悩み、俺はそのペンケースと五百円程度の目立たない小銭入れを購入した。千五百円以上購入した客にはおまけがついてくるらしいが特に興味ないのでポケットに仕舞う。セレナは何も買わなかったようだが、伊沼は色々と買っていた。
「ふぅ、豊作豊作」
「そりゃよかったな」
ほくほく顔でこっちに寄ってくる伊沼。言わなくてもそのパンパンの鞄を見りゃ分かる。
「遠藤氏もなんか買ったのかな? まあいい買い物には違いない――おっと、そろそろだよ」
「? 何が――」
疑問を全て言い切る前に。
突如スピーカーから流れてきた大音量、そしてそれに反応した観客の歓声と拍手に俺の声がかき消される。そしてまばらな拍手が自然に一体化した頃、舞台袖から三人の女の子が飛び出した。
彼女らは手を振って観客の声援に応え、ステージの中心まで駆け足で到達する。そのまま自然な流れで後ろを向き、止まる。音楽も同時にフェードアウト……したかと思えば今度は軽快な音楽が流れ、同時に彼女らも踊りだす。
フゥー! とかヒューッ! といった歓声が飛び交い、歌が始まると今度は一体どこで学んできたのか、統率の取れた掛け声が発せられる。
「ハイ! ハイ! ハイハイハイハイ! L・O・V・Eラブリーアスカー!」
このうるさい声を発しているのは隣の伊沼である。鬱陶しいことこの上ない。すぐ近くのセレナを見ろ。俺も理解しているとは言い難いが、何が起こったのかすら理解できずに呆然としてるぞ。ここが本当に俺の知っている日本国なのか疑わしくなってくる。
とりあえず極力歓声を耳に入れないようにして、歌って踊るアイドルを眺める。帰ろうかと思っていたが、いつの間にか人が増えていたようで道が狭い。どうせ帰るなら広い道を気持よく帰りたいものだ。
それにしても、これがアイドルのライブというものか。まさか生きてるうちに生で見ることになるとは思わなかった。それがいい経験になるかどうかは……まあ、ならないだろうな。




