1章 奈々城祈(2)
教室で勉強、なんてする訳がない。
そりゃ授業中はどうしてもせざるを得ないが、それ以外のときは入れたくもない雑音が耳に入って来て集中できたもんじゃない。例え放課後でもそれは同じだ。一人か二人は残って騒ぐ馬鹿が必ずいる。
だから放課後に勉強するときは本校舎に隣接する図書館でするようにしている。外の運動部の掛け声などで騒がしくなるときはあるが、基本的に静かでよく集中できる。飽きたら適当にその辺の本を取って読めばいい。一石二鳥で万々歳だ。
中に入ると、五人くらいが本を読んでいたり勉強していたりするのが見える。相変わらず人が少ない。読書人口の減少が懸念される。増加したら増加したでうるさくなるだけだろうから俺としてはこっちの方が都合いいのだが。
入り口から見て一番遠い席に座る。拘ってるわけじゃないが俺の指定席だ。なんとなくだが端の方が落ち着く。無意識的に注目されないようにしているのだろうか。そんなことしなくても元々注目なんぞされないので関係ないか。
教科書ノートと筆記用具を取り出して広げる。静かにさえしてれば何をしててもいいと言うのは充分魅力的だ。それを利用してゲームしている奴がいるが、俺の知ったことではない。
シャーペンを持って今日やったであろう内容をノートに写していく。偶に出てくる小問を解く。その作業を終わるまで続ける。
二〇分は経っただろうか。やってるうちに、飽きる。飽きだけはどうしようもない。それまでどんなに熱中していたことでも飽きたと自覚した瞬間にやる気が消え去る。そんな経験は数えきれないほど沢山ある。
そんなときは無理して集中し直そうとせずに、他のことをやって息を抜くのが一番だ。ここならば本を読むのがいいだろう。
本を物色するベく立ち上がる。中学の図書室とは違い、高校の図書館は蔵書が豊富だ。俺がよく読むのは娯楽小説だが古今東西の様々な小説が置いてあり勉強と違って飽きることがない。読もうと思えばいくらでも読めるものだ。時間という制約があるのが煩わしい。
本棚の間を見回しながらぶらぶら歩く。さて何を見ようか。大抵タイトルとあらすじを見て見る本を決めるのだが、この辺りには興味を引くようなタイトルがない。
いいものが無いものかと探しているうちによさそうな本が目に留まる。あらすじを見てから決めようと手を伸ばす。
誰かの右手が右手に触れた。
「おっと」
慌てて引っ込め、その手の持ち主を見る。
まごうことなき美少女だった。
艶やかな黒髪は長く鮮やかに伸びている。
目や口などの顔のパーツはこれ以上ないほどに整っている。
それに加えて、セーラー服の袖から見える肢体は細く、それでいて出るべきところは服の上からでもわかるほどに突出している。
あえて点数を付けるなら九割は確実。もしかしたら百点に届くかもしれない。
一度目に焼き付けたら絶対に忘れない。そう確信できるほどに、彼女は輝いて見えた。
彼女も同様に手をひっこめ、その手をじっと見ていた。ほぼ同時に俺も冷静になる。いくら彼女が美しかろうと、俺の人生に何ら関係が無い。今ここでこうして向き合ってるのは単なるハプニングだ。ただ一言二言挨拶を交わしてハイサヨーナラ、それだけで俺と彼女の関係はおしまいだろう。
この時俺はそう考えていた。
「あっ、すみません」
彼女は俺に話しかけた。俺は思考を止めて、彼女に向き直る。
「こちらこそすまない。先に」
一歩引いて彼女に本を譲り渡す。そのままくるりと背を向ける。あまり他人とは関わりたくないが、いくら俺でも自分が悪いと思えば人と話す。俺は外道ではない。好きで一人でいるだけだ。
さて、他に面白そうな本はあるかな。
「あ、待って。私はいいわよ。どうぞ」
背中に硬い感触。振り返ると彼女がさっきの本を差し出して、それが俺の肩に当たっていた。……え、俺に?
「いや俺はいい。どうせ暇つぶしにちらっと見るだけだったから」
そう言ってまた背を向け――
「私はちょっと興味を持っただけだからいいわ」
肩を掴まれた。……いいっつってんだろ。
「俺も同じだ」
「だから貴方に」
「それならお前でもいいだろ」
「それなら貴方でもいいじゃない」
「他の本を探そうが俺の自由だろ」
俺が突っぱねると、彼女はふむ、と腕を組み、赤縁のメガネをくいっと上げた。
なんだこいつ。人に譲ろうとする姿勢は評価できるが、少々強引すぎやしないか。
「そうね……じゃあじゃんけんで決めましょう」
「じゃんけん?」
「これより公平な決め方はないわ。嫌ならクジでも作れば」
「たかが本一つにそこまでする馬鹿がいるか。やるなら早くしろ」
「それなら、最初はグー、じゃんけん」
ぽん、と言う掛け声と同時に手を出す。彼女はグー。俺はパーだ。俺の勝ちである。
「貴方の勝ちね。はいどうぞ」
「お、おう……」
賞品としてさっきの本を受け取る。勝ったのに、あまり嬉しくない。何故だ。
「それじゃあね」
彼女は俺に背中を向けた。
「すまんな、譲ってもらって」
一応礼を言っておく。彼女はどうもと一言残して去って行った。
無愛想な奴だ。人のことは言えないが。彼女を評価できるところは顔とスタイルくらいなものだろう。しかしそれらを持ってない人にとっては喉から手が出るほど欲しいものだと考えると改めて世界というのは不公平にできているものだ。そんなのは中一の時に悟ったはずなのにまだ考えているとなるとやっぱり俺は未熟である。社会に出ていないガキが未熟だと自嘲できる立場ではないが。
それにしてもこの学校の生徒と話したのは久々だ。最後に話したのはテスト前にやたらとチャラチャラした奴が「おい、勉強してるか?」と訊いてきた時だ。その時俺は無視したが、どうやら人違いだったようで彼が気まずく去っていったのを覚えている。まずアイツは誰だったのだろう。クラスメイトの顔すら覚えていない俺にはさっぱり分からない。ま、理解する必要もないか。
……あ、この本つまんね。戻そう。




