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4章 伊沼義彦(5)


「ふぅん……ちょっとは親密度が上がった、って解釈でいいかしら」

「解釈でもなんでも勝手にしてればいいだろ」

 奈々城が勝手にそう思うのはいいが、俺からの親密度はずっと知り合い止まりのままである。


 そんなことより本来の予定であった弁当を食おう。さっきは飲み物を忘れていたので、シンクまで歩き、電気ケトルで水を沸かす。そしてコーヒーの粉を探すが、見当たらない。切らしているのだろうか? 続けて紅茶のパックを探すが、それもない。


「あ、コーヒーと紅茶は今朝切れたわよ。新しく買ってくる他ないわ」

 ということはなんだ。俺に味噌汁を飲めと?

「白湯にするか味噌汁にするか、好きに選べばいいんじゃないかしら」

「それしかないのか……」


 白湯というのも味気ないので、仕方なく味噌汁を選択する。一応、暑い日には塩分の摂取が重要だと言われるので悪くはないのかもしれない。紙コップで味噌汁を飲むのはいささか変な感覚だが。

 というより、さっき冷たい飲み物を買ってくればよかった。今からでも買いに戻りたくなってくる。せめてうちわでもあれば少しは変わっただろう。真田がつけたクーラーも今はまだ効果が薄い。ハンカチで汗を拭う。


「ねえ、遠藤君」

「ん?」

「今日でちょうど一週間ね」


 なんのことだ、と思って顔を向けると、奈々城も俺を見た。

「遠藤君が手伝いに来てくれてからよ」

「まだそれしか経ってないのか」

「私には結構長く感じたわね……っと、それで聞きたいのだけれど、日曜日は暇かしら?」

「暇だな。それがどうした」


「実はね、親睦を深めるために皆で遊びに行こうって話があるのよ。朝一番から釘山遊園地で一日中。さっき調べていたのだけれど」

 奈々城は机の上の本を手に取り、俺に見せる。釘山遊園地ガイドブックと書かれていた。

 釘山遊園地は県内有数の遊園地の一つである。俺も幼稚園から小学校低学年にかけて、よく遊びに行ったものだ。もうその記憶は殆どないが。


「皆って、図書委員のか」

「アクティブな図書委員、だけどね」

「なるほどな。行ってくればいいんじゃないか」

「……遠藤君は来ないの?」

「俺は図書委員じゃねえ。一介のボランティアだ」

「似たようなものじゃない。というか遠藤君との親睦を深めようって企画なのだけれど」

「必要以上の関わりなんていらねえよ。俺抜きの三人で遊んでくればいいだろ」

「そう。……なら考え直す必要があるわね」

 どこか憂いを帯びた表情で、奈々城は言った。


「これから何かあるときも呼ばなくていいからな。つーか俺がいない方がいいだろ」

「いないよりはいた方がいいわよ。遠藤君だって私達の一員じゃない」

 表情が変わり、今度は真剣味を帯びる。いつだかの言動と合わせて推測するに、どうやら奈々城は絆や繋がりを大事にしたい性格のようである。現に今も数少ない手伝い要因である俺に対して優しく接している。全く、おかしな話だ。

 そんな薄っぺらい関係なんて、気にしない方が楽なのにな。

「あのな、よく考えろ。そんなのは俺が図書委員じゃなくなった時点で切れる繋がりだろ」

「! ……それは……」


 ハッとした顔で、言葉に詰まる奈々城。まるで考えもしなかったとでも言いたげだ。

 あくまでも俺は、この図書準備室で本に触れながら好きに過ごせると聞いて、その対価として図書委員を手伝っているだけだ。誰かの為にやっているわけではない。そんな気持ちでやってる俺を遊びに誘ったところで誰が得するというのだろうか。精々、釘山遊園地に儲けが入るくらいである。


「俺との親睦を深めようと思う暇があるなら、他の人員を募集したほうが早いんじゃねえのか」

 この言葉にも奈々城は答えない。俯いて、じっとしているだけだった。

 動かない奈々城を一瞥して、俺は食いかけの弁当を鞄に詰め、立ち上がる。


「……帰るの?」

「ああ。ゆっくり本でも読むつもりだったんだがな」


 もう、そんな気分じゃない。

 空腹を誤魔化す程度には食べたし、あとは帰ってからでもいいだろう。扉に向かって進む。

 と、服の裾が何かに引っ掛かった。いや、この感覚は引っ掛かったのではない。掴まれているのだ。振り向き、奈々城を見る。


「奈々城、何のつもりだ」

「……図書委員でなくなっても、繋がれるようならいいのよね」

「は?」


 聞き返すが、奈々城は答えずに言葉を続ける。

「私は、遠藤君と、皆と遊びに行きたいわ」

「だから何なんだ」

「貴方と仲良くなりたいのよ」

「それがどうした」

「例え小さな繋がりだったとしても、私にとっては大事な今の繋がりなのよ」

「だから、一体何なんだよ」

 会話が噛み合わず、もう一度聞き返すなかで俺は焦りを覚えていた。


 俺との小さな繋がりは、奈々城にとっては大事にしたいものかもしれない。

 でも俺は、嫌だ、断る、行かねえと、何度も何度も奈々城の思いを否定している。

 それなのに、何故こいつは諦めない? 何故頑なに俺を誘う?

 何故――俺なんかと話し合おうとする?


 胸がざわつく。今すぐにここから離れなければと、そんな焦りが俺を襲う。しかし同時に、しっかりと次の言葉を待てと脳が警鐘を鳴らしていた。二律背反な思考に囚われて俺は動くことができず、その場に立ち尽くした。

 そして、またも奈々城は答えない。


「拒否されるのは分かってるわよ。でも、言うわ。言わなければ始まらないもの」

 奈々城は息を吸って、その言葉をゆっくりと口に出す。


「遠藤君。……私と、友達になりましょう?」


 俺の中でプツンと、何かが切れた。


「いっやっだっ、て、言ってんだろ!」

「きゃっ」


 奈々城の手を振り払い、駆け足で図書館の外に出る。俺は走った。走り続けた。途中で聞こえた誰かの声を無視し、生徒共の間を通り抜け、息も絶え絶えに廊下を駆けて――

 盛大にすっ転んだ。それはもう見事なほどに。リノリウムの床に叩きつけられ、うつ伏せに倒れる。おかげでいくらか頭が冷えた。床に擦ったせいで頬は若干熱かったが。摩擦痛え。

 幸いにも怪我はないので、服に付いたホコリを払いながら立ち上がる。頭を掻きながら、さっきの出来事を整理する。


 俺としたことが、迂闊だった。訳の分からない焦りに襲われ、あまつさえ取り乱すなんて。

 明日にでも奈々城に謝らなければ。そしてその上で、丁重にお断りさせてもらおう。たったそれだけで平穏な生活が続けられる。それだけで、俺の平和を取り戻せる。

 友達だなんて、冗談じゃない。

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