4章 伊沼義彦(3)
「おい遠藤!」
「……ん?」
聞き慣れない男の声で目が覚める。寝ぼけ眼で天井を見やると、そこには怒った様子の……誰だっけ。小田原? とその友人たちの顔があった。何なんだよ一体。せっかく人が懐かしい夢を……って、どんな夢見てたんだっけか。覚えてねーや。
もう授業は終わったようで、既に殆どのクラスメイトが渡り廊下に進んでいるところだった。先生は寝てる俺に気づかなかったらしい。ラッキー。
さて、俺も行かねーと。急ぐ用事もないが。
「露骨に無視すんじゃねーよ!」
「痛っ」
突然襟首を捕まれ振り向かされる。そういや俺の名を呼んでたか。何の用だよ。俺はさっさと自由時間を満喫したいんだ。と言うか、前にもこんなことがあったような……?
「人が呼んでんのにその態度はどういうことだ!」
そのセリフで思い出す。ああ、いつだか購買に飯買いに行ったとき、入り口でセレナをナンパしていた奴だ。なんだ、クラスメイトだったのか。道理で見覚えがあったはずだ。……思い出したら唐辛子パンの味が蘇ってきた。おえっ。
「何か用があんならさっさと言えよ。何もなきゃ帰るぞ」
「その態度がムカつくんだよ!」
「俺もお前が不快だ。これでチャラだな。そんじゃ」
「俺の用事はまだ終わってねーよ!」
「なら早く言え」
俺が急かすと、小田原は顔を真っ赤にして睨んできた。いいから早くしろ。
「お前さ、最近チョーシ乗ってね?」
「別に」
「その態度が調子乗ってるっつってんだよ! さっきも俺に勝って悠々と寝てただろうが!」
それはただ眠かっただけだ。お前なんて気にしねーよ、どうでもいい。
小さく溜め息を付いていると、小田原の友人共も口を開く。
「美人の奈々城さんと手を繋ぐほど仲いいようだし?」
「かと思えばセレスティアさんともいい感じらしいじゃねーか」
「いや、別に」
特に仲良くした覚えなんて無いが。傍からどう見えるかなんてのは知らんし。それに、例えそうだからといってコイツらにどうこう言われる謂れはない。
「とぼけてんじゃねーぞ! 夕方にスーパーでセレスティアさんと仲良く歩いてるお前を見た、って沢山証言があんだよ!」
「それは弁当作ってただけだ」
「それもだよ! 教室でイチャコラ見せつけやがってよ!」
イチャコラ? 何を言っているのか分からない。ただの食事じゃないか。例えそう見えたとしても、小田原の言っていることはただの嫉妬である。はあ、下らねえ。
「全然違うが、それがどうした」
「まだ分かんねーのか。そういう? 生意気な態度やめろつってんだよ!」
「断る」
「ああん!?」
怒号を発しながら鼻息を荒くして俺に詰め寄ってくる。気持ち悪いな、近寄ってくるなよ。大体、普通に生活してるだけなのに生意気と言われてもたまったもんじゃない。あとお前の言うことなんて誰が聞くか、馬鹿野郎。
「てめぇ、これだけ言っても分かんねえのか……?」
「分からないし分かりたくもない。分かったところで従うかよ」
「舐めてんじゃねえぞ」
突然、俺の胸ぐらを掴む。やめろよ痛えな。これだから人と関わるのは嫌なんだ、めんどくせえ。周りの奴らはやっちまえーとか囃し立ててるし、そこまで恨まれるようなことしたかな。してねーな。全部こいつが悪い。俺悪くねえ。
しかしだからといってこの現状が変わるわけでもなく、ゆっくりと小田原の右拳が宙に浮く様を俺はただ眺めていた。……って、このままじゃ殴られるな。抜けださねえと。
そう思って俺は小田原の左手首を掴み、振り解こうとしたところで、
「美しくない! 美しくないよ君たち! It`s not beautiful!!」
高い男性の声が響く。小田原の動きが止まった。誰だ! と叫びながら声の主を探している。その隙に力づくで拘束から抜け出す。
「あ! テメェこら逃げんな!」
「断る!」
顔を後ろに向けながら追ってくる小田原から全力で退く。と、眼前に人が降ってきた。
……えっ?
その人は綺麗に着地すると、呆気にとられている俺達をよそに変なポーズを取りながら小田原たちを指した。
「醜いことはやめたまえ! そんなことをして人を貶めても君たちの美しさが向上するわけではない! もっと自分を磨く努力をしたらどうだ!」
「うるせえ! テメェには関係ないだろ! つーか誰だお前!」
「ボクのことを知りたいのかい? そうだな……」
謎の男はフッと笑って、鮮やかな弧を描くように一回転。そして夏の果実が弾けるかのように両手を素早く横に広げた。
「ボクは通りすがりのイケメンさ! 見て分かるだろう!」
風が吹く。夏なのに冷たい風だった。
俺から見ると後ろ姿であるため、彼の顔を見ることは出来ないが、細身の高身長で、どこからか飛び降りてきても痛がった様子を見せないことからそれなりに鍛えていることは分かった。
「思い出した、二年のナル彦だ!」
「は? 誰だそいつ」
小田原の友人が思い出した様に叫ぶと、小田原が聞き返す。
「誰も何も、目の前にいるコイツだよ。お前も聞いたことあるだろ? 二年のナルシストの噂」
「ああ、初日の自己紹介で他人を褒めまくったあと、『まあボクが一番美しいんだけどね!』と言い放ったっていうアレか」
ろくなことしてねーな。自己紹介なんて適当に済ますもんだろうに。
「とにかくここは退こうぜ。ナル彦と関わるとろくなことねーってよ。つーか俺は逃げる」
「チッ……おい遠藤! 命拾いしたな! この借りは必ず返す!」
取り巻き数人と逃げるように裏口から体育館を出る小田原。俺ごときのために集まるとは暇な奴らだ。命拾いとは大げさであるが、別に命くらい惜しくない。俺が死んだところで悲しむのは両親と親戚くらいなものだろう。殺すなら殺してみろ。度胸があればの話だが。
あとその借りは一生滞納しといてくれ。返すな。返されたくない。
「逃げた……か。ふっ、口ほどにもない人たちだ。大丈夫かい? 君」
振り向いた彼は、なんと本当にイケメンだった。髪を染めたり無駄に整えたりしていない、純粋培養モノだ。街で偶然すれ違えば男性アイドルと見間違える程度には顔立ちが爽やかだった。イケメンを自称していたのも頭より先に目で理解してしまう。うわぁ、実在すんのか、こんな奴。
「あー、はい。特に暴行受けたわけじゃないんで」
「それはよかった。ああ、敬語はやめてくれたまえ、気楽に話し合おうじゃあないか」
そう言う彼は、明らかに気楽に話そうとしていない。それともこれが彼の常識なのだろうか。まあ世の中には俺みたいな常識外れもいることだし、別におかしくはないか。多分。
「分かり……分かった。そうさせてもらう」
「うん、素直なのはいいことだ。ボクの名前は伊沼義彦。二年だけど、君は一年かな?」
「俺は一年の遠藤孝。伊沼先輩か、さっきは面倒なところを助けてもらってありがたい。礼に何か……」
「遠藤氏、先輩付けもいらないよ、あと礼なんていらないさ。ははっ」
笑顔で手を横に振る。方法はともかく面倒さがなくなったわけだし、一応何か礼をしときたいのだが。本人がいらないって言ってるならいいか。
「ボクのクラスは早く授業終わったんだけど、たまたま通りがかったら言い争っているような声が聞こえたから来てみただけさ。美しくないのは見過ごせないからね、大したことじゃない」
「なるほど、そうか」
どうやら伊沼の行動基準は美しさであるようだ。まあおかしくは……やっぱり変だ。
「何か醜いことがあったら、二年二組まで来てくれたまえ。気が向いたら対処しよう。ではさらばだッ」
「おう。ありがとな」
伊沼は俊敏な動きで出口まで向かい、無駄に三連ハンドスプリングを決めながら視界から消えた。身体能力高いなあ。
誰もいない体育館を見渡して、教室へ戻るべく歩を進める。やれやれ、面倒な奴に絡まれてしまった。また教室でボロクソ言われるのだろうか。いや、さっきは他のクラスメイトが去るまで留まってたようだから、出来るだけ隠れて俺と喧嘩したいのだろうか。どちらにせよ嫌なことであるのは変わらない。関わりたくねえし関わらないから、関わらないでくれ。
はあ、憂鬱だ。暑いし。




