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1章 奈々城祈(1)

 6月は、青々と若葉が茂る夏の始まりだ。


 掛け時計は狂うことなく時を刻み、窓の外の松の木は風に靡いて揺れている。

 紫陽花の上のカエルが鳴き、真南から少しずれたところにある太陽がこれから本番だと言うように燦々と照り続けるなか、一年三組の教室で俺は机に伏せていた。


 外で体育でもしているのか騒ぐ生徒の声でうるさく、隣の教室から教師の声が聞こえてくる。つまり今は授業中であった。

 うつ伏せの状態から顔を上げ、開口一番つぶやいた。


「……寝すぎた」


 綺麗に纏めてみようとしてみたが、要するに俺が寝てて移動教室に遅れただけだ。

 正面の時計を見ると、五時間目開始から二〇分ほど経過していた。つまり誰も俺のことを起こそうとしなかったということだ。

 それも当たり前である。何故なら俺には友達がいない。よく話す知り合いもいない。出来ないのではない。俺が自分から友達を作ろうとしないだけだ。頑張っても出来ないであろうことは想像に難くないが。


 ふと出しっぱなしのノートが目に入る。遠藤孝(えんどうたかし)。紛れも無い俺の名前だ。平々凡々であるおかげで名前関係では苦労したことが一度もない。書くのは楽だし口頭で伝えやすい。その点においては我が両親に感謝感激雨あられだ。改めて思う。孝でよかった。


 と、無駄な思考で無駄な時間を過ごしたことに気付く。時計を見れば起きてから一〇分が経過していた。今更行ったところでどうにもならないだろう。五時間目はサボるか。

 一人でいたって何もすることが無い。勉強は却下。それ以外は……やっぱり無い。


 寝るか。


 言い訳は、素直に寝てたで通すことにして、俺は再び眠りについた。


 そして何事もなく今日の学校生活が終わる。まだ校舎内にいるが、そのうち帰るから問題ない。もちろん部活なんてものはやっていない。やる訳ない。自宅で寝る方がまだ有意義だ。

 帰りの会と言う名のホームルームで担任の話を軽く聞き流して荷物をまとめる。


 しかし、毎日教科書を背負い、授業のときだけ鞄から出し、帰りの会で仕舞う。この一連の作業はとても面倒なものではなかろうか。俺は面倒だ。さっさと電子パネルのノートみたいなものを開発して安価で売ればいい。黒板や教科書ももちろん電子式。あとは専用のタッチペンを付けてしまえば鞄が凄く軽くなって無駄な労力を使わずに済むだろう。こうした無駄な思考で無駄な時間を過ごさせるんだから、文科省は早く開発に取り組むべきだ。


「起立!」


 突然の委員長の号令に反射的に立ち上がる。頭では理解していなくても長年の学校生活により染みついてしまった習性。起立を怠るといつまで経っても先生の挨拶が始まらず、クラスメイトから白い目で見られると言う、帰りの挨拶。

 思い出す。寝て怒られて下校時刻が二〇分延びた小六の夏。周りから怨嗟の目で見られたり暴言を吐かれたり直接蹴られたり――


「礼! さようなら!」


 慌ててクラスメイトに合わせる。知り合いに見られたら笑われるところだったな。現実に知り合いはいないから心配する必要が無い。数少ない利点と言うところだ。

 ちなみに俺の席は窓際の一番後ろの席。先週の席替えで誰とも仲良くない俺は端へ端へと追いやられ、この一番地味な位置に決まった。だから誰にも見られる心配が無い。先生には見られてしまうが、前の席のイケメン共が騒がしいのであまりこっちに目を向けないだろう。地味なところも俺の数少ない利点だ。


 帰りの会が終わったのでクラスの半数以上は部活に向かい、帰宅部組は真っ直ぐ帰途につく。俺も帰宅部組の一員のはずなのだが、その中でも他人と交流を持たない俺は彼らと行動を共にしない。というか誰とも行動を共にしない。

 そんなわけで、俺はいつも放課後に一人で一時間ほど時間を潰してから帰る。そうすると丁度帰宅路に人気が少なく帰宅にストレスを感じなくなる。その一時間で普段は宿題や課題をこなしているのだが、今日は特にすることがない。どうするべきか。下手すると一時間無駄にしてしまう。


 ああ、そう言えば五時間目にサボった物理。あの時間を取り返すか。教科書見て勉強すれば大体分かるだろう。

 それにしても授業で勉強を強制させられ、そのうえ学外でも勉強させられるなんて勉強嫌いの生徒にとって拷問に等しいのではないか。例えば俺のような。

 嘆息しながら、出したくもない気力を振り絞って俺は席を立った。


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