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3章 セレナ・橘・セレスティア(5)

 俺に将来設計というものは、特にない。


 普通に進学して、普通に就職して、普通に結婚して普通に家を買って慎ましく暮らす。人生そんな上手くいくものではないが、昔思い描いた理想を言えばこうであった。

 だから思わなかったのだ。生きてるうちに、豪邸にお邪魔することがあるだなんて。


「でけえ……」

 一人つぶやく。セレナの耳には聞こえてないのか、何も反応がなかった。

 お使い終了後、スーパーで食材を買い、遠藤家と正反対の電車に乗って三十分。セレナが言う「アテ」へとやってきた。彼女自身の家、つまりはセレスティア家である。台所を貸してもらえるのだそうだ。


 マンガやアニメで見るような豪邸というほどではないが、父ちゃんが汗水垂らして勤続一五年目にやっと建てた我が家の面積を一とすると五は超えている大きさだ。庭広すぎ。家デカすぎ。そしてキラキラしすぎ。装飾は金色や銀色のものばかりで、この家を建てた建築家は悪趣味であることが窺える。


「いつまで立ち止まっておりますの? 早く行きますわよ」

「ああ、そうだな」

 セレナが開けた玄関の扉をくぐる。と、なんと廊下でメイドが出迎えていた。


「お帰りなさいませ、セレナ様」

「ただいまですわ」

 全体的にフリルがついており、頭の上にはカチューシャ、服自体はロングスカートの上にワンピースという、360度どこからどう見てもメイドだと分かる服装である。そのメイドは恭しくセレナに礼をしたあと、俺に懐疑の視線を向けた。


「そちらの方は?」

「学友ですわ。話は通してあるから心配しないでくださいませ。名は遠藤ですわよ」

「失礼しました。遠藤様、どうぞよろしくお願いいたします」

「どうも」


 一応頭を下げる。この人、仕草も言動も完全にメイドである。メイドなんて見たことないがそう感じさせられる。ただひとつ気になるのは、最初に俺に向けられた視線が完全に敵意のみであったことだ。「あ? なんでこんな奴と会わなきゃいけねえんだ。けっ」とでも言いたそうな目であった。俺だってそんな性格のやつと会いたくはない。どうせ話す機会もないだろうし、別にどうでもいいが。


 セレナに案内されて手洗いうがいをしたあと、調理室まで辿り着く。第二調理室、と張り紙がしてあった。台所が二つ――もしくはそれ以上――あるとは裕福な家である。

「なあ、メイドが居るなら俺じゃなくて彼女に頼んだほうがよかったんじゃないか?」

「それはシオリの――先ほどの彼女のことですの? 彼女はあくまでもお父様に仕えているのでわたくしの頼み事は聞きませんわ。個人的に頼むと言ってもあまり親しくはないですし、シオリは定時になったらすぐ帰る人間ですので」

「そうか。まあそりゃそうだよな」


 メイドとの仕事というのはその家族の世話まで受け持つものと思っていたが、雇い主に言われない限りはやらないものなのか。やはりイメージだけで語ろうとするのは良くないな。傍から見れば俺だってただの根暗で一人ぼっちの可哀想なやつというイメージに見えるが、その実……事実その通りだな。自分が可哀想とは思わんが。


「で、なんだっけ。ハンバーグだっけか」

「そうですわよ! 明後日の弁当の主食はハンバーグで決まりですわ!」

 スーパーで買ってきたのは、ハンバーグとそれに付随する主菜副菜の材料だ。ハンバーグになった理由は、スーパーで

『遠藤。貴方、今食べたいものは有りまして?』

『あ? ……ハンバーグ』

『じゃあそれで決まりですわね!』


 というやり取りがあったからだ。ハンバーグはそれなりに手間がかかるため初心者には大変だと一応忠告はしたが、セレナ曰く審査員の好きなモノを選んだほうが有利じゃありませんの、とのことだ。今の気分と二日後の気分は違うだろうし、真田の好物とは限らないのだが、まあ本人がやる気であるのでいいのだろう。その結果どうなろうと知ったことではない。

 俺に頼まれたのは料理を教えろということであり、勝たせろということではないのだ。

 ともあれ、おかずの中で一番手間がかかる料理がハンバーグなので、俺達はまずそれを練習することにした。


「よし、早速やるか。さすがに包丁くらいは使えるだろ」

「え? 使い方知りませんわよ」

「は? ……調理実習って何してた」

「周りの皆さんが勝手にやってくれるので、皿の用意をしてましたわね」

「分かった。そっからかー……」


 家庭科の授業くらい真面目にやっといてほしい。教える身にもなれ。やってないからこそ俺のような他人に頼んでるのだろうが。

 ちなみに俺は人の輪に入らないため調理実習のときは何もかも自分一人でやっていたような記憶がある。一人でグループ全員の料理をつくるのは面倒だったが、授業だしやらない訳にはいかなかった。何故グループを組まなければいけないのだろう。一人のほうが楽なのに。


「まあいい。まな板はどこだ?」

「ここですわね」

 セレナは戸棚から大きめのまな板と包丁を取り出す。それを見て俺は言った。

「よし、まずは玉ねぎをみじん切りにしろ」

「ええ! いきなりですの?」

「誰のための講習会だと思ってんだ。どこか不手際があったらそこで言うから心配すんな。あとこれレシピな」


 ぽい、っと一枚の紙を渡す。受け取ったセレナはそれをしげしげと観察したあと、俺に向き直る。

「で、どこで印刷したんですの?」

「携帯で適当なサイトを見て、スーパーで印刷した」

「へぇ、便利な機能もありますのね。感謝いたしますわ」

「これくらい手間でも何でもねえよ。つーか早くしてくれ」

「分かりましたわ。玉ねぎをくださいませ」


 スーパーの袋から玉ねぎを1個取り出して渡す。セレナはそれをまな板の上に置き、包丁で切ろうと――

「って待て。皮をむけ皮を」

「皮? この茶色のですの?」

「当たり前だろ」

「そうでしたの? 知らなかったですわ」

 それを聞いて絶句する。この程度のことも知らないのか? あり得んだろ、今までの人生で一体何を見てきたんだ?


「とにかく、皮を剥くのは常識だ。あと切る前に水洗いしろ。絶対忘れんなよ」

「はーい、ですわ」

 素直に頷くセレナを見て。彼女の知識の浅さを見て。俺は思った。

 前途多難だなあ、と。


「包丁の柄はそのまま握るもんじゃねえ」

「使ったことないんだから仕方ないじゃないですの! じゃあどうすれば!?」

「人差し指以外で握って、人差し指は刃の裏に載せる。身体はまな板に対して斜め四十五度」

「こうですの?」

「そうそう、そうやって――ってそれじゃ玉ねぎじゃなくて指切るだろうが!」


「あのな、ヘラってのは材料を潰すためじゃなくて混ぜるのに使うんだ。しっかり炒めろ」

「なるほど……こうですわね!」

「勢いを加減しないと飛び散るってのは分かんねえのか?」


「いくら適量って言ってもな、塩コショウをテキトーに振りかけるのはどうかと思うぞ」

「細かく書いてないのですから分かりませんわよそんなの! というかさっきからうるさいですわ、そのくらい出来ますわよ!」

「出来てねえから言ってんだよ。これからはミス無しで出来るってのか」

「当然ですわ。わたくしに出来ないことはございませんことよ」


 言い切る。とてもそうは思えない。

「それなら俺はそこの机で休むぞ。必要になったら呼べ」

「呼ぶことはないですわよ、首を長くして待ってなさいな!」

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