3章 セレナ・橘・セレスティア(3)
「そうそう、セレナさん。一昨日の昼休みの当番、貴女よね?」
一昨日……といえば俺が図書委員に誘われた日である。そういえばあのとき、鍵が……
「そうですが、それがどうかいたしましたの?」
「そうですが、じゃないわよ。鍵が開けっ放しだったわ。退館するときは気を付けて頂戴」
「あら、そうでしたか? わたくしとしたことが不覚ですわね」
ほとんど悪びれずにセレナは言う。そんな彼女を見て奈々城は、口角を上げ、目を細め、大きく嘆息するような、一言で言うなら挑発の仕草をした。
「まったく、そうやってだらしないから太るのよ」
「ふふふ太ってなんかいませんわ! 証拠はあるんですの!?」
「証拠もなにも、肉付きを見れば……」
「ちょっと見ただけじゃ分からないレベルだけどね~」
「先月は食べ過ぎただけですわ! ちょっと運動すればすぐに戻りますもの。祈の方こそ、そんなことを言ってるから小皺が増えるのですわ」
「増えてないわよ、しっかり気を付けているもの」
「さあどうかしら? 五年後が楽しみですわね~」
「そういうセレナさんこそ……!」
「なら祈の方も……!」
いつの間にか二人が目の前で口論を始めていた。図書委員が図書館で騒いでどうすんだよ。幸い貸出または返却をしに来る人はおらず、この程度の声量なら誰も気にしていないようだが。
……それでも五月蝿え。
「あーまた始まった。祈とセレナちゃんの夫婦喧嘩。もはや名物だよね、これ」
どんな理由があったとしても、こんな名物は嫌だ。気にしなきゃいいだけだし、実際気にする気もないがな。
「いやー、二人はほんと仲悪いよ? 根本的なところじゃ似通ってるんだけど、好みが正反対」
「へえ」
「四月頃にあたしが気まぐれで、『目玉焼きには何かけるの?』って訊いたら祈は醤油派でセレナちゃんはケチャップ派だったし」
「反対なのかそれは」
どうやら親しく、という俺の観測結果は間違っていたようだ。根本的なところじゃ似ているらしいから同族嫌悪というやつだろうか。多分そうだろう。もし俺がもうひとり居たら気持ち悪いと思うしな、実際。
「あと祈が好きなのはきのこの里で、セレナちゃんはたけのこの山」
「菓子の好みまで反対なのか」
「うん、コーヒーと紅茶でも分かれてるね。ちなみにあたしは味噌汁派」
誰も訊いてないし誰も得しない情報だな。
「二人が顔を合わせたら毎日のように喧嘩してるからねー。いっつも準備室でやってるからここでやるのは珍しいけど」
「ここでやることもあったのか」
「二、三回程度だけどね」
そういえば図書館での勉強中、たまに口論が聞こえてきたことがある。スルーしてしまくっていたが、こいつらのせいだったのか。
周りに配慮したのか声は小さくなったが、未だに彼女たちの口論は続けられていた。もう五月蝿くないから個人的には問題ないとはいえ、仕事しなくていいのだろうか。
女子二人の口論をただただ眺めていると、図書準備室ではない別の部屋から鈴本先生がくたびれたサラリーマンのように這い出てくる。ゆっくりと腰を伸ばして歩いてくる先生は、髪を逆立てている二人の女子を見たあと、俺に向かってこう言った。
「遠藤、あれは見なかったことにしとけ」
教師としてそれでいいのかよ。
「生徒の問題は生徒間で解決すべきだ。俺が注意するのは図書館内で騒ぐなということくらいだが、今は騒いでないから俺から言うことは何もない」
もっともらしい理屈を並べたあと、それに、と付け加える。
「もうすぐ終わる。どうせいつものパターンだ」
「面白いからあたしはもっと見たいんだけどねー。女の争い」
一言付けるだけで一気に昼ドラっぽくなったな。見たことねえけど。
いつものパターンとやらは知らんが、なんにせよ終わるならそれに越したことはない。早く仕事をもらって、さっさと終わらせて光の速さで帰ろう。俺はそうしたかった。
セレナが言葉を叩きつけるかのように言い放つ。
「もう我慢できませんわ。決着を付けましょう。決闘、決闘を申し込みますわ」
「奇遇ね、私もそうしようと思ってたところなのよ。今回は何で闘うのかしら?」
およそ普通に暮らしてて聞くことなんてないであろう単語が出てくる。そして言葉の端々から決闘が初めてじゃないことが分かる。暇人だなこいつら。
「そちらが決めてよろしいですわよ。わたくしに出来ないことはありませんわ」
「通算成績は私の方が一勝多かった気がするのだけれど」
「そんなの運の範疇ですわ。今に私が追い越しましすわよ」
「私が大差をつけるほうが先だと思うけれど。……それにしても勝負方法、どうしましょう。五〇メートル走やテストの順位争いはやったしねぇ……」
「持久走や○×クイズなど、結構やり尽くした感がありますわね」
「もう一回五〇メートル走やりましょうか?」
「わたくしの勝ちは目に見えていますし、まだやってないことで競いませんこと?」
「今度こそ私が勝つに決まってるけど、まあそれがいいわよね……」
とにかく二人揃って勝負方法を決めあぐねている、その時だった。
ぐー。
「あ、ごめんごめん。お腹すいちゃってさ」
気の抜けたような音が真田の方から、というか腹から聞こえてきた。真田は照れ笑いをしながら頭を掻いている。それを見て、奈々城はポンと手を打った。
「そうよ、料理で勝負しましょう」
「り、料理ですの?」
「ええ。明後日の昼休み、図書準備室に集合しましょう。お弁当を作って、その味で勝負を決めるのはどうかしら? 一日空けたのは準備期間よ」
奈々城の提案を受け、セレナは少し考えるような仕草を見せて、
「……上等ですわ、受けて立ちますわよ」
そう言い放った。
「でも、勝敗の決め方はどうしますの? 二人で食べさせ合いでもするんですの?」
「嫌よ、そんなの。そうね、味の方は第三者に見てもらいましょう」
言い終えると同時に、奈々城は俺達の方に首を向けた。……なにをしろと。
「味の審査? あたしはオッケー。こう見えても特技は食べ比べなんだよ、履歴書に書けるね」
「間違ってもその履歴書は就活に使っちゃダメよ? で、遠藤君はどうかしら」
「やらん。そこにいる先生にでも……って居ねえ」
これを見越して既に逃げていたようだ。見渡す限りどこにも居ない。大人って汚い。
「とにかく、俺がやる理由はないだろ」
「理由ねぇ……。遠藤君は学食? それとも弁当?」
「学食」
「それならタダで食べられる分いいじゃない。どうせ学食に行く労力もここに来る労力も変わらないわよ」
「……それもそうだな」
教室からの距離は同じようなもんだ。俺がこいつらの弁当を食べたところで不都合はないし、一食分(約三百円)得するだけ。なんだ、好条件だな。
「分かった、行けばいいんだろ行けば」
「満更でもない表情なのは気のせいかしら?」
「気のせいだな間違いない」
「なんにせよこれで決まりですわね。ルールはどうしますの?」
「冷凍食品の禁止。量は常識的な範囲に限る。このくらいでいいんじゃないかしら」
「いいですわね、吠え面かかせてやりますわ」
「奇遇ね、私も同じ気持ちなのよ」
見えないはずの火花が見える。随分と殺伐とした図書館だな、ここは。
「おお、四人揃ってるな。皆来てくれて何よりだ」
本棚の陰から汚い大人がやって来た。いつの間にあんな遠くまで逃げていたのだろう、わざとらしく今来たようなセリフまで付けてやがる。
「あら、疲れたような顔をしてますけど大丈夫ですの? 先生」
「今さっき悩みの種が消えたところだ。それで、早速だが働いてもらいたい」
「なんですの? 何でもやりますわよ」
「まあそう焦るな。真田は本棚に本を戻す作業を続けてくれ。奈々城はあの棚の整理をして欲しい、分類番号913のあの辺だ。カウンターは俺がやろう」
「分かりました」
「はいはーい、忘れない限りやるよー」
「頼むからしっかりやってくれ……。それで、だ。遠藤と橘は……」
先生はこちらを向くと、厳かに仕事内容を告げた。




