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私の聞いた、戦争体験。私の感じた、戦争への思い。戦う必要のある時って、どんな時?

作者: 三河みかん

私が子供の頃に、祖父から聞いた戦争体験を、私の記憶が風化する前に、書いておきます。




【注意事項】

祖父個人の体験です。

子供の頃から聞いた話を思い出してのエッセイです。


祖父は亡くなっており、再確認や他からの検証等はしていません。


戦争に対しての個人的なエッセイである事を踏まえた上で、それでも良ければお読み下さい。




※※※※※※




第二次大戦の末期に、祖父が徴兵されました。


徴兵対象から、当初は外されていましたが、末期には対象が拡大していき、祖父も対象となったようです。


三河から三島迄は列車で、静岡県三島市の三島大社で祈願して、船でパプアニューギニアのラバウル港に行ったそうです。


パプアニューギニア、地球儀で見ると、恐竜(怪獣)みたいに見えませんか!?


一番最初に聞いたのは、保育園に行く前の年齢(~5歳頃)です。


よく聞いていたのは小学生の頃ですね。


その後も折に触れ、8月頃になると話題に出ていました。


幼い私に家族は

「おじいさんは【恐竜(怪獣)島】に戦争に行ってたんだよ」と、教えてくれていました。




ラバウル港に着いた直後に空襲があったそうです。


避難する防空壕の場所も知らない時に、突然の空襲に合い、船から降りた人達の殆どが亡くなったそうです。


防空壕も狙い撃ちに合い、生き埋めになってしまったそうです。


祖父は港の岩影、亀裂になった場所に身を潜めていて、助かったそうです。


この襲撃で、港近くの基地は壊滅状態になり、僅かな生き残りの人達で、内地の基地に向かったそうです。




パプアニューギニアは赤道直下の国で、北方に出兵した方に比べて比較的マシだったようです。


それでも食料事情はよくなかった様です。


ある時、食事準備している時に、現地の子供達が興味を持って、覗き見していたそうです。


祖父は内緒で、豚飯を少し食べさせたと言います。


暫くしたら、大人を連れて再び来たそうです。


祖父は基地の上官に事情説明し許可を得て、豚飯を現地の人達に振る舞ったそうです。


それから徐々に、現地の人達の協力で、食料事情が改善されていったと聞きます。


基地には上官がいますが、現地の部族長は一兵卒(一番下っぱ)の祖父と信頼関係を築き

「○○、ナンバーワン!」と、祖父と交渉しては協力してくれたそうです。


部族長と祖父が肩を抱き合い、並んで写る写真が1枚。

祖父が晩年まで『【宝物】だ』と大切に仕舞っていました。


残念ながら、この写真を私は見た事がありません。


父が1度だけ、祖父に見せてもらっているだけで、他の家族や親族も話だけで、見せてもらってません。


晩年に祖母や叔母が、祖父の古い物をかなり焼却処分していたので、もう無いかもしれません…


とても残念です。




同じ班の方や、班長さん達とは、相手が亡くなった後も家族ぐるみで付き合いがありました。


終戦して帰国する時、食料の配給があったそうですが

『農業やってるから、食べる物はある』

と、班長さんや他の班員達に、食料は全部譲って来たそうです。


帰宅したら、思ったほど食べる物が無かったから、かなり困ったそうです。

でも、必死に作って、何とかなったと、笑って話してました。


伊勢湾台風で、三河地区にも被害がありました。


当時、祖父は借金して農地を買った後で、作物の被害が酷く、困っていたそうです。


班長さんは静岡県の方でしたが、心配して様子を訪ねて来てくれたそうです。


家や作物の被害が酷く、土地を手放さないと、どうしようもない状態だったみたいです。


班長さんは話を聞いて、黙って大金の入った紙袋を置いて行ってくれたそうです。


祖父は必死に働いて、全額返したそうです。


班長は貯金だけでなく、借金してお金をかき集めて、『(戦争当時のお礼で)やるつもりで、渡した』と返済後に話したそうです。


被害状況から、返ってこないと思ってたみたいです。

でも返ってきた。


おかげで、班長さんや奥さんが亡くなるまで、交流がありました。


『俺は(周りの)人に恵まれてる』


と、祖父がよく言ってましたが、私は祖父の対応のおかげだと思います。


極限の状態で、その選択…


自分が出来るとは思えないです。


今、世界情勢は悪化している面があり、戦争に対する様々な意見がニュースに取り上げられています。


日本が戦争に巻き込まれないといいな…と、思います。


ただ思考停止のような戦争反対には、違和感があります。


国があっての国民です。

国が無くなれば、人はバラバラになり、文化は失われます。


第二次大戦を美化するつもりはないけど、無理に非難したりしたくないです。


当時、アジアで植民地を免れたのは、日本を含めて2国のみでした。

有色人種に対する差別は今もありますが、比較にならない位に酷かったようです。


そんな中、日本という国、日本人を守るために、戦ってくれた祖父や曾祖父世代に、当時も今も私は感謝しています。


おかげで日本という国に住む日本人でいられる事を。


戦いたくなくとも、頑張ってくれて。


死なないで、次世代に命を繋いでくれて。


おかげで、今、生きている私がいる。




国には戦争にならない為に外交努力をして欲しいのは勿論ですが、

個人でも、他者や異文化への理解は出来るはず。


自分達を守る為に、戦う場面は、人生にあると思う。


戦争みたいな大きな戦いだけでなく、

目玉焼きに何をかけるか? とかの、個人的な嗜好による小さな戦いも。


この覚悟や、自覚がない。


無意識な対立や戦いは、覚悟や自覚がない分、怖い一面がある。


極限の状態では、その人の人間性が出るけど。

日頃から出来ない事は、極限状態でも出来ない。


優しい気持ちは、言葉や行動にしたいね。


戦うまでに、出来る事から。

日常の小さなな対立や戦いを無くす事から。


この機会に、考えてみて欲しい。


争う必要性がある事って、本当は少ないんじゃないかな!?


戦う必要のある時って、どんな時なんだろうか…








お読み下さり、ありがとうございました。


テーマ的に荒れそうです。

今回は、感想欄にコメントは差し控えます。


誹謗中傷は通報&削除しますが、それぞれの意見はそのまま残します。


色々な考えをお寄せ下さい。

また、色々と考える機会になれば…と。




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― 新着の感想 ―
[良い点] お祖父さんは、大変な経験をされたんですね。 私の祖父も、南方のニコバル島というところに徴兵されて戦に行ったそうです。 ですが、私が幼い頃に亡くなったので、詳しいことは聞けないままです。 …
[良い点] メッセージ、ちゃんと見えましたよ そうですね、戦わなきゃいけない時に戦えるように! 争わんでええことは争わんようにせんと 大切な人を守るために人は戦うんですから そのエネルギーの…
2017/08/14 17:54 退会済み
管理
[良い点] 極限状態になったらその人の本当の姿が見えるって本当なんですね。勉強になります。 やはり戦争自体は悪いものですね。 でも、その中で現地の人との交流はちょっと素晴らしいものがあるなと感じた…
感想一覧
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