私の聞いた、戦争体験。私の感じた、戦争への思い。戦う必要のある時って、どんな時?
私が子供の頃に、祖父から聞いた戦争体験を、私の記憶が風化する前に、書いておきます。
【注意事項】
祖父個人の体験です。
子供の頃から聞いた話を思い出してのエッセイです。
祖父は亡くなっており、再確認や他からの検証等はしていません。
戦争に対しての個人的なエッセイである事を踏まえた上で、それでも良ければお読み下さい。
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第二次大戦の末期に、祖父が徴兵されました。
徴兵対象から、当初は外されていましたが、末期には対象が拡大していき、祖父も対象となったようです。
三河から三島迄は列車で、静岡県三島市の三島大社で祈願して、船でパプアニューギニアのラバウル港に行ったそうです。
パプアニューギニア、地球儀で見ると、恐竜(怪獣)みたいに見えませんか!?
一番最初に聞いたのは、保育園に行く前の年齢(~5歳頃)です。
よく聞いていたのは小学生の頃ですね。
その後も折に触れ、8月頃になると話題に出ていました。
幼い私に家族は
「おじいさんは【恐竜(怪獣)島】に戦争に行ってたんだよ」と、教えてくれていました。
ラバウル港に着いた直後に空襲があったそうです。
避難する防空壕の場所も知らない時に、突然の空襲に合い、船から降りた人達の殆どが亡くなったそうです。
防空壕も狙い撃ちに合い、生き埋めになってしまったそうです。
祖父は港の岩影、亀裂になった場所に身を潜めていて、助かったそうです。
この襲撃で、港近くの基地は壊滅状態になり、僅かな生き残りの人達で、内地の基地に向かったそうです。
パプアニューギニアは赤道直下の国で、北方に出兵した方に比べて比較的マシだったようです。
それでも食料事情はよくなかった様です。
ある時、食事準備している時に、現地の子供達が興味を持って、覗き見していたそうです。
祖父は内緒で、豚飯を少し食べさせたと言います。
暫くしたら、大人を連れて再び来たそうです。
祖父は基地の上官に事情説明し許可を得て、豚飯を現地の人達に振る舞ったそうです。
それから徐々に、現地の人達の協力で、食料事情が改善されていったと聞きます。
基地には上官がいますが、現地の部族長は一兵卒(一番下っぱ)の祖父と信頼関係を築き
「○○、ナンバーワン!」と、祖父と交渉しては協力してくれたそうです。
部族長と祖父が肩を抱き合い、並んで写る写真が1枚。
祖父が晩年まで『【宝物】だ』と大切に仕舞っていました。
残念ながら、この写真を私は見た事がありません。
父が1度だけ、祖父に見せてもらっているだけで、他の家族や親族も話だけで、見せてもらってません。
晩年に祖母や叔母が、祖父の古い物をかなり焼却処分していたので、もう無いかもしれません…
とても残念です。
同じ班の方や、班長さん達とは、相手が亡くなった後も家族ぐるみで付き合いがありました。
終戦して帰国する時、食料の配給があったそうですが
『農業やってるから、食べる物はある』
と、班長さんや他の班員達に、食料は全部譲って来たそうです。
帰宅したら、思ったほど食べる物が無かったから、かなり困ったそうです。
でも、必死に作って、何とかなったと、笑って話してました。
伊勢湾台風で、三河地区にも被害がありました。
当時、祖父は借金して農地を買った後で、作物の被害が酷く、困っていたそうです。
班長さんは静岡県の方でしたが、心配して様子を訪ねて来てくれたそうです。
家や作物の被害が酷く、土地を手放さないと、どうしようもない状態だったみたいです。
班長さんは話を聞いて、黙って大金の入った紙袋を置いて行ってくれたそうです。
祖父は必死に働いて、全額返したそうです。
班長は貯金だけでなく、借金してお金をかき集めて、『(戦争当時のお礼で)やるつもりで、渡した』と返済後に話したそうです。
被害状況から、返ってこないと思ってたみたいです。
でも返ってきた。
おかげで、班長さんや奥さんが亡くなるまで、交流がありました。
『俺は(周りの)人に恵まれてる』
と、祖父がよく言ってましたが、私は祖父の対応のおかげだと思います。
極限の状態で、その選択…
自分が出来るとは思えないです。
今、世界情勢は悪化している面があり、戦争に対する様々な意見がニュースに取り上げられています。
日本が戦争に巻き込まれないといいな…と、思います。
ただ思考停止のような戦争反対には、違和感があります。
国があっての国民です。
国が無くなれば、人はバラバラになり、文化は失われます。
第二次大戦を美化するつもりはないけど、無理に非難したりしたくないです。
当時、アジアで植民地を免れたのは、日本を含めて2国のみでした。
有色人種に対する差別は今もありますが、比較にならない位に酷かったようです。
そんな中、日本という国、日本人を守るために、戦ってくれた祖父や曾祖父世代に、当時も今も私は感謝しています。
おかげで日本という国に住む日本人でいられる事を。
戦いたくなくとも、頑張ってくれて。
死なないで、次世代に命を繋いでくれて。
おかげで、今、生きている私がいる。
国には戦争にならない為に外交努力をして欲しいのは勿論ですが、
個人でも、他者や異文化への理解は出来るはず。
自分達を守る為に、戦う場面は、人生にあると思う。
戦争みたいな大きな戦いだけでなく、
目玉焼きに何をかけるか? とかの、個人的な嗜好による小さな戦いも。
この覚悟や、自覚がない。
無意識な対立や戦いは、覚悟や自覚がない分、怖い一面がある。
極限の状態では、その人の人間性が出るけど。
日頃から出来ない事は、極限状態でも出来ない。
優しい気持ちは、言葉や行動にしたいね。
戦うまでに、出来る事から。
日常の小さなな対立や戦いを無くす事から。
この機会に、考えてみて欲しい。
争う必要性がある事って、本当は少ないんじゃないかな!?
戦う必要のある時って、どんな時なんだろうか…
お読み下さり、ありがとうございました。
テーマ的に荒れそうです。
今回は、感想欄にコメントは差し控えます。
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色々な考えをお寄せ下さい。
また、色々と考える機会になれば…と。