1-3
「……ただの厨二病じゃ、なかったんですね……」
魔術師と。そう言った悠人が決してふざけているわけではないと思ったのだろう。数瞬言葉に詰まったかなめだったが、自身を納得させようとするかのように小さく嘆息した。
事実、先程目の前で繰り広げられた戦いを目にしてしまえば、いくら常識が邪魔しようとも理解せざるを得ないだろう。
「……お前、そんな風に……いや、無理もないか」
厨二病という言葉を聞いて情けなく顔を歪ませる悠人だが、この世界の常識を思い出したのか、諦めたように意気消沈する。
「……まぁ、今は長々と説明するわけにもいかない。 避難を急がないとな」
「そうですね……」
「警察に……いや、この場合は軍か? 保護を願うまで、安心できそうにない」
いまだに遠くの戦闘音は途切れていないのだ。ひとつ危機が去ったからといって、間違いなく楽観できる状況ではない。
「はい、急ぎましょう……ぁ……」
「っ……おいっ」
足元に下ろしていたバッグを抱え直し、一歩踏み出そうとしたかなめがふらりとよろける。
気付いた悠人が咄嗟に肩を押さえて支えたが、あまり具合は芳しくなさそうだ。
「……ごめんなさい……なんか、力が……」
「……俺を起こす前にどれだけ走りまわっていたのか知らんが……体力の限界か」
「いえ、すぐに……動きますから……」
「無理するな。 ……気が利かなくて悪かったが、とりあえずそのバッグを貸せ」
そう言ってかなめの手からバッグを奪い、自分の肩にかける悠人。しかし重さからその中身が気になったのか、眉を潜めてかなめに尋ねる。
「おい、やけに重いが……何が入ってるんだ、これ」
「あの……色々、ですけど……本、です」
「は……? この非常時に持ち出すものが、本?」
答えに呆れたように問い返す悠人。しかしかなめも自覚はあったのか、目を逸らしてばつが悪そうに答えていた。
「あの……図書館で借りた本がほとんどで……」
「ちゃんと返さなきゃって? ……残念だがその図書館、閉館だよ」
そう言って悠人が目を向けた先は戦闘音が続く赤い空。
その方角に図書館があるのだろう。あくまで想像でしかないが、状況を考えれば建物自体の無事すら怪しい。
「……まぁ俺も本はよく読む。 本が好きならその気持ちはわからんでも――」
視線を落とし、そう言いかけた時だった。
「――!?」
カッ――と空を白く灼く閃光。
そして同時に、耳に届く爆発音すら掻き消す轟音が近く鳴り響いた。
「――なんだ!?」
「か……雷……?」
そう、古来より神の怒りとして恐れられてきた自然現象にして、災害。雷である。
「……冗談はやめてくれ。 雷だと?」
「え……でも今のはどうみても雷だと……」
「……こんな月の綺麗な夜に?」
「あ……」
悠人の指摘するところに気付いたかなめが、空を見上げて言葉を失くす。
避難の最中もずっと夜道を照らしていた月明かり。はっきりと輪郭を浮かび上がらせるそれは、無数の星々と共に雲ひとつない夜空に浮かんでいる。
たとえこの場で雨粒ひとつ降っていなくとも、空に積乱雲でも浮かんでいるのならばまだ理解もできただろう。
しかし春先のよく晴れた夜に、雲も見えないのに近くで雷が発生することは……まず、ありえないのだ。
少なくとも、自然現象としては。
「異常気象? ……そんなものより、よほど信じられそうな可能性があるな」
「それって……」
「……雷を発生させる、何かが居る」
その言葉にかなめは反論することができない。最悪の想像をしてしまったのだろう、元々良いとは言えなかった顔色が更に暗く沈んだものになる。
つい先程、目の前で虚空から炎が生み出されるのを見たところなのだ。同じように雷を生み出す化け物がいないとも……言い切れない。
「……やはり、一刻も早く避難場所を目指すべきだ」
「はい。 ……頑張ります」
「いや、俺が抱えて行く。 ……初対面なうえ怪しい男という自覚はあるが……我慢してくれ」
顔を引き締めて足を動かそうとするかなめを制し、悠人は腕を広げる。
「え、あの……もしかしてそれって……お姫様抱っこ……ですか……?」
悠人のとろうとしている体勢に不穏なものを感じたように、かなめがその身をさっと引く。
「……背負ってもいいんだが……その体勢で走り回れば、背負われる方にもかなりの腕力が必要になる」
「それは……はい……なんとなく、わかります……」
「その様子じゃそんな体力が残っているようには見えない。 ……それとも、脇に抱えて行こうか?」
問われた言葉に幾分思い悩む様子を見せるかなめ。
しかし悠人の言い分に理があると認めたのか、思い切ったように一歩近付いた。
「……荷物扱いよりは……その、お願いします……」
絞り出すように告げたかなめは緊張で身体を固くし、ぎゅっと目を閉じる。見ればその顔はほんのりと朱に染まっており、お姫様抱っこに対する羞恥を強く感じているのがわかる。
そしてそのまま五秒経ち、十秒経ち――
一向に抱き上げられる気配がないことを訝しく思ったか、かなめが片目を開いて確認してみれば、そこには先程の戦いの最中のように表情を強張らせる悠人の姿があった。
「……やられた」
「……え?」
「悪いがさっきのは無しだ」
傍目からでもその神経を尖らせているのがありありとわかる悠人の様子に、かなめは目に見えて動揺する。
「あの幻想種……最期の声は断末魔じゃない」
「幻想種ってさっきの……?」
「ああ……。 奴め、呼びやがった」
その言葉の意味するところはどこにあるのか。かなめがゆっくりと視線の先を追っていくと――
「ひっ……!?」
――二人が元来た方向、歩道にゆらりと立つ、獣の姿。
「また、仲間が……!?」
「待て」
反射的に後退るかなめを、悠人が静かに制す。
「動く前に、振り返ってよく見てみろ」
真剣な声色に、ごくりと喉を鳴らすかなめ。
既に嫌な予感に苛まれているのだろう。恐る恐る振り返り、暗闇の中に目をこらして――
「嘘……」
――今度こそ心が折れたかのように、へたりとその場に崩れ落ちる。
「……クソ……本来は群れるタイプか」
そう吐き捨てる悠人はかなめの様子に気を遣う余裕もないようで、ひたすら辺りを警戒し続けている。
それもそのはず。二人が向かうべき方角には、先程と同じ醜悪な姿をした獣が三体。向かって右側、道路を挟んだ先の歩道には二体。後方の一体を合わせて、六体もの獣に囲まれているという状況なのだ。
「人ひとり抱えての強行突破は……できれば避けたい」
「強行、突破……?」
「いや、それはひとまず忘れてくれていい。 ……せめて半分でも数を減らさないと、無理な話だ」
そう言って悠人は手に持つ剣の柄を深く握り直し、かなめは感情が抜け落ちたような無表情で俯くのみだ。
「とりあえずもう少しこっちに寄ってくれ。 壁を背にして――」
「……ってください」
「……何?」
歩道に面する建物の壁際へとかなめを促す悠人だが、ぼそりと呟かれた言葉に眉を寄せて聞き返す。
座り込んだまま俯く彼女は無表情で、しかしはらはらと涙を流しながら、再度その言葉を口にした。
「……行って、ください」
それは、どのような心境から出た言葉なのか。
困惑した様子の悠人が声を出せずにいると、彼女はゆっくりと顔を上げ、目を合わせて更に続ける。
「玄須さんひとりなら……突破、できるんですよね?」
そう言った彼女の顔には、無理に作っていると一目でわかるような笑顔が貼り付けられて。
「もう、充分です。 ……足手纏いになって、玄須さんまで危険に……なんて」
膝の上で握りしめられた拳は、小さく小刻みに震えている。
「……私が囮になれば、楽に逃げられるかも――」
そこで、パン――と乾いた音が響き、言いかけたかなめの言葉が中断される。
泣き笑いのまま固まった彼女は新たに言葉を発することができず、悠人は振り抜いた手をゆっくりと戻す。
「諦めるなと俺に言ったあんたが、俺より先に諦めるのか」
聞く耳持たぬと言わんばかりの強引さで、悠人はかなめを小脇に抱えていささか乱暴に壁際へと押しやる。
「恩は返すと言った」
どさりとかなめを落とした彼はすぐさま背を向けて視線を敵の群れへと。
「あんたは生きる。 俺が助けるからだ」
感情の昂ぶりに応えるように手に持つ剣――魔術礼装が魔力を喰らい、その身に火の粉を纏う。
「そして、俺も生きる。 あんたに助けられたからだ……!」
彼の纏う剣呑な空気に反応したか、後方の一体が低く唸りながら地を蹴った。
悠人は背にかなめを庇い、構えをとって刃を煌めかせる。しかし向かいの歩道から眺めていた二体もまた、乗り捨てられた車を乗り越えようと動き出すのだった。
いまだ距離のある前方の獣を除いても、ほぼ同時に三体。
果たして、勝機はあるのか――いや、確かにあるのだろう。先程の圧倒的な狩りを思い出せば、彼の力は群れが相手としても決して見劣りするものではないはず。
だがしかし、言葉通りに背後の彼女を守りながらとなれば、まさしく綱渡りの戦いとなるに違いない。
それを証明するかのように、悠人の顔にはこれまでにない焦燥感が浮かんでいる。
この刹那の間にも迫り来る獣との距離は急速に縮まっており、激突の瞬間までそう猶予はない。
右手に炎の刃を、左手には魔力で編んだ障壁を。その相貌には確かな殺意を湛え、今こそ解き放たんとするまさにその寸前――
「動くな!」
――戦場に凛と響き渡る、女の声。
そしてその直後に轟く、重く連続する炸裂音。
それは此処とは別の戦場から遠く聞こえてくる戦争の代名詞。紛うこと無き、銃声だった。
「――!?」
――ギィ□ァ□□□□!
驚きはその場の人と獣を平等に襲い、更に奇襲を受けた個体が苦悶の声を上げる。
最初の三点射で後脚が一本ちぎれ飛び、更に続けて胴体を撃ち抜かれた獣は標的に辿り着くことなく瀕死と化して地に伏せることとなった。
この状況を生み出した第三者――声と銃声の主はたった今沈んだ獣の更に後方に。
白い軍服に身を包み、片耳からヘッドセットのようなものを覗かせ、金の髪を靡かせる二十代頃の女性。駆け寄りながらもアサルトライフルを構え、正確無比な射撃を見せたその姿は、夜の闇の中にあって確かな存在感を放っていた。
「側面!」
短く発された注意を促す言葉に、悠人は改めて表情を引き締める。
鉛の嵐に沈んだ個体にやや遅れて動き出した二体の獣が、今まさに彼とかなめを目標に飛び掛からんとしていた。
「ありがたい……!」
予期せぬ援軍の登場に、ぎらつく笑顔を浮かべて敵を睨む悠人。
一時的にせよ包囲は崩れ、前方の三体はまだ距離がある。ならば攻められるのを待つ必要などないと、自ら深く踏み込んで牙を剥く。
「ふっ……!」
一体目には、爪をかいくぐって横腹への回し蹴り。一戦目の焼き直しのように、車道を越えて壁に叩きつけられた獣の唸りが重く響く。
直後に襲い掛かる二体目の牙をかわし、更に伸びてくる鞭状の尾は火の粉を舞わせて一閃。
咄嗟に下がろうとする獣へ瞬時に肉薄し――
「焼き斬れ」
――断末魔すら許さぬとばかりに、首を切断した。
この間、わずかに数秒。
斬り落とした首と胴体が炎に包まれるのを確認し、悠人は先に吹き飛ばしたもう一体に目を向ける。
既に起き上がっていたその獣は怨嗟の声を上げ、再び大きな跳躍を見せるが――
「ちっ……!」
――その軌道は、彼を悠々と飛び越えるもの。
「やらせるか……!」
獣が降り立とうとしているのは、歩道に面した建物の壁際。顔色悪く状況を見守っている、かなめの元である。
すぐさまその意図に気付いた悠人は振り返り腰を落とす。しかしその顔に大きな焦りは見られず、間に合う、と確信しているのが見てとれた。
あとは全身に巡らせた魔力を爆発させ、アスファルトを踏み抜くのみだが――
そこには既に、軍服姿の一人の女が待ち構えていた。
「守護の女神、アテナの加護を皆に……」
近接に移行するためか先程のライフルは手にしておらず、徒手のままで跳び掛かる敵に相対す。見れば後方の獣は既に止めを刺されて完全に沈黙していた。
かなめを背にして立つ彼女の様子からは一切の恐怖や不安が見えず、守りきるのだという絶対の自信が感じられる。
「来なさい――」
その根拠はいったいどこから来るものなのか。それは次の瞬間、文字通り形となって顕れた。
「――アイギス……!」
高らかに叫ばれる名と共に、彼女を守るよう二つの白銀が浮かび上がる。それは細長い盾のようであり、腕よりも長い肩当てのようでもあった。
――グr□□ィ□□□!
そこへ敵意を剥き出しにした獣が空中から躍り掛かる。
大きく前脚を振りかぶり、鋭い爪の一振り。それを女は盾――もしくは肩当てにて真っ向から受け止めた。
ギンッ――と鈍い金属音を残し、身体ごと弾かれる獣。
女のほうは大して衝撃も受けず平然としており、当然のように白銀の装甲には傷ひとつない。
無言で立つ女に対し、苛立たしげに唸る獣が更に飛び掛かり、速度を上げて一撃、二撃と凶器を振るう。
それら悉くを防ぎ、弾き――まるで演舞のように闘うその姿を、後方のかなめ、そしてその隣に移った悠人の視線が追い掛ける。
「すごい……」
「……ああ。 これが、幻想具……」
――幻想具。
異界より這い出てきた化け物――幻想種と同時にこの世界に顕れた人類の牙。
それは人の身に宿り、人の心に応え、人の敵を駆逐する力となるもの。
彼女は自身のそれを『アイギス』と、そう呼んだ。
ギリシャ神話において、鍛冶の神ヘファイストスの手によって作られ、主神ゼウスが娘のアテナへ与えたとされる神具。
その形状は盾として描かれることが多いものの、肩当てや、胸当てであったとも言われる、いわば無形の守り。
ありとあらゆる邪悪を祓い、災厄を退けると伝えられるそれは、このような獣を相手にすれば無類の強さを発揮するだろうことは想像に難くない。
「――っ!」
幾度かの交錯の後、長いようで短い演舞の時間は終わりを告げる。
爪による猛攻をあえて弾かず、柔らかく受け流した彼女は獣の眼前へ深く踏み込んだ。
醜悪な牙を目の前にして大腿部に固定されたナイフシースより刃を抜き放つ。
その勢いのまま突き上げられた幅広のナイフが獣の喉へと吸い込まれ――
「το τέλος……」
ガンガンガン――と、都合三発。
いつの間に抜いたのか、細身の女性が持つには不釣り合いなほど大型の自動拳銃から、獣の腔内へ向けて弾丸が撃ち込まれた。
一瞬遅れてぐらりと傾く獣の身体。女はナイフを抜いて素早く距離を取り、銃口を外さぬままその最期を確認する。
距離の近付いたかなめと悠人がその様子を静かに見つめている。
街灯に照らされた横顔は白く、吸い込まれそうな蒼い瞳が凛と輝く。光を受けた長い金の髪と相まって、その姿はこの国の人間とは別種の美しさを湛えていた。
「……間に合ったようで何より」
銃を下ろし、二人へ顔を向けた女が言葉を掛ける。
「国連対幻想種特殊作戦軍、横須賀基地所属のクロエ・アタナシオスだ」
そう名乗った彼女は緊張を解かぬまま。距離を置いて唸りを上げる獣に、再度視線を向けて続ける。
「戦えるとの報告は受けていたが……予想以上だ。 申し訳ないが、もうしばらく協力を頼みたい」
「それはもちろんだが……報告とはなんだ?」
クロエの言い様を聞いて若干の警戒心を覗かせる悠人。そんな彼に、言葉足らずですまない――と前置いて、彼女は空を指差した。
「UAV……無人偵察機だよ」
悠人とかなめが釣られて見上げた先、一行の真上には、確かに彼女の言う通り一機のドローンが浮かんでいた。
「市街地に逃げ遅れた民間人を発見、幻想種と戦闘中であると報告を受け――最も近くに居た私が先行した」
その説明に悠人はなるほど、と頷いて警戒を解く。そして隣で黙り込んでいたかなめもまた安心したのか、一歩前に出てクロエへと話し掛ける。
「あの……ありがとうございます……。 私……私のせいで、玄須さんが……死んじゃうかもって……」
言葉を詰まらせながらの訴えに、ちらりと目を向けたクロエはふっと微笑む。
「礼は戦場を抜けてから受け取ろう。 ……もう少し、頑張って」
最後の一言を告げた彼女は、これまでの軍人然とした振る舞いを崩し柔らかい雰囲気を感じさせた。
しかしその直後には再び表情を引き締め、耳元のヘッドセットへと手を当てる。
「……やっと到着したか」
その言葉は恐らく通信越しの相手へのもの。悠人とかなめが見つめるなか、よく通る美しい声色が辺りに響く。
「前方三十に三体、ゆっくりと移動している。 ……処理は任せていいな?」
そう言って手を下ろしたクロエに対し、悠人が確認するように問いかける。
「処理というのはあの獣共か? ……援軍と思っていいんだな?」
「ああ、そうだ。 協力を、と言ったが……私と共に、彼女の守りに徹してくれればいい」
わかった――と返し、悠人は三体の獣を視界に収める。
万が一にもこちらへ被害が及ばないようにか、その視線は真剣そのもの。援軍とはどこから到着するのか、かなめも同じくその時を待ち構えて――
「――!?」
それは、空から墜ちてきた。
唐突に現れた影は真ん中の獣の真上に出現し、その存在を晒すと同時に獣の頭を踏み潰す。
そしてその隣にいた個体が体勢を整える前に懐へ接近。その速度は悠人やクロエの踏み込みと同等――いや、それよりも更に疾く、身体を風と化していた。
恐らくかなめの目では離れていようとも追えていないだろう。その尋常ならざる速度を乗せた足技をもって、二体目もまたその頭部を失うこととなった。
そこでようやく反応の追いついた最後の一体が反撃に出るも――
「と、飛んでる――!?」
「……いや、あれは飛んでるというより――」
大きく空へ跳躍して獣の突進をかわした影は、あろうことかそのまま空中で方向転換。ぐるりと弧を描いて背後を取り、そのままガラ空きの背中へ踵を叩き込み――
わずか数秒の間に、残る脅威はその全てを排除された。
「……す、すごい……!」
「あれも、幻想具か……」
あまりの早業に、驚愕を隠すことなくその顔に貼り付ける悠人とかなめ。
そして再びクロエがヘッドセットへ手を当て、ご苦労――と短く告げると、影は一行の元へと走り寄る。
――地面ではなく、空中を足場として。
「空を、走ってる……」
視線を固定して呆然と呟くかなめと、同じく興味深そうに見つめる悠人。
段々と軍服の輪郭が露わになる影が彼らの元へ辿り着くのには、ほんの少しの時間で事足りた。
「いやー、隊長殿の人使いの荒さに愛を感じますよまったく」
そう随分と軽い調子で現れたのは、二十代後半頃に見える茶髪の男だった。
先程の戦いぶりが夢だったのではと思えるほどの様子に、別種の驚きを表す悠人とかなめ。
しかしその意識はすぐさま身に纏う幻想具の輝きに奪われた。
それは西洋の甲冑に見られるような、膝までを覆った鋼鉄のブーツ。
アイギスの白銀に勝るとも劣らぬ美しさは、いずれ名のある神具、宝具の類いであることを窺わせる。
「空を、走る……ロキの靴……!」
「……北欧神話のトリックスターか」
「おっ、すごいすごい。 これだけの情報でよくわかったねえ」
悠人とかなめの呟きに、嬉しそうな声色で肯定する男。咄嗟に答えを導いた二人としては、本好きの面目躍如といったところか。
北欧神話にて、悪戯好きで二面性のある悪神として語られるロキ。
彼は陸、海、空と、あらゆる場所を駆けることの出来る空飛ぶ靴を持つという。
「すまないが、話は後だ」
と、そこへ静かに割り込む声はクロエのもの。
「ひとまずの安全は確保できたが、ここはまだ戦場だ。 ……浪川、先行して哨戒を頼む」
「了解。 ……やっぱ愛が溢れてるわ」
早々に移動のための指示を出すクロエに、浪川と呼ばれた男は戯けた口調ながらも真剣に頷く。
何よりもまず避難を、というのは悠人とかなめが語っていた方針と同じものだ。しかしその言葉を聞いた悠人は軍の二人を止めにかかる。
「待ってくれ。 ……あんた達と合流する前に比較的近くで雷が鳴り響いた。 あんなものを放つ化け物がいるとしたらさすがに単独で哨戒を、というのは危険じゃないのか?」
それを聞いたかなめはあの轟音を思い出したのかさっと顔色を変える。人知を越えた力を持つ三人が傍に居るとはいえ、姿の見えない未知を恐れるのは当然と言えるだろう。
しかし対する軍の二人はおかしなモノを見たという風に目を丸め、とりわけ浪川に至っては徐々に声を上げて笑い出した。
「ば、化け物……っはは……化け物だってよおやっさん……!」
「……君らの見た雷なら何も心配いらない」
その反応に、拍子抜けしたような顔を晒す悠人とかなめ。しかしおかげでもう一つの可能性に気付いたか、かなめは怖ず怖ずと問いかける。
「じゃあ、あの雷って……」
「ああ、あれは幻想具によるもの……同僚だよ」
答えを聞いたかなめはほっと息を吐いて安堵した様子を見せる。顔を強張らせて最初に指摘した悠人も同様だ。
そんな二人に、ひとしきり笑い終えた浪川が居住まいを直して向き直る。
「はは、まぁあれだけ見りゃ確かに化け物じみてるけど……安心しなよ。 本当の化け物に向けられる、帝釈天の怒り――ってやつだ」
そう言って浪川は話をまとめ、機動力を活かして避難経路の哨戒へと。
かなめは改めて悠人に抱きかかえられ、クロエの護衛のもと隊に合流、避難場所へと向かうことになり――それから時を置かずして、遠くの戦闘音も終息に向かい出した。
救った者と、救われた者――そして、救われなかった者。
様々な運命が交錯した夜を越えて、彼らは次なる朝を待ち望む。
ここまでが自分の中で第一話扱い。そして書き溜め分は終了です。
少ないとは言いましたが、キリ良く割るとたった三部になってしまいました。
次からは二話?二章?に入りますが、一部単位でキリの良いいとこに収まれば当然その都度投稿します。が、そうでなければキリの良いところまで書き溜めてからまとめて投稿、という形にするかもしれません。
のんびり更新になるとは思いますが、気長にお付き合いください。