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クロスオーバー  作者: シンクレア・山田
Crossing of the fate
1/3

1-1




 生きながらに、死んでいる。

 虫食いだらけの記憶を辿ってみれば、俺はまさしくそういう人間だった。


 目が覚めれば家を出て、なんとなく惰性で学業に励み、友人と当たり障り無く笑う。そして巻き戻すようにして家に帰り、家族に小言を頂いてまた眠りにつく。

 ニュースに映る政治家は宇宙人のようで、テロップで表示される「戦争」の二文字も、まだ遠い異世界の出来事で。小さな不満はあれど、同じサイクルで繰り返される毎日を受け入れ、同じ明日が来ることを疑っていなかった。


 退屈だったのだろう。その退屈を紛らわすために、本を読んだ。代わり映えしない日々の合間に文字を追いかければ、少しだけ時は早く進んだのだ。

 物語を追体験し、事典で知識を得て、思想書により他人の人生に触れる。本とはひとつの完結した世界であり、自分の世界を育てるための肥料でもあった。

 そのまま歳を重ねて世界が広がれば、いつか情熱を傾けられる物事が見つかったかもしれない。あるいは、自分で筆をとる未来もあっただろう。


 しかし、そんな「いつか」が訪れることはなかった。


 陽の落ちきった夜の暗闇の中、耳をつんざく悲鳴と怒号。散発的に鳴り響く銃声。街中に流れているのであろう遅すぎる避難勧告。

 いつも通りの一日に異物が混ざり込み、日常は非日常に塗り替えられる。テレビで見た戦争が急に現実味を帯び、今までの常識が崩れてゆく音を聞いた気がした。


 家族共々ろくに荷物も持たず走り出し、同じように逃げ惑う人々の波にさらわれた。きちんと避難誘導に従えているのかすらもわからず、ただただ恐ろしいモノから逃れたい一心で足を動かし、心臓に鞭打った。

 赤の他人と肩をぶつけ合い、追い越し、追い越され。じわりじわりと「死」が近付いている気がして――皮肉にも、その時はじめて明確に生きているという実感を得た。


 どれほど走ったのか。気付けば共に逃げていたはずの家族の姿はなかった。いつの間にはぐれていたのか。今も無事でいるのか。不安が広がり、恐怖が膨れ上がろうとした時、ふと足を止めた。


 ――止めて、しまった。


 誰かに見られているような。誰かに呼ばれているような。

 何の根拠もないそんな感覚に釣られて、ふらりと人波を抜け出す。あの流れの先には、再びの平穏が待っていたかもしれないのに。


 結果として、いつ終わるとも知れない不安からは逃れることに成功した。

 何かに吸い寄せられるように辿り着いた先、目の前には夜の暗闇よりなお深い、闇。それをどう表現すればいいのか、その時の俺は一切迷わなかった。


 化け物、だ。

 自分達はこんなモノから逃げていたのか。こんなモノから逃げられるのか。理不尽を呪う言葉が頭の中に浮かび上がるが、その全てが形になることはない。ひりつく喉が吐息以外の音を発する前に、目の前の化け物は嗤うように大きく口を開いた。


 ――これはあれだ。食事、ってやつだ。


 視界が閉ざされ、意識が途切れる寸前。恐怖が回り回ったか、最期にしては少々間の抜けた思考を残して――


 俺は世界から弾き出された。







 ◇ ◆ ◇







 ――はらり、はらりと、紙をめくる音が静かに流れる。

 薄暗い部屋の壁には、自らを囲むようにずらりと並ぶ棚と本、本、本。俺はやはり、本を読む。

 しかしこの時の俺は退屈からではなく、本から知識を得ることそのものに喜びを感じていた。全ての生を捧げてもいい。自然とそう思えるほどそれらの書物は魅力的で、心を引きつけてやまない魔力に満ちていたのだ。


 魔力とは、比喩ではない。


 その世界は、「魔」に満ちていた。人の営みの裏側に純然として存在する怪異。数多の神秘を宿し、秘術を後世へと伝える魔導書。そして、人が人を超え、超常の力を振るうための御業――魔術。

 それらはどうしようもなく醜悪で、忌避すべきもののはずで……けれど、俺の目にはどうしようもなく輝きを放って見えた。


 ここでの生い立ちはもう思い出せない。気付けば魔導書に通じ、魔術を極め、怪異を祓っていた。いつしか賢者と呼ばれ、持て囃され……恐らく、驕っていたのだろう。人の身には過ぎた力を得て、秘奥を体現し、それでも更なる高みを望んでしまった。



 神へと至る。



 それは余りにも甘美な誘惑だった。世界を手に入れたかったわけではない。人々に崇められたかったわけでもない。ただただ挑みたかったのだ。

 知識を吸収し、大きく育てあげてきたはずの己の世界。それを更に広げるために、高次へと駆け上がる階段を欲した。


 果たして、望みは叶う。

 いや、ほんの少し目算が狂えば踏み外すような道程の先、ようやく一歩踏み込んだ、というべきか。

 魔導の叡知を頼りに、研鑽を重ねた術をもって、神々の世界を覗き見た。その姿はあやふやで、「まだ遠い」のが直感で理解できる。しかし同時に、あれは紛れもなく自らが求めた神であると確信した。


 ついに、見た。ならば、届く。歓喜が全身を支配し、希望が脳髄を焦がす。

 しかしその時、あやふやだった神々の姿に異変が起きる。

 黒く染まり、ハッキリと輪郭を浮かび上がらせていったそれは、憧憬を向けるにはあまりにおぞましい姿をしていた。


 化け物、だ。

 これまで片手間に祓ってきたような怪異とは違う。正真正銘、掛け値なしの化け物。

 随分と久しぶりに、恐ろしいという感情を思い出した。


 ――これも神の姿か。


 目が離せない。指先ひとつ動かせない。

 ああ、神の怒りを買ったのだと理解した時には何もかもが手遅れで。大きく口を開いた闇に堕ちてゆく自身を知覚して――


 俺はやはり、世界から弾き出された。









 Cross over


    -Crossing of the fate-









「はぁ、はぁ……っ」


 等間隔で並ぶ街灯や、建物から漏れ出る光。そしてわずかに届く月明かりによって、夜の街がうっすらと照らし出されている。


 ありふれた二車線の車道と、ガードレールを挟んで隣接する歩道。お国柄か、平時は綺麗に保たれているはずのその公共の道路はしかし、今は「荒れている」と言って差し支えない有様となっていた。

 歩道には足跡だらけの立て看板や中身のぶちまけられたゴミ箱が転がり、車道には渋滞のまま動けずに乗り捨てられたのであろう車がずらり。災害の後に見られるような、決して小さくない混乱の跡が窺える。


 そんな中で灯りに照らされる人影がひとつ。

 長い黒髪を揺らして息を切らせる少女。見た目は十代後半頃で、シンプルなパーカーとジーンズに身を包み、大きめのバッグを肩から掛けている。

 人気のない物悲しい通りを懸命に――しかし、速度を見れば随分ゆっくりと走っていた。


「はぁっ……はぁっ……遠……すぎっ……!」


 苦しげに息を吐くその顔は、運動で上気してなおその白さがよくわかる。服越しに見える手足のラインも細く、普段から運動とは無縁の暮らしを送っていたのかもしれない。加えて、肩からぶら下げたバッグも体力を奪うのに一役買っているのは間違いない。

 救いがあるとすれば、今が春先であるということ。夜ともなればやや肌寒く感じる空気は、運動で火照った身体には心地いいだろう。


 なぜ、走っているのか。

 それはひとえに、どこか遠くのスピーカーから流れてくる避難命令に従ってのことだ。

 避難勧告でも、避難指示でもなく、命令である。法的根拠に基づいて発せられるそれに背けば、当然ながら罰則が待っているのだ。そしてそれは、一般国民にまで強制力のある命令が下されるほどの危機が迫っているということ。荒れた道路の理由も、概ね同じだろう。


 と、そこへ流れる放送を中断させるかのように鳴り響く音が少女の耳を打つ。


「……っ! また……さっきより近い……っ」


 ダダダダ……と、建物に反響しながら届くその音の正体は銃声だ。それも、警官が持つハンドガン等ではなく、恐らくはアサルトライフル。紛れもなく、戦争、またはそれに非常に近い行為を行っているのだ。

 何度も散発的に鳴り響くのを聞いてきたせいか、彼女にはすでに必要以上の驚きはない。早く逃げなければと改めて決意し、暴れる心臓に鞭打って避難場所のある方角を睨みつけ――


「ひっ……!?」


 目に入ったものに、呆気なく決意を揺さぶられた。


「なに……これ……?」


 車の影から歩道に向けて流れるもの。

 それは、大量の血液だった。


 足を止め、口元を手で覆ってフラフラと後退(あとずさ)る少女。その視線が周囲に向けられると、更に絶句したような気配を発する。

 道路に放置された車のうちのいくつか――そのボンネットや天井に、大きくへこんだような跡があった。まるでなにかに(・・・・)踏みつけられたような、そんな跡が。


「こんなの……冗談じゃない……」


 そう小さくこぼして、地面の血液を避けるようゆっくりと足を進め出す。

 その場からある程度距離をとった所で一度大きく息を吐き、改めて避難場所を目指す――と思いきや、少女が目を向けたのは先程とは別の方角だった。

 その視線の先には小さな雑居ビルが立ち並んでおり、先ほどの血液のような異常は見当たらない。方角的に避難場所への近道というわけでもなさそうだが、ならばそちらには何があるのか。

 その答えは、当の本人こそが最も欲しているように見えた。


 不思議そうに、そして不安そうに眉を(ひそ)め、どこか一点を見つめる少女。

 何を考えているのか、その表情から読み取ろうと思えば……そう、まるで――


 誰かに見られているような。誰かに呼ばれているような。


 意を決したようにその足が動き出す。向かう先はやはり、当初と少しずれて雑居ビルの方向へと。

 一刻も早くあの異常地帯から離れたいという思いもあったのだろう。一歩を踏み出せばあとは迷いなく駆けはじめた。


 あの血溜まりはいったい何だったのか。仮に人のものだとすれば間違いなく致死量だが――


 そもそも、血を流した後の身体は何処に行ってしまったのか?


 そこに思い至る様子がなかっただけ、彼女の精神衛生上は良かったと言えるのかもしれない。





 程なくして、少女はその場所に辿り着く。元々真っ暗ではないにせよ夜の闇の中でも視界に入る距離だ。そう時間はかからなかった。

 駆け足から、ゆっくり速度を落として徒歩へと移る。見つめていたビルの前まで来てもまだ足は止まらない。今、彼女の向かう先はそのほんの少しだけ奥。ビルとビルの間に存在する隙間、ほとんど明かりの届かない路地裏だ。


 不安そうな表情のまま吸い寄せられるように闇へと近付き、やがて正面から覗き込める位置まで進んだ時――


「――!?」


 息を呑むような、声にならない悲鳴。

 いや、先程と違い、あらかじめ不安があったために声を出すのは我慢できたのかもしれない。


 暗く細い路地裏の奥。そこで目にしたのは、うつぶせで倒れる人の姿だった。


「いや……なんでこんな――え?」


 反射的に踵を返しかけたその時、少女の目が動くものを捉えた。

 それは気付いたのが奇跡的と言えるほど些細なもの。さらに暗闇の中である事を思えば、まさに荒唐無稽な瞬間でもあった。

 しかしそれは勘違いや気のせいなどではなく、確かな現実。他ならぬ倒れた人の背中が、ゆっくりと、そして微かに上下していた。


「……生きてる……!」


 直前に感じていたであろう恐怖を微塵も感じさせず、慌てて駆けつける少女。近くに寄ればはっきりと輪郭が浮かび上がり、細かく状態を観察できるようになる。


 さらりと伸びる黒髪から覗く横顔は、少女と同世代の少年の――いや、青年のものというべきか。モノトーンでまとめられた服装の上からでは分かり辛いが、血痕等はなく、大きな外傷はなさそうだ。


「落ち着け……本で読んだ。 原因がわからないのに下手に動かしちゃだめ」


 冷静であろうとするためか、自分に語りかけるよう狭い通路に独り言が小さく響く。

 とはいえ、専門的な医療の知識などは持ち合わせていないのだろう。少しだけ何事か考える素振りを見せた後、恐る恐る青年の頬に手を伸ばし、ぺたぺたと軽く叩きはじめる。


「大丈夫ですか? ……聞こえますか?」


 そうして、一分か、二分か。耳元で声をかけ続けていた少女だが、思い切ったように今度は肩に手を伸ばして揺すりはじめる。

 脊椎や頚椎の損傷の可能性がある場合、倒れている人間を素人考えで動かすのは危険である――というのはもはや本に学ぶまでもなく常識の域だろう。だがしかし、今はそれを踏まえても時間をかけていられない程の非常時だ。多少の無茶も仕方が無いというところか。

 仮にそれでも反応がなかった場合、女の細腕で意識のない大の男を運んで避難するというのは不可能だろう。最悪、この場に放置して逃げるということも考えなければならないだろうが――


「っ……うぅ……」

「――! 良かった……! 起きられますか?」


 幸いにして、後味の悪い選択肢を採る必要はなくなったようだ。

 目を開いた青年はゆっくりと身体を起こして膝立ちの状態になり、まだぼんやりとした眼差しで傍らの少女に顔を向けた。


「誰だ……?」

「あの……避難の途中であなたが倒れてるのを見つけて……」

「倒れて……俺が?」


 混乱しているのか、自らの手を見つめて握り、開く。

 心配そうに見つめる少女の視線の先で自分の身体を確認していた青年だったが、徐々に目の焦点が合ってきたと思えば、険しい表情で急に勢いよく立ち上がった。


「――神は!? いったいどうなった!?」

「……え?」


 突然の言葉に、少女は目を丸くして驚く。「置いてけぼり」という言葉がこれほど似合う状況も、なかなかないのではないか。


「俺は神に呑まれたはずだ……! なぜ、生きている?」


 ――倒れていた?飛ばされただけ?記憶が混乱している。ここはどこだ。

 ブツブツとこぼれる独り言に、唖然としたまま割り込めない少女。言葉通りに混乱しているだけなのか、それとも元々の病――もとい、嗜好によるものなのか。


 青年が思考の海に潜っている間に、少女は傍らに落ちている財布を発見、拾い上げる。少々変わった性格をしていそうな彼のものだろうか。話し掛け辛そうにまごつく少女だが――しかし今は悠長に付き合っている場合ではない。見る限り動くのに問題はなさそうなのだから、優先すべきは一刻も早く避難を続けることなのだ。


「――あの!」


 意を決したように張り詰めた声が上がる。

 その主は疲れた身体を押して立ち上がり、ひとりつぶやき続ける青年に向き直った。


「よくわからないけど、今は厨二……じゃなくて、早く逃げないといけないんです。 動けそうならすぐに行きましょう」

「あぁ……すまん、避難と言ってたな」

「はい。 混乱しているようですし道中説明します。 とにかくここを離れましょう……っと、このお財布、あなたのですよね?」

「え……あ、あぁ。 そうだ、俺の……だな」


 財布を受け取った青年は何か困惑する様子で手に持ったそれを眺める。そしておもむろに中身を確認し、一枚のカードを取り出してわずかに差し込む明かりにかざした。


「免許証……玄須悠人(くろすはると)……」

「……もしかして……名前、覚えてないんですか?」

「あぁ、いや……。 思い出した……という感じでもないが、大丈夫だ」


 それは大丈夫とは言わない、と呆れつつ、少女もまたその免許証を覗き込む。


「うん、写真は間違いなく本人ですね。 平成二十年生まれ……今年で十九歳ですか。 あ、誕生日もうすぐですね」

「……よくすぐに計算できるな」

「私、二十一年生まれですから……いえ、記憶の話も大事ですが、まずは出発しましょう」


 そう言って少女は元来た道を引き返すべく振り返る。悠人も逃げるという不穏な言葉を思い出したのか、ひとまず考えることは後回しにして後に続く。


「私、大葉(おおば)かなめといいます。 この路地を左に出て――」


 と、避難場所について説明しかけたその時だった。


「ははっ……あははは」


 歩き出した二人の後方、路地裏の反対側の入り口付近から人の声が聞こえた。


「ん……?」

「え……他にも逃げ遅れてる人が……?」


 暗い隙間を超えた先、街灯に照らされたひとつ向こうの通りに、ふらりと立ち尽くす姿が見える。

 二十、もしくは三十代ほどの男性だ。ラフなスーツ姿は混乱の中で着崩れたせいか、あまりにも無造作にシャツがはみ出している。


「あは……ぃあはははは」

「あの! 指定されてる避難場所まで、こちらの通りからのほうが早いですよ!」

「……大丈夫なのか? あの感じ、普通じゃないぞ」


 かなめがごく普通の親切心から声をかけるが、悠人はふらつく男性の姿に懐疑的だ。彼の先程の様子を思えば普通じゃないのはお互い様だが、確かに狂ったように笑い続ける姿には不気味なものを感じて当然だろう。


「……でも、さすがに無視もできません」

「まあ……そうか。 ……おいあんた! 聞こえて――……ん、なんだ?」


 同じように声を掛けようとした悠人だったが、何かに気付いたようで言葉を切る。

 明かりに照らされていたはずの男性の周囲が、暗いのだ。かなめも同じく気付いたようで視線をわずかに上げて街灯を確認しようとするが、角度が悪くビルの壁しか視界に入らない。


「影……か?」


 よく見れば、男性のスーツにちらちらと光が当たっているのがわかる。ならば街灯は正しく機能しており、男性との間に動く障害物が存在することになるのだが。

 そこで本人も気付いたのか、かくんと首を倒して顔を空に向ける。その視線の方向には恐らく街灯があるのだろうが、他に何を見つけたのか、かなめ達に横顔を晒したまま更に笑い出し――


「ぃひ……ぃあはハははははh……あ」


 ぐちゅ――という音と同時に、影が降ってきた。


「え……」

「――! 下がれ!」


 衝撃に理解が追いつかない者と、即座に動き出した者。一般人の常識を考えれば、立ち竦むかなめの反応こそ正しいだろう。

 そんな二人の視線が向かう先には、胴体だけで二メートルはあろうかという四つ足の獣。しかし明らかにただの獣ではないと一目でわかる醜悪な姿がそこにあった。


 あえて何かに例えるとするのなら、図鑑の中にしか存在しない恐竜のようなシルエット。鞭のように長くしなやかな尾。狼のような長い口には無数の牙と、だらりと伸びた舌。不気味なほど細いのに、弱々しさの感じられない足と胴体。極め付けに、全身が腐っているかのようなぐずぐずに(ただ)れた皮膚。

 控えめに言っても、およそまともな生き物ではない。


 終始笑い声を上げていた男性は、既に沈黙している。代わりに聞こえてくるのはスーツから発せられる微かな衣擦れの音と、生々しい咀嚼(そしゃく)音。

 影の主が降りたために、そこはまるでスポットライトが当たっているかのよう。誤解も、見間違えも許されないほど、はっきりと貪り喰われているそれ(・・)が見てとれる。


「あ……ああぁ……」


 血の気を無くし、ぐらりと傾くかなめの身体が抱きとめられる。


「しっかりしろ。 すぐに離れるぞ」


 その言葉に目の前の惨劇から目を離し、自らを支える腕を見つめるかなめ。しかしすぐにはショックが抜けないのか、声を出せず、思考も働いていない様子だ。

 悠人はそんな彼女に諭すような声色で更に続ける。


「今は食事に夢中のようだが、次の餌は俺達だ。 こちらに興味が移る前になるべく遠くへ逃げるべきだろう。 避難場所が指定されているなら、そちらに向かえば助けも期待できるんじゃないのか」


 冷静な言葉に引きずられるようにして、蒼白なかなめの容貌に色が戻ってゆく。大きく深呼吸し、ゆっくりと頷いて見せた彼女の目からは怯えこそ消えてはいないが、多少なりと気力は取り戻したようだ。


「よし、案内は任せる」


 言うが早いか、悠人は獣を警戒しつつ路地裏を抜け、かなめもまたバッグを抱えなおして後に続く。





 ここはまさに生と死の境界線。悪鬼蠢く闇夜の逃亡劇。

 ――これより第二部の幕が上がる。





 

 始まりました。少しだけですが、書き溜めている分は毎日投稿していきます。

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