魂くださいと悪魔が愚痴る
俺の部屋には悪魔がいる。俺の部屋に住み着いて、そろそろ10日になる。
悪魔と言っても、20代半ばの、見た目はいい男。ただし酒癖が悪い。
「私ねー、もう悪魔やめようかなって、考えてるんですよー」
焼酎をくぴくぴ呑みながら、今日もくだを巻く。
「もう、何べんも聞いた。いつまでウチにいるんだよ?」
「こんなに困ってる悪魔を追い出すんですか?お金ならありますよ、これで家賃になるでしょ」
そう言って諭吉さんを、机の上にポイッと置く。勤めてる工場の仕事が減ってきて、週休2日から週休3日になって、給料が減った俺からすると、このお金があるせいでこの悪魔を追い出せない。
「このお札、普通に使えるけど、悪魔はこれどうやって手にいれてんだ?」
「今、作りましたけど?」
「作った?ニセ札じゃねーか!」
諭吉さんを悪魔の顔に叩きつける。
「いったーい!なにすんです?」
鼻を押さえて涙目で悪魔が訴える。顔のいい奴って、何をしてもサマになるからよけい腹立つわー。
「人にニセ札つかませてんじゃねーよ!俺が警察に捕まるだろうが!」
「よく見てくださいよー。そのナンバーのお札が刷られて、同じお札が2枚になるのは5年は先のことですから」
「解るか!そんなもん」
「5年たったときに、同じお札が2枚みつかっても、人にはどっちがほんものかなんて見分けがつかないから、使っても大丈夫ですよ。それでお酒買ってきてくださいよ」
「お前が行け」
「あなたが仕事に行ってる間に、掃除も洗濯もして、布団も干しといてあげたんだから、それを労って、お酒飲ませてくれてもいいんじゃないですか?」
「ひとりで酒買って、ひとりで呑めば?もしくは呑み屋に行け」
「ひとりで呑んでもつまんないじゃないですかー。悪魔の相手してくれる人は貴重なんです。つきあってくださいよー」
目をウルウルさせて上目遣いで、カワイコぶる。うぜぇ。
しかし、金が入るのは有り難い。転職するか、今の仕事と兼業できるバイトでも探さないと生活が苦しい事情もあるので、なんのかんの言いつつ、悪魔と住んでいる。
「昔、お金が欲しいって人の願いをかなえて、がんばってお札作ったら、インフレになったことがありましたねー」
「インフレは悪魔のせいだったのかよ」
「人の希望でやったことを、いちいち全部悪魔のせいにしないでくださいよー」
「正直、もう悪魔もやっていけないんですよ。天使もいろいろ困ってるみたいですけど、ここまで悪魔の仕事がやりにくいなんて、ここ百年は無かったことですし」
「悪魔も不景気か、たいへんだな」
「他人事みたいな言い方しないでください!全部、人間のせいですからね!」
「俺に言っても知らんがな、だいたいそこがよくわからん」
「ふー、あなた、この先どうしたいんですか?」
「なんだ?唐突に。とりあえずは、安定した収入のある仕事が欲しいな」
「結婚はしないんですか?」
「今の収入じゃ、嫁を食わすこともできないし、子供ができても育てる金が無い。だいたい、相手がいない」
「なにかしたいことは?やりたいことは無いんですか?」
「そんなこと考えてるのは金と時間に余裕のある奴だ。てめぇひとり生きてくのも難しい俺には、そんなもんどうでもいい」
「なにも無いじゃないですか。魂と引き換えに叶えたい願いが無いじゃないですか」
「だったら、魂と引き換えに叶えたい願いが見つかったら、お前と契約してやるよ」
そう言うと悪魔は焼酎を一気呑みして、ぶはーと息を吐く。
「無理ですよ、それ。だって、魂を引き換えに叶えたい願いが無いんじゃなくて、あなた魂、持ってないじゃないですか」
なんでも、昔は人なら誰でも魂を持ってたはずなんだが、いつの間にか、魂を持ってる人がほとんどいなくなってしまったらしい。
「悪魔も天使も、そんなに乱獲とかしてないんですけどねー。というか、おかしいでしょ?あなた、なんで魂も無いのに生きてるんです?」
「知らんがな。俺には俺が魂もってるかどうかなんて、これまで気にしたことも無い。魂が無いとか言われても、どーすりゃいいんだ」
「人間の数の増えかたが、異常なんですよ。魂の生成流転が間に合わないペースで増えたりするから、魂の無い人間モドキが増える。でも、人間モドキばっかりで、人間の魂がこんなに減るのもおかしいんですよ。あなたたち、いったいどこに魂を隠してるんです?」
「だから、知らんがな。魂なんて、見たことも触ったこともない物、どこにあるかなんて、知るもんかよ」
「もー、医学だとか、科学だとかー。ハンパな知識で生き残ろうとするから、魂、無くしちゃうんですよー。人間のくせに、ナマイキだー」
酔いつぶれて寝ちまった悪魔を、布団に寝かせる。よくわからんが、悪魔には悪魔の苦労があるらしい。
俺は悪魔のおかげで臨時収入があるけど、同じ工場で働いている同僚は、かなり苦しくなっている。注文が少なくなって、残業どころか15時で仕事が終わってしまった。定時まで機械の手入れと掃除をするけど、これじゃいつ人件費削減でリストラになるやら。
日本の工業製品の質が落ちて、海外で売れなくなってきたので、日本中の工場がえらい不景気になってしまった。
質が低下したのをごまかそうとして、評価やら品質を擬装してきたのがいろいろバレて、世界中で日本製品の人気が落ちた。
今じゃ、ジャパンクオリティーは『擬装した二流品』の代名詞だ。
俺も今の技術を生かすなら、タイかフィリピンにでも行ったほうが、仕事がありそうだ。
「今日もこのあたり見回って来ましたけど、誰も魂、もってませんねー。質がいいとか悪いとかいう、それ以前の話ですよ」
今日もいつもの悪魔の晩酌。今晩は日本酒で。で、ひとり増えてるけど、誰?この美人のねーちゃんは?
「あーはい、私、天使です。ぶらぶらしてたら会ったんで、最近、魂無いねーって意気投合して、じゃあ呑もうかって誘われて」
「天使が悪魔と、酒呑むのかよ?」
「昔はねー、主に召されるはずの魂を、悪魔が盗もうとするんで、よく戦ってましたがね。取り合う魂が無いんじゃ喧嘩にもならない」
「ねー」
「徳を積んだ魂を運んでるときに襲われたり、業を重ねた魂をわざと悪魔に取らせてたり、そんな昔が懐かしいですよ」
「天使ってガチだから、こっちは対抗して契約で縛る絡め手でやってたんだよね」
「人の子よ、選びなさい。なーんてすまして言ってたけどー、そっち選んだらマジ許さんって、内心ハラハラしながら仕事してましたよ、あははー」
「ウチも上司が厳しいから、顔を合わせたら戦ってましたねー。でも、今はその仕事も開店休業だし。天使さん、どっかにいい魂ない?」
「有ったらなんで私、こんなとこで悪魔と飲み会やってんですかねー。悪魔さんこそ知ってるんじゃないですか?教えてくださいよー」
天使と悪魔が日本酒呑みながら、仕事の愚痴と上司の文句で盛り上がる。似たような仕事で似たような上司、らしい。ますます意気投合して、杯を重ねる。
「あなたも呑んで呑んでー」
酔っぱらった天使のお酌で、俺も呑む。
「あーん、こぼれちゃうーこぼれちゃうー」
「だったらそれ以上そそぐんじゃねぇ!」
天使も悪魔も、かなりぐでんぐでんになってる。
少し部屋の換気をするかと、窓を開ける。外の空気がうまい。というか、この部屋アルコール臭いし、スルメの匂いもする。飲み過ぎだお前ら。
「おかーわりー」
「かーんぱあーいー」
「まだ呑むのか」
そのときプーンと音がする。腕を見れば蚊が一匹、まだその季節には早いだろ。
ペチンと叩くとあっさり潰れた。少し吸われたのか血がついた。
「おおお?」
悪魔が変な声出して、俺の顔の前で両手をパチンと合わせる。
「なんだ、もう一匹いたか?」
悪魔が恐る恐る、静かに両手を開くと、そこには透き通る青色をした、小さな玉がある。
天使がそれを見て、声を上げる。
「え?魂?なんで?」
青い小さな綺麗な玉、酔いの覚めた悪魔が驚きに目を見開いている。
「小さいけれど、確かにこれは魂。なんで、蚊に魂が?本来は人間しか持たないはずの……」
天使も食い入るように、青い玉を見つめる。
「まさか、蚊が、主に認められた徳を積む者に?」
「それにしては、小さ過ぎる。これは、魂が人間を見限って、次の器を探して試しているのかも……」
小さな青い玉は、ピョンと跳ねて天使のもとに跳ぶ。
「あー、ずるい」
「ずるくありませーん。悪魔はこの蚊の願いをかなえてないんだから、契約してないんだから、この魂は主のもとに送りますっ」
天使は窓から飛んで、消えていった。
「こうしちゃいられないっ、早く仲間に教えてあげないと」
悪魔も窓から飛び立とうとして、その前にこっちを振り向く。
「ありがとうございます。これで魂が見つかりそうですよ。もう悪魔も天使も、人間モドキさんには用はありませんから、安心して暮らしてください。これ、お礼です」
悪魔が投げつけたものを、とっさに受け止める。それは束になってる諭吉さんだった。諭吉さんは俺を、呆れたように笑っている。
顔を上げると、誰もいない。悪魔も天使も、いなくなってしまった。窓から涼しい風が吹き込んできた。
終