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非日常的日常  作者: reco
6/7

試験会場退場

 受験生には受験生なりの娯楽がある。

 テレビを見ることは、受験生という肩書を背負っている今、周りに阻まれた。

 受験生になったことがある人は、一度は経験したことがあるだろう。

 友達も、今やこれなしでは勉強できない、という子まででる始末で、あたしの親も、受験勉強をしている時のお供だったと懐かしそうに語っていた。

 得体のしれなかった男の正体が解ってしまった。

 それでも、あたしは男を見たことがなかったから、それを全くの現実として受け入れることに大きな驚きはなかった。

 男はあたしが気付いたことを察したのか、苛ついた様子で、ジーンズのポケットを探り、タバコとライターを取り出した。

「もしかしてここで吸うつもり?」

「うるせえな」

「こんな狭い所で吸わないで。それに……」

 あたしは、タバコを取り上げようとして、その腕を掴まれた。相変わらず手加減というものを知らない男の握力に、痛みで顔がゆがむ。

「そんなもの吸ったら駄目だよ!」

 片手で両手首を掴まれたあたしは、どんなに抵抗しても男の拘束から逃れることはできず、ライターに火をともした男を、唯一自由になる足で、脛を、思い切り蹴りつけた。

「いってえ!」

 痛みに呻いた男は、ライターを床に落とした。それでも、あたしの手首は離さず、あたしはライターを取り上げることもできない。

 あたしは別に喫煙することに対してどうこう言うつもりはない。けれど、この男は吸っては駄目だと思った。

「シンガーが喉を傷めるようなことして、どうすんの!」

 そう、男はシンガーだった。

 あたしが受験勉強の際にいつも聴いているラジオで流れたある曲を歌うシンガー。

 売り出し中ということで、他局のラジオでも何度かその歌を聴いた。

 名前は知らない。きっと曲の紹介の時に言っていただろうけれど、あたしはそれを覚えていない。最近、テレビを見ていないから、顔も知らなかった。

「やっと解ったのかよ。お前、馬鹿だろ?」

 そう言って笑おうとして、うまく笑えないことに苛ついた様子で、男は観念したようにタバコをポケットに押し戻した。

 受験生の娯楽、受験勉強のお供といえばラジオだ。

 勉強している時の、あのシンとした独特の空気に耐えられなくなると、どうしてもラジオをまわしてしまう。

 最近では受験シーズンだからか、パーソナリティが読むハガキも、受験関係のことが多く、あたしも同じ苦しみを分かち合う同志に相槌を打ちながら参考書に向かっていた。


 男はドアに背をつけて、座り込んでいる。

 あたしもそのちょうど真向かいの壁に背中をつけて座る。

 ふたりして体育座りをして、違うのは、男は腕に顔を伏せて、あたしは顔を上げていた。

「……賭けだったんだ」

 男はポツリと呟いた。男は続けてポツリポツリと話し始めた。

「歌えなくなった。急な環境の変化で、喉をやられた」

 シンガーが歌えなくなるというのは、どんなに苦しいことなのだろう?

 あたしは、それを想像して、想像できそうもないことに気付いてやめた。

「治らないの?」

「時間をかければ治るらしい」

「じゃあ、それで良いじゃない」

 なんだ、治るなら良いじゃあないか。

 あたしはそれに少し安堵したけれど、男はイヤイヤするように伏せたまま頭を左右に振る。

「今が肝心なんだよ」

「え?」

「顔が知られて、歌きーてもらって、やっと掴めそうなのに、今できなきゃ意味がねえんだよ」

 男は、怖かったのだろう。あたしと同じで、恐怖に、ずっと震えていたのだ。

 掛ける言葉が見つからない。

 あたしは、そんな経験したことないし、男の苦しみを理解することなんて到底できないだろう。

 問題とは違う、解くことすら躊躇してしまうそれは、あたしには敵わなかった。

 あたしは、足元に視線を移した。

 この距離は境界線だと思う。男とあたしが、自分を守る為の境界線。

 踏み込んではいけない。

 踏み込んではいけないんだ。

 そう思っているのに、あたしは、メモ帳を取り出してページをめくった。

 いつだってあたしを助けてくれる相棒のメモ帳。

 めくってめくって、探した。探しても探しても、何も解決になるようなことは書いていなくて、とうとう最後のページまで来てしまう。

 あたしは、学業の神様に祈りながら、最後のページを見た。

 なかった。

 解決策なんて、書いていなくて、あたしはメモの文字が少しだけ滲んで見えたのを感じた。

 口をへの字に曲げて、こらえる。

 自分の情けなさに、どうしようもない気持ちになって、メモを閉じようとしたあたしの目に、何かが映った。

 それは、最後のページの隣、裏表紙の裏に書いてあった。

“合格するまで諦めないこと!”

 これは、あたしがこのメモ帳に一番に書きこんだものだ。このメモ帳を埋めるまで頑張るという意識で、こんなところに書いたのだろう。

 合格するまで、なんて、受験は一発勝負なのに、当時のあたしは本当に馬鹿だ。

 あたしはクスリと笑って、メモ帳を閉じた。

 どんなに途方もなくて、難しくて、頑なで、意地悪な問題だって、答えは絶対にあるはずだ。

 あたしは閉じたメモ帳を握りしめながら、男に声をかけた。

「賭けってどういうこと?」

 男は相変わらず顔を伏せたままだったが、あたしは諦めずに男に詰め寄った。

「賭けって、どういうこと?」

「一からやり直すか、諦めるかの賭けだった」

 男はさっきの告白よりも項垂れた様子で話し始める。

「考えたんだ。もし、エレベータに誰も乗ってなかったら、一からやり直す。誰か乗っていたら諦めるって」

 この寒い中、パーカーとジーンズで、男は誰も乗っていないエレベータを待っていたのだ。

 諦めるつもりなんて、なかったんだ。

 一からやり直して、また男は歌い続けようとしていたんだ。けれど、それを決めるまでに、なにか自分を納得させるものが、その後押しが、男は欲しかったのだ。だから、賭けと称して、その後押しを運に任せた。

 この時間に誰も乗っているはずがないと踏んで、エレベータを待っていたんだ。

「でも……あたしが乗っていた」

 男はここで初めて顔を上げて、あたしを見て頷いた。

「だからムカついて、少し脅してやろうと思った」

「それが理由で、あたしにナイフを突きつけたんだね」

 ナイフを突き付けてしまうほど、男は絶望し、怒ったのだ、

 諦めるという選択を、引いてしまったあたしに対して。

 そんな人が諦めることはないと思う。頭で解っていることと、思っていることは違っていて、そのどうしようもないジレンマに苦しんでいただけなのだ。

「大丈夫だよ。合格するまで諦めなかったら良いだけなんだから!」

「お前、バカだろ」

 男があたしに初めて笑った。

 それに安心したのと、男の不可解な行動が解って、あたしは息をついた。それを真似するみたいにして、男も息をつくと、またタバコに手を伸ばす。あたしが見とがめると、男は、

「最後の一本だけ」

 まるで禁煙のできない人の言い訳みたいなことを言う。

「煙がやだ」

「嫌なら床に伏せてろ。煙は上に行くんだから」

 そう言った後、男は何かに気付いたように上を見上げる。

 あたしも、上を見上げた。

「あった」

 自分が言ったのか、男が呟いたのか、あまりの衝撃でよく解らなかった。

 あたしたちが見つけたのは、火災警報器だ。煙を探知して、その異常を管理室まで伝える筈だ。スプリンクラも兼ねているが、これは管理人が管理室でスイッチを押さない限り作動しない。

 あたしと男は、顔を見合わせて、少しだけ笑った。

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