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異行  作者: yoho
その1
4/47

004

「ああああああああああああああああああああああああああ!!」


 目の前の怪物に丸呑みにされなかっただけでもよしとしたい。

 ばくんと食われそうになった俺は、咄嗟に体を翻し、その口撃(?)をかわしたかったのだが、どうにもうまくはいかず、見事に残念なことに左腕を食い千切られた。

 激しい痛みと耐えようのない恐怖におわれている今、この独白がやけに冷静な理由は、俺には到底理解しえぬのだった。てへ。


「ぐううううう…!くそっ、お前っ!俺を仲間にしようとしてるんじゃなかったのか!片腕なくした怪我人を引き連れてお前、仲間に勧誘成功しましたとない胸を張れるのか!」


 怪物からの返事はない。小さく、地の底から響くような唸り声を上げてはいるが、それが返事なのだろうか。返事にしろ返事でないにしろ、何言ってんのか分からん。

 くそう。どうすれば。仮にこの事態を切り抜けられたとしても、俺はこの先どうやって生活していけば。親には、妹にはどう説明しよう。さすがに片腕がなくなったのは隠し通せない。お茶碗をちゃぶ台に置いて食事をする羽目になるのか。夜におかずを処理する時も、今まではあえて左手を使っていたが、これからは右手一本に絞ることになるのか。たまに両手を使うという贅沢(でもなんでもない)をもう二度と味わえないのか。

 ちくしょう。ちくしょう。


「大体お前、こんな所を人に見られたらどうするんだ!警察沙汰じゃすまないぞ!自衛隊が出て来るかもしれん!いや、米軍が出てくるかもしれないんだぞ!米軍が出てきたらまずおしまいだ!お前がいかに凄い異能力者だったとしても!もしも指先で大地を砕き、一息で海を枯らすような力があったとしても、米軍の前には全くの無力だ!だからやめておいた方がいい!」


 何故か米軍に全幅の信頼を寄せている俺だった。

 大真面目にそんなことを叫ぶ俺に。怪物は真っ白な大木のような腕をぶん回してくる。


「うごおっ!」


 迫ってくる腕は見えていたので、避けられないだろうとは分かったが、ガードくらいはしておこうと、右腕を咄嗟に顔の横に構えた。もちろん、ガードの上から吹き飛ばされてしまったが。漫画やアニメでは、巨大な何かに叩き飛ばされても、大したダメージにはなっていなかったと思うんだけど、もう、この時点で、俺の体はボロボロだー!

 たぶん右腕の骨が折れてる。というか全身の骨が砕けたかもしれない。ああだめだ。軟体人間になってしまった気がする。意思だけじゃなく体までふにゃふにゃとは、な…。ふふ……。

 意味のない独白を決めてみた。

 その時だった。


「外喰くん!」


 視界の外から声がした。

 さっき聞いた声。

 さっき覚えたばかりの声。

 桜葉峰――もとい、貧乳お姉さんの声。


「外喰くん!大丈夫ですか!?」

「いや、大丈夫じゃないです。全然」


 死んでしまいます。そう俺は、駆け寄ってきた座蔵さんに答えた。

 座蔵さんは、先がない俺の左腕を見ると、辛そうな顔をした。


「治すことはできないけれど、楽にしてあげることはできます。まず逃げますよ!体を起こして!」


 ふっ、と、体の、全身の痛みが消えた。怪我が治ったのかと思ったけど、違うらしい。左腕は千切れたままだし、右腕は、でこぼこと変形したままだ。それと今気付いたが、右耳が聞こえない。鼓膜がオシャカになった!……。

 座蔵さんは俺の体を抱き寄せて、一緒に立ち上がる。

 ああ、当たらない。これだけ密着しても、何も当たらない。


「ずずっ、たぶん、彼女はあまり騒ぎにはしたくない筈!だから建物は壊さないし轟音も出さない。本気で走ればすぐに追いつくだろうけど、彼女が走れば地面は割れるし、ずずっ、地響きもなるでしょう! だから遅い。だから逃げられる!ずずずっ!」


 フェンスを踏み潰したのはいいの?

 ……フェンスのことはどうでもいいが、しかし、気になることがある。


「座蔵さん、聞いてもいいですか?」

「はい、何でしょう?」


 俺は座蔵さんに方を担がれながら。走る手助けをしてもらいながら。質問タイムに移った。


「どうして俺の居場所が分かったんですか」

「ずずっ…。それに関してはお昼にも言いましたけど。感知系異能力者がいるんですよ。ずびっ…、外喰くんと別の異能力者が接触したのが分かったみたいで、私にメールをくれました」

「あ、そう…」


 感知能力はすごいけど、連絡手段がメールっていうのが、何だか残念で。微妙な返事をしてしまった。


「それと、俺の痛みをとってくれたのは、座蔵さんの異能ですか?」


 ほぼ確信している問いだったが。

 案の定。


「その通り。ずずっ…。私の異能『痛みの器アリッサ』。他人の痛みを吸ったり、自分の痛みを他人に与えることができる…ずっ……異能力です。痛みを失った怪我は、安静にしていればその日の内に治りますよ……ずずっ……。まあ、さすがに、失った左腕は生えてはきませんけど……」


 何故か鼻をすすりながら、申し訳なさそうに、座蔵さんは言う。

 しかし、すごい異能力だ。それはつまり、即死じゃなければ、パーツさえ欠けていなければ、どんな怪我も治せるということにならないか。

 治してもらって――否、痛みを奪ってもらって図々しいというか、恩知らずというか、ちょっと失礼な物言いだけれど、痛くもないのに腕が千切れていたり、ぼこぼこだったりするのは、正直気持ちが悪かった。

 と、そこまで考えて気が付いた。痛みを奪った?ということは、座蔵さんは俺の左腕切断、右腕骨折(あとたぶん全身の骨粉砕)の痛みを――今、受けている?


「大丈夫ですよ、外喰くん……。ずずっ、私、慣れていますから。あんまり人に異能力は教えないようにしてますけど、こういう、緊急事態は、ずずっ、少なくないですからね……」


 座蔵さんは、ものすごい痛みに耐えているんだろう。

 目の周りを真っ赤に染め、涙を浮かべ、垂れそうになる鼻水をすすっていた。泣きべそをかいていた。

 俺のためにここまでしてくれているのに非常に申し訳ないが、それ以上の感謝を込めてこんな感想を述べようと思う。

 正直、興奮する。


「私が食べた痛みは、もう傷を失っています。痛みを失った傷と同じように、こちらもそのうち消えていくんです。ずびずーっ!傷よりも、格段に早く。だから、大丈夫ですよ。そんなに心配そう見つめなくたって。大丈夫です」


 確かに罪悪感を感じた目をしたかもしれないが、それはちょっと違う方向にずれているものだった。罪悪感、増し増しだった。


「でも座蔵さん、あいつ、俺を仲間に、『繁栄派』に入るよう勧誘しに来たみたいでしたよ。それなのに、どうして、俺を殺そうとしてるのか、分からないんだけど……」

「そうですね…。あの子は鴉枕と違って、簡単な理由で人を殺すような子じゃないと思うんですが…」


 ずずっ。

 座蔵さんはやっぱり、あの少女のことを知っているようだ。本人も言っていた通り、顔も名前も、異能力も。知られているんだろう。


「あ、そうか。外喰くん、鴉と戦ったんですよね?」

「え?ええと、まあ、はい。一応……」


 急な質問に戸惑う。


「やっぱりね。ずずっ。鴉は、『繁栄派』の『勧誘班』という肩書き、勧誘という名目で、多くの異能力者に接触しています。それ故に人一倍多くの異能を見てきている。それで気付いずずずっ……気付いたんでしょう。外喰君の異能の特性に」

「俺の異能の特性?」

「はい、ファミレスでも外喰くんが言ってくれましたが、君の変身能力で強化されるものは、運動能力、動体視力、それから回復力。ずじゅっ。あっ、ごめんなさい」


 鼻をすする時に変な音が鳴ったからだろうか。座蔵さんが恥ずかしそうに謝った。


「飲みましょうか?」

「はい?え?はい?何ですか…?何の話ですか…?」

「あ、いえ、こちらの話でした」


 火傷する前に逃げておこう。ふう、なんてスリルだぜ。


「………その回復力に、鴉は気付いていたんじゃないでしょうか。気付いてはいないまでも、回復力を持っている可能性を見たのでは、ずずっ、ないでしょうか。ずずっ。それで、その可能性をもう仲間に――少なくとも、あの子には話したんです。恐らくあの子は、君の異能を、回復力を試している」


 何……だと………。

 馬鹿な。迷惑な話だ。死んだらどーする。ふざけやがって。

 そう考えると、怒りが沸いてきた。

 あのクソガキ、許さねえ。

 俺は駆け出していた。











「ね、ねえ…?あの、私、あんたが超回復持ちだって聞いてたんだけど……。ち、違うの…?ねえ……?ち、違うんだったら、ご、ごめんなさい……。謝って済むことじゃないって分かってるけど、ごめん…ごめんね…?」


 今度はこっちの少女が俺の前で泣きそうになっている。

 どうせすぐに回復できるから、と、高をくくって俺を攻撃したはいいものの、一度逃げ出して、帰って来た俺を見て。左腕がもげたままなので、全く見当違いに取り返しの付かないことをしてしまったのではないかと、自らの蛮行に怯えているようである。


「いいから、変身しろよ。この俺を試したいんだったら試すといいぜ」


 あの後俺は。

 逃げてきた道を戻り、変身を解いて俺を探している少女を見つけた。

 着ている服が変わっているのが少し疑問だったが、気にしないことにした。

 一緒に着いて来た座蔵さんを睨みつける少女だったが、俺の怪我がそのままなことに気付き、少女は驚いていた。俺はそれには構わず、少女について来るように促した。

 人気のない場所へ。

 暴れてもいい場所へ。

 この住宅街を抜けて、まっすぐ進むと山道に入る。その山道の途中にも、いくつかぽつりぽつりと民家はある。ここではまだ駄目だ。もっと奥へ。

 山道を歩き続ける。舗装されてない道に入る。自然にできた階段状の道を下る。川沿いの草むらを抜けると、滝がある広い場所に出た。

 ここなら、たぶん多少暴れても大丈夫。比較的近くに住んでる人は、お年寄りばっかだろうし。音が出てもきっと気にしない。

 ここでこいつに、痛い目見せてやる。


「まあ見てろよ」


 そう言うと俺は。

 俺は。

 ………………俺は。


「ねえ座蔵さん、異能ってどう出すの?」


 座蔵さんの方を振り返る。

 もう痛みはなくなったらしい座蔵さん。俺たちから十数メートル離れた所で、大きな石に腰掛けて、様子を見ている。


「聞けば外喰くんの異能は、虫刺されがきっかけだそうですね!?それを強く意識して!」

「虫に刺される感覚を!?」

「だってそれしかありませんもん!」


 もん!と言われたって……。


「そうだ!痒みを伴うって言ってましたね!?猛烈な!痒みを!」


 痒みを。伴う。

 思い出したくもない、痒み。

 それはもうものすごい痒み。

 掻けない所が痒い痒み。実践したことはまだないが、夜中、とろろを使って自分を慰めたら、あんな感じなのか?

 だとしたら、絶対にやりたくない。


「うっ」


 右腕が、破裂したような気がした。

 強烈な熱を感じ、血が噴出すかのような感覚。それに伴って、虫刺されの痕があった部分から、皮膚が黒く染まって行き、すぐに右腕全体を覆ってしまった。

 昨日は夜中だったが、夕方だがまだ日も落ちてない、この時間帯に見てみると。改めてグロテスクだ。


「は、生えた……」


 少女が呟いた。少女の視線の先には、俺の左腕が、ある。今の今まで千切れたままだった左腕が。これから夜はどうしようと悩んだ左腕が、存在している。

 いや、早くねえ……?ピッコロさんに勝るとも劣らない回復力じゃねえ……?

 そういえば、右耳も音を拾っているようだった。

 完全回復。それよりも。


「ぐがああああああああああああああああああ!」


 痒み。

 猛烈な痒み。

 掻かなくては。掻かなくては。

 掻きたくても掻けないから、早くどこかに叩き付けなくては!


「ううううああああああああああああああああ!」

「お、オッケー!回復したなら、それでいいわ!さあ、続きと行きましょうか!」


 少女が再び。

 異形の怪物へと姿を変える。

 これでよし。好きなだけ叩き付けられる。


「ううああっ!!」


 おぞましい脚力で、俺は跳躍した。怪物へと一直線。そしてそのまま、右腕を叩き込む。

 正面から弾丸のような速度で飛んできた人間をぶつけられ、怪物の体が弾き飛ぶ。後ろへ飛んで、木々をなぎ倒す。

 右腕に衝撃が響く。えもいわれぬ快楽が、俺を満たす。

 き、気持ちいーっ。


「どうしたクソガキ!『繁栄派』最強はそんなもんか!つまり、『繁栄派』はそんなもんかよ!」


 あっ。


「ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」


 また鼓膜がどっか行っちゃう所だった。

 いくら山奥とは言え、これだけの声量、これだけの轟音、町まで聞こえるんじゃないか?聞こえるだろ。

 もともと挑発には弱そうな少女だ。ご自慢の巨体を殴り飛ばされてのこの状況じゃ、我慢もできなかったのだろう。

 あー、耳キーンってするわ。


「とろいぜ!」


 少女だった怪物は、その巨体の割りに素早いのだろうが、変身した俺が速すぎた。加えて動体視力の超強化により、周りの動きがスーパースローに見える状態だ。とろいとしか言いようがなかった。

 俺は、体を起こし、こちらにパンチを放ってくる怪物を横目に見ながら、その肩口に蹴りをお見舞いした。


「外喰くん!?」


 座蔵さんの悲痛そうな声。何故そんな声で俺の名を呼ぶのか。

 肩を蹴られて、怪物は倒れていたが、その怪物を蹴った俺の足は。変な方向にひしゃげていた。


「いでえええええええええ!?」


 まあ、すぐに回復したが。

 全身の攻撃力は増大されているがしかし、防御力は比例しないらしい。あくまで硬くて強いのは右腕だけ。足を使って、100の攻撃力で蹴れば、10の防御力の足に、90のダメージが返って来る。ポイント還元。


「グウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウ!!」


 手も足も出ないとはこのことだ。俺はさっきから自滅でしかダメージを負っていない。この怪物からは一発ももらっていない。

 もし、彼女が言っていた『繁栄派』最強が、嘘や誇張でなかったとしたら、俺のこの異能は、何なんだ。

 さっき、この少女は言った。鴉の異能は『硬いだけ』。ならこいつは?こいつの異能は?『強いだけ』。それだけだ。誇れるものでも何でもない。上がいる時点で、この異能に存在価値など。


「おい、お前、気が済んだら変身を解けよ!俺から解くわけには行かないからな!」


 怪物は、動きを止めようとはしなかった。











「な、なあ、悪かったって。大人気なかったって。泣くなよ」

「泣いてないわよ!べつに私は自分の不甲斐なさに怒ってるだけだし!?あんたには何とも思ってないわよ!」


 数分間俺に攻撃を避け続けられ、殴られ続けた少女は、今涙目で俺に諌められている。諌められている?諌められている。

 ちょっと考えてみれば分かることだが、俺は、この少女が変身する瞬間を目の当たりにしている。少女の体は膨れ上がったのだ。服や、靴を、引き裂いて。

 二度目に会った時、服装が変わっていたのはそのためだろう。予備を持っていたか、もしくは、鴉が届けたのだろうか?どちらにせよ、着替えたのだろう。

 少女としては、もう俺を、ついでに座蔵さんを殺さないまでも倒す、気絶させるつもりだったのかもしれない。その後で、座蔵さんの服を奪うなり何なりして帰るつもりだったのかもしれない。

 俺に到底勝つことができなかった少女は、もう、その場で変身を解くしかなかった。

 一切衣類を纏わぬ姿の少女が、そこにいた。

 ここで少女の身体的特徴を述べても意味がないので、それは省略する。

 そしてどうやら、彼女の異能力に回復能力はないらしく、受けたダメージは変身を解いた後でも残るようだ。さすがに防御力が格段に強化された状態だったので、大事には至っていないみたいだが。

 それでも、顔を含めた全身あちこちを内出血し、うっすらと目に涙を浮かべる全裸の少女というのは、犯罪臭しかしないのだった。

 とりあえず全裸、という部分は、座蔵さんの服を貸してやるわけにもいかないので、俺のパーカーを貸してやる。もともと上着しか着ていないのだ。裸パーカーなど今更恐れることはない。

 しかし、上着だけな上に傷だらけという格好。とても見てられない、というか、とても見られてはいけないので――


「座蔵さん、こいつの痛みを、俺に移すことってできますか?」

「えっ、い、いいわよべつに。そんなことしなくたって。これ以上情けをかけると本当に泣くわよ」

「もう泣いてるじゃん」

「泣いてないわよ!」


 涙目なのはスルーすることにした。


「うん、できますよ。一度私を経由する必要がありますが、外喰くんに移すことも可能です」

「じゃあ、お願いできませんか。もちろん座蔵さんが嫌だって言うなら、いいですけど」

「平気ですよ。この程度の傷なら、大したことないでしょうし。それにしても、優しいですねえ、外喰くん。襲ってきた余口よぐちちゃんの傷を、治してあげようって言うんですか」

「余口ちゃん?こいつ余口っていうの?」

「余口初古ういこ。『繁栄派』、『戦闘班』、『魔物モンスター』の異能を持つ少女。それがこの子です」

「私がいる前で私の紹介をされた……。私がいるのに……」


 少女が――もとい初古が何にショックを受けているのか分からないが。


「じゃあ余口ちゃん。大人しくしててくださいね」

「やめなさい!敵の情けは受けないんだから!」

「えい」


 一瞬。座蔵さんが初古の腕を掴んだ。それだけだった。


「ああっ!吸われた!私の痛みが奪われた!座蔵覇嶺……、これを貸しだと思わないことね…!私はあんたを利用したに過ぎないんだから…!」

「いいですよそれで。というか、痛みを食えと言ったのは外喰くんですし。それを言うなら外喰くんと私を利用した、ですね」


 大人の対応だった。

 いや、ていうか、あれ?


「座蔵さん、痛みを俺にくださいよ」


 何か、俺の意思とは無関係に変態的な台詞を吐いてしまった気がする。そうじゃない、そういうんじゃないから。違うから。


「この程度の痛みはへっちゃらですから。私が消化しておきますよ」


 確かに大丈夫そうで、今度は涙も鼻水も出ていなかった。

 でも、そういうことじゃないんだけど。こう、男として、格好悪いじゃん。言った手前、格好悪いじゃん。

 保身だった。


「まあいいか」


 納得するのも早い私でした。


「ありがとうございます座蔵さん。それと、初古、お前どうするんだ。帰るんだろ?」

「うん帰る。あ、いや、いやいやいや。違うって!あんたを勧誘しに来たのよ!」

「断るから。帰るんだろ?」

「………帰るわよ……」

「一人で帰れるか?」

「馬鹿にしてるの?帰れるわよ。それに、最悪、枕を呼ぶし」

「そうか。じゃあ俺はお先に帰ろうっ」


 鴉が来るなら俺は帰ります。早々に逃げ帰ります。


「それじゃあね、余口ちゃん。私も帰ります」


 俺に付いて来るように、座蔵さんも初古に別れを告げた。


「ええ。座蔵覇嶺、次に会ったら敵同士だから」


 はいはい、と座蔵さん。


「それと外喰!あんたもね!次も勧誘するから!」


 座蔵さんが呼んでいたのを覚えていたんだろう。名前が割れてる。というか、鴉に名乗った筈なんだが。そこは伝わってないのか。











 山道を抜けて、住宅街へと出た。


「座蔵さん、今日は助けてくれてありがとうございました。本当、助かりました」

「んーん、お気になさらず。私の自己満足ですから」

「自己満足だろうと何だろうと、助かりました」


 剛情ですねえ。と座蔵さん。

 剛情なのは、そっちじゃないか?


「初対面の相手にあそこまでされちゃ、何だか怖いくらいですよ」

「あはは、私、裏なんてありませんからね?もう『粛正派』に誘おうなんて思ってませんし。いや、全く思ってなくはないですけど」


 全く思ってなくはないんだ…。


「そういえば座蔵さん、家はどの辺なんですか?町内なら、送りますよ」


 俺らしからぬ、気の利いた台詞を吐いた。こんな言葉を言ったのは、生まれてこの方初めてだ。


「そうですか?じゃ、お願いしますかね。そこの高架下を抜けて、道路沿いに行くと図書館があるでしょ?そこ入った辺りですよ」

「意外と近いんですね」

「遊びに来てもいいですよ?」


 この何気ない、余裕の感じ。大人の女の人はこれだからたまらない。

 ああ、座蔵さんにいたずらされたい。

 よこしまな感情が芽生えていた。


「あっ、そういえば」

「何でしょう?」


 昼過ぎのことを思い出した。電話帳の名前のことだ。


「座蔵さん、名前はどんな字を書くんですか?」

「うっ……」


 顔を曇らせる座蔵さん。

 何かまずいことを聞いただろうか。


「わ、笑わないでくださいね…」


 ああ、そうか。そういうことか。名前の響きだけでも珍しいと思ったものだ。

 特殊な漢字を使うのだろう。それで、恥ずかしいと。

 気にするな。可愛らしいものだ。


「座るに、酒蔵さかぐらの蔵で『ざくら』、覇王の覇に嶺上開花リンシャンカイホウの嶺で『はみね』です…」


 座蔵、覇嶺。

 蔵に座して、嶺を覇する。


「かっけええええええええええええええええええ!!」

「もおおおおおおおおおおおおおおお!!」


 座蔵さんは、顔を真っ赤にしてダッシュで帰った。

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