002
「うーん……」
公園のベンチに一人腰掛ける少年の。何の意味もない独り言。発する意味もなければ、言葉としての意味もない。全く無意味なうーん……だった。
昨日のことを思い出して、考えていた。人間というのは、寝ている間にその日あったことを整理するものだと聞いたことがあるが、それはきっと嘘だろう。だって、寝てるんだし。寝てるだけなんだし。そんな便利な機能があるかよ。
信じていなかった。
昨日、と、表現したけども、正確な時間はよく分かっていないので、今朝方の出来事なのかもしれないが、どうでもいい。そんな昨日か今朝方の信じられないような出来事を整理するのに、自分の家ではどうにも場所が悪い。粉砕されたベッドを見て両親は呆れながら怒るし(当たり前だけど)、妹は半笑いで俺を質問攻めにする。とても一人で考えごとができるような場所ではなかったのだった。
公園内には幾つか遊具が設置されており、遊具のそばには子供と、その母親だと思われる女の人たちが、集まっていた。俺が座っているベンチは、その遊具からはだいぶ離れた場所に位置していて、まあ、お互い、特に気にし合うこともない程度の距離感を保てていた。と思う。
異能の力。
虫の化け物に変身する異能の力を、(鴉の言ったことを鵜呑みにするのであれば)不本意ながら俺は身につけてしまったらしい。身につけてしまったものは身につけてしまったので仕方がないとして、そいつをこれからどう扱っていこうか、俺は考えていた。右腕が変身していた時の記憶を頼りに、この異能の力の特徴を挙げていくと。
すごく痒い。
身体能力が飛躍的に上がる。
動体視力が飛躍的に上がる。
回復力が飛躍的に上がる。
――回復力に関しては、回復力と言っていいのか分からないが。頬の腫れが治まっただけでなく、生えてくることのない歯が生えてきたのだから。でも他に表現のしようがないので、回復力と、そう言っておこう。
あ、そういえば、鴉が言っていたように、異能の力には名前が決められている、というかあるみたいで、俺のこの力の名前は『腐喰の王』と言う。
決して俺が考えたわけではないと、念を押しておく。
ここでしか言うところがないので、ここで鴉のことについて触れておくと、あいつは口ぶりからして、何らかの組織に属している。異能力者の集まる組織に属している。そして、――結果的に面倒くさがって早々に見切りをつけて帰ったけど――俺を勧誘してきた。仲間を集めているのだろう。たぶん、国家転覆を狙う悪の教団だろう。陳腐にしてチープな表現をしてしまったが、それに近い何かそういったあれだろうと思う。漫画とかアニメでも、能力者集団ってそんな感じだし。
鴉の組織とは別に、もう一つ組織があるらしいことも言っていた。
『粛正派』。名前から察するに、鴉たち無法集団を規制し撃滅する、政府公認の戦闘集団だろう。赤い十字の描かれた白装束に身を包み、君主にその身を捧げた、冷酷無比のヒットマン集団だろう。どちらかというと、こちらの方が関わり合いにはなりたくない。
「ねえ君、ちょっといいですか?」
「チーズハンバーグを、ライスとセットで」
「あと、ドリンクバー、2つ。お願いします」
座蔵覇嶺と名乗ったお姉さんは、さりげなく自分の分と、そして、俺の分のドリンクバーを注文した。
この座蔵さんは、『粛正派』の人らしい。鴉と同様に、異能の力に目覚めた俺を、勧誘しに来たようだ。どうやって俺の居場所を突き止めたのかというと、一緒にいた帽子を被った男が、どうにも異能力者を発見する異能力者で、いわゆる感知系能力者で、それに頼ったのだと。ちなみにその男、とりあえずファミレスで話でも、という方向になったところで、お役御免とばかりに姿を消した。帰った。
店員の繰り返す注文に相槌を打ち終ってから、座蔵さんは、俺の方を向いた。
「ええと、何から話せばいいですかね」
俺の正面に座る座蔵さんは、ふわっとしたボリュームのある茶髪を、カチューシャで止めている。ノースリーブのワンピースから伸びる腕の手首には、大きな腕時計を付けていた。
ノースリーブ、という点に注目したいのだが、それはもちろん、腋が見えるからであって、それ以外の意味はない。腕を広げた際に、正面から見える腋の2重のラインというのは、どうにも人間の本能をくすぐるというか、視線を集める効果があるようで、俺もその効果には、抗うことなく普通だった。腕を降ろしている、つまり腋を閉じているため、腋には腕の伸びる方向とは異なる多重のラインが入る。それは要は肉の折り目、皺になるのだが、しかしどうして感慨深いものだ。綺麗な腋とは、皺のない腋のことではなく、造詣の深い腋のことを指す。白紙のキャンバスを眺める者などいないのだ。
「うん、私たち『粛正派』は、その名の通り、粛々と正しくある派閥です。君が会ったと言っていた鴉枕は『繁栄派』。異能の力で世に蔓延るのが目的です。『繁栄派』は、危険思想を持つ者が多く、異能の主な使い方が暴力になります」
座蔵さんは、ワンピースをへその上辺りでベルトで締めている。そのおかげで、たゆたうワンピースの上からでも、細い体つきをしていることが分かる。それと同時に、この座蔵さん、あまり胸の大きな人ではない。いや、むしろ、小さいと言っていい部類だ。俺の妹は、俺の拳くらいの胸の大きさなのだが、その妹よりも、――あくまで目測なので鵜呑みにしていいかは分からないが――おおよそ小さい。小さいと言っていい部類、なんて失礼に値したと思う。猛省する。小さいとしか言ってはいけない部類だ。俺は、武者振るいをした。
「『粛正派』っていうのは、まあ、穏やかなもので、異能を日常で密かに使ったり、持っていても使わなかったり、異能を消したい、捨てたい、なんて人が集まります。んん、何て言うのかな。異能あっての生活が嫌な人たちと言えばいいんですかね。異能の力があっても、平穏と暮らしたいっていう感じ?」
身長は俺とほぼ同じ。顔立ちは整っているように見える。大人の女性のようだが、化粧は薄いように感じる。大別すれば、可愛い系の顔だ。大きな目とぱっちり二重。自然なチークがとてもクリーミー(?)だった。
「……聞いてます?」
「聞いてますよ」
「そうですか?私の腋と、胸と、顔を見てませんでした?」
「見てません」
嘘をついてしまった。
「見てませんし、仮に見ていたとしても、話は聞いてました。要するに、『粛正派』は穏健派ってことですよね?」
「んー、まあ、そうですね。そんな感じです。」
「穏健派なら、群れる必要ってあるんですか?」
気になったところだ。今の話を聞いた限りでは、群れる必要性はないように感じた。
「必要性を問われると断言はできかねますけど、利点はありますよ」
「ほう」
「寂しくない」
「お、おう…」
いや、ふざけてないですよ?と座蔵さん。
「誰だって、こんな大変な能力にある日突然目覚めたら、不安で仕方なくなるでしょ?そういう時の、心の拠り所ですよ。同じ境遇の人がいるって分かったら、きっと少しは、気が楽になると思いますの」
何で最後お嬢様口調になったんだよ。
「異能の制御の仕方とかも、教えられることは教えるし。そうだ、外喰くんの異能の力って、どんな力?」
俺自身、よく分かってないんだけど。
「右腕が、刺々しくなります」
怪訝な顔をされた。
たぶん、実物よりソフトでシュールな光景を想像しているのだろう。違う、違うって。
「それで、身体能力が上がるんです」
「ははあ、変身能力ですか」
「仮面ライダーアマゾンって、分かります?」
「え?仮面ライダー?」
「仮面ライダー」
「分かりますけど……」
「右手があんな感じになります」
「ああー……」
納得してもらえた。誤解は解けたみたいだ。全く嬉しくないけど。
「スクライドみたいですね!」
「………。うん、そうですね」
いや、的確かもだけどさあ…。
「それが、変身してる間は、腕がめちゃくちゃ痒いんです。表面じゃなくて、内側が痒いんです」
「掻けないんですか?」
「硬いんです」
そう、とだけ座蔵さん。
「たまに、痒いんだけど、掻いても治まらない時ってないですか?虫刺されとかなら、痒い所を掻けば、一瞬だけど、快感があるけど、そうならないの。何ていうか、こう、血が痒い…みたいな」
「ああ、ありますね。ありますあります。ありますよ、そういうの」
「あれの超すごい版」
「ええ…辛そう…」
辛いよ。
「昨日は――」
昨日か今朝か分からないけど、面倒くさいからもう昨日でいいや。
「鴉が帰った後すぐに、腕は元に戻ったんですけど。いつどういうタイミングで、また腕が刺々しくなるのか分かんないですよ」
「その、刺々しくなるっていう表現、面白いのでやめてもらっても構いませんか?」
「あ、はい」
面白いとは何だこの野郎。理不尽だ。
「なるほどね。変身能力。それも、あの鴉を返り討ちにしたってことは、かなり強力なものなんでしょうね」
鴉。昨日、この右腕で殴り飛ばして、家の塀に思い切り叩きつけられても平然としていたことから、恐ろしく頑丈なことは分かる。軽くベッドを破壊するこの腕による全力のパンチでも全くダメージを負っていなかった。刃物も弾丸も効かないのではないだろうか。俺のこの腕もおかしいと思うけど、あいつも相当おかしい能力なんだろう。(たぶん)対立組織である『粛正派』の座蔵さんに名前を知られているということは、この業界――異能力者の中では、有数屈指のやばい奴なのだとぼんやり理解した。
そして、その鴉を返り討ちにした、いや、返り討ちにしたと言っていいのかどうか分からないけど、まあ、追い返した俺の異能も、相対的にすごい、ということか。
「……べつに、座蔵さんが俺を仲間にしたがっているのは、強力な異能力者だからってわけじゃないんですよね?」
そうだとしたら、知っててとぼけていることになるが。
「違いますよ。困ってるかなーと思って、声をかけてみただけです」
そう言われるとそれはそれでなんか寂しい気がする。
「まあ、異能に困っている人を助けたいっていうのも、もちろん理由の一つというか、最大の目的のはずなんですけどね。現状、『繁栄派』の拡大阻止が仲間集めの目的と化してます。敵対勢力といっても、べつにこっちは敵対しているつもりじゃないし、向こうはこちらを潰してきますけど、こっちとしては戦闘は避けたいんですよね」
「ふうん」
「今ちょっと口が滑りましたが、『粛正派』にいると、『繁栄派』に目を付けられやすくなります」
「それはすごいデメリットですがな」
「とは言え、外喰くんは異能力者ですし、もう狙われることに変わりはないんですけど」
「死の宣告のようなことを……」
そうなんだろうな。鴉もまた来るって言ってたし。『繁栄派』に所属すると言えば、狙われなくはなるだろうけど、あんな奴がいるような所でやっていける気もしない。
日常的に暮らすなら、『粛正派』か。いや、でも、正直面倒くさい。選択を迫られるのが面倒くさい。座蔵さんには悪いが、ここはきっぱり断ろう。無所属って、なんか格好いいし。
「すいません座蔵さん。俺はソロでやって行こうと思います」
「バンド解散か何かですか」
あはは、と笑う。
「いいですよ。もちろん強要なんかしませんし。でもまた、何か困ったことがあれば、連絡してくださいね。……じゃあ、堅苦しい話はこの辺にして。ほら、ドリンクバー、取ってきますよ。何がいいですか?メロンソーダ?」
「コーヒーでお願いします」
「了解」
妹とファミレスに来た時は、そりゃもうメロンソーダ飲むけど。初対面の年上の女性の前でメロンソーダは頼めなかった。プライドが邪魔をした。メロンソーダを子供の飲み物か何かだと言っているわけじゃないんだけど。ごめんメロンソーダ。許せ、また今度だ。メロンソーダ。
「お待たせしました」
座蔵さんは左手に、自分のと思しきミルクティーを持ち、右手には受け皿にコーヒーカップを乗せて持っていた。なんとご丁寧に、ミルクと砂糖を2つずつ乗せて。
ちなみにこれは余談だが、コーヒーカップの受け皿はソーサーと呼ぶらしい。
「ミルクと砂糖、2個で大丈夫ですか?」
「いや、俺、ミルクも砂糖も入れない派なんで」
見栄を張った。