婚約破棄の理由は、99%の古代魔道具が新型に劣るからです。では残り1%は?
「君との婚約を破棄する。古代魔道具しか直せない君は、もう王家には必要ない」
王宮の修復工房に現れた第二王子レオンは、工具を握る婚約者エリシアにそう告げた。
エリシアは作業台から顔を上げた。
「婚約破棄、ですか?」
「ああ。これからは新型魔道具の時代だ。古い技術に固執する君より、未来を見据えた女性がふさわしい」
レオンの隣には、侯爵令嬢セシリアが立っていた。
セシリアの実家は、近年急速に普及した新型魔道具の製造で大きな利益を上げている。
「エリシア様の技術を否定するつもりはございませんの」
セシリアは微笑んだ。
「ただ、時代の流れを受け入れることも大切だと思いますわ」
「まったくだ」
レオンは頷いた。
「技官にも確認した。予算を無視できるなら、古代魔道具の九十九パーセントは新型に交換したほうが良いそうだ」
「はい。その通りです」
エリシアはあっさり認めた。
「ならば話は早い。私はセシリアとの婚約を進める」
「国王陛下のご裁可は?」
「父上と兄上は軍事同盟の更新交渉で国外にいる。帰国後に報告すればよい」
「王家の婚約は、殿下お一人で決められるものではありませんが」
「私自身の婚約だ。私が決める」
エリシアは工具を置いた。
「承知しました。殿下が婚約を破棄すると宣言なさったこと、確かに承りました」
「……それだけか?」
「はい。失礼いたします」
エリシアは一礼し、工房を後にした。
レオンは拍子抜けしたように、その背中を見送った。
「ずいぶんあっさりしているな」
「きっと、殿下のご判断が正しいと理解されたのでしょう」
セシリアがそう言うと、レオンは満足そうに笑った。
◇
その日のうちに、エリシアは王宮の仕事を辞する手続きを始めた。
以前から隣国より、古代魔道具の修復師として招聘を受けていたのだ。
王家との婚約があるため断っていたが、その事情は変わった。
エリシアはすぐに招聘を受諾し、出国の準備を整えた。
夕刻、宰相が伯爵家を訪れた。
「エリシア嬢。第二王子殿下の件は、すでに国王陛下へ報告を送っております」
「ありがとうございます」
「王家の婚約を正式に解消するには、陛下のご裁可が必要です。どうか、それまでお待ちいただけませんか」
「申し訳ありません。明朝、隣国へ出発いたします」
「……もう、招聘を受けられたのですか」
「はい」
宰相は深く息を吐いた。
「あなたが出国を希望される以上、私にはそれを禁じる権限がありません。ただ、陛下のご裁可が下りるまでは、婚約は正式には解消されません」
「承知しております。殿下の宣言が正式な婚約解消に当たらないことも、理解しています」
「それでも、行かれるのですね」
「はい。殿下は、私を王家に必要のない人間だとおっしゃいました。私には、必要としてくださる国があります」
宰相は、それ以上引き留めなかった。
翌朝、エリシアを乗せた馬車は王都を出発した。
国王からの返答が届くよりも早く、彼女は国境を越えた。
◇
数日後。
軍事同盟の更新交渉を終えた国王と王太子が帰国した。
その日の午後、王宮の謁見の間には、第二王子レオン、侯爵令嬢セシリア、その父である侯爵、宰相、技官長が呼び出されていた。
玉座に座る国王は、まずレオンを見た。
「お前が、エリシアとの婚約を破棄したというのは事実か?」
「はい、父上」
レオンは胸を張った。
「古代魔道具の時代は終わりつつあります。今後は新型魔道具の製造を担う侯爵家との結びつきを強めるべきだと考えました」
「誰の許可を得た?」
「私自身の婚約です。私が判断しても問題はないかと」
「……そうか」
国王は短く答えた。
「技官長」
「はっ」
「古代魔道具の九十九パーセントは、新型に交換したほうがよいのだな?」
「はい。予算を考慮しなければ、九十九パーセントは新型への交換を推奨いたします。何せ、古代魔道具には調整技師との魔力の相性という欠陥がございますので」
「そうだな。お前の言う通り、大部分の魔道具は新型に換えたほうがよい」
国王は頷いた。
「大部分は、な!」
レオンの肩がわずかに揺れた。
「では、残りの一パーセントは?」
「現在の技術では代替できない魔道具でございます。代表的なものが、王都結界の中枢装置です」
「新型の結界装置では、王都を守れないのか?」
「不可能でございます。新型が防護できるのは、最大でも建物一棟まで。王都全域を覆う技術は、現代には存在いたしません」
「王都結界の中枢装置は、誰が調整している?」
「エリシア嬢でございます」
「他の技官ではできないのか?」
「理論上は可能です。しかし、魔力の相性が悪く、調整失敗の危険が極めて高くなります」
「失敗すれば?」
「結界は停止いたします。そして、一度停止した中枢を再起動することは、現代の技術ではほぼ不可能です」
謁見の間が静まり返った。
国王はレオンに視線を戻した。
「聞いたか?」
「……はい」
「お前が不要と判断した令嬢は、王都の結界を安全に維持できる、唯一の技術者なのだ」
「ですが、父上。九十九パーセントは新型のほうが……」
「だから残りの一パーセントをどうするつもりだったのだ!」
国王の怒声が響いた。
「お前は九十九パーセントという数字だけを聞いて、残りの一パーセントが何なのか確かめもしなかった!」
「……申し訳、ありません」
「謝罪で済む話ではない!」
国王は玉座の肘掛けを握りしめた。
「お前とエリシアの婚約は、王家が彼女を国内に確保するために結んだものだ。それを、お前一人の判断で破棄するとは!」
王太子が一歩前へ出た。
「レオン。父上と私が、国外で何のために軍事同盟を更新してきたと思っている?」
「……国の安全を守るためです」
「その通りだ。ところがお前は、我々が国外で安全保障を強化している間に、王都を守る技術者を手放した」
「兄上、私は国の発展を考えて……」
「新しい技術を重んじることと、古い技術でしか守れぬものを捨てることは、まったく別の話だ」
レオンは、何も言い返せなかった。
国王は宰相に尋ねた。
「エリシアは今、どこにいる?」
「すでに隣国へ出国されました」
「……何?」
「第二王子殿下の宣言を受け、以前からの招聘を受諾されたとのことです。私からは陛下のご裁可を待つようお願いしましたが、出国を禁じる権限はございませんでした」
「……そうか」
国王は目を閉じた。
「そなたは、できることをしたのだな」
「恐れ入ります」
国王は再びレオンを見た。
「お前が婚約を破棄すると宣言した翌日、彼女は出国した。今や、我が国の結界を維持できる技術者は、隣国にいる」
レオンの顔から血の気が引いた。
「そ、それなら、呼び戻せば……」
「どうやって?」
「王家の婚約者なのですから、帰国を命じれば……」
「お前が婚約を破棄すると宣言したのだろう!」
国王は立ち上がった。
「今さら王家の婚約を盾に、帰国を強制するつもりか!」
「ですが、正式にはまだ……」
「正式な婚約を破棄する権限がなかったことを、今になって利用するつもりか。自分の都合で婚約を破棄し、都合が悪くなれば婚約者として扱う。そんな勝手が通ると思うのか!」
レオンは口を閉じた。
王太子が続けた。
「しかも、彼女はすでに隣国の招聘を受けている。無理に連れ戻そうとすれば、外交問題になる」
「……では、どうすれば」
「我々が隣国に頭を下げるしかない」
王太子の言葉に、レオンは目を見開いた。
「王家が、隣国に?」
「当然だ。必要な技術者を自国の王子が追い出したのだからな」
国王は、低い声で言った。
「そして、その原因を作った者には、責任を取らせる」
◇
「レオン」
国王が名を呼ぶと、第二王子は背筋を伸ばした。
「お前から、王位継承権を剥奪する」
「……え?」
「王族としての公務、権限、予算もすべて取り上げる。王宮に与えられていた私室と使用人も返上せよ」
「ちょ、ちょっとお待ちください、父上!」
レオンは慌てて声を上げた。
「私は、国の発展を考えて行動したのです!」
「結果として、国の安全保障を損なった」
「ですが、結界はまだ動いております!」
「今は、な」
国王は冷たく答えた。
「次の調整が必要になったとき、彼女が協力してくれなければどうする?」
「……それは」
「他の技官に命じるのか? 失敗すれば再起動できない装置を?」
レオンは答えられなかった。
「上に立つ者には、判断を誤ったとき、その結果に責任を負う義務がある。お前はその義務を理解していない」
「……父上」
「王家の名を使い、独断で婚約を破棄した。その結果、王都の安全保障を危険にさらした。これ以上、お前に王族としての権限を与えるわけにはいかん」
レオンは膝をついた。
「どうか、お考え直しを……!」
「決定は覆らん」
国王は、次にセシリアを見た。
「セシリア嬢」
「……はい」
セシリアは震える声で答えた。
「そなたは、レオンに婚約破棄を勧めたそうだな」
「わ、私は、ただ新型魔道具の将来性をお話ししただけで……」
「それだけか?」
宰相が一歩前へ出た。
「セシリア嬢が第二王子殿下に送った書簡を確認しております。エリシア嬢との婚約を解消すれば、侯爵家との縁組を進められると、繰り返し提案されていました」
セシリアは青ざめた。
「そ、それは……」
「さらに、陛下のご不在中に決断なさるよう、促しておられます」
「……!」
国王は侯爵を見た。
「侯爵。そなたは、この件を知っていたか?」
「いいえ、陛下」
侯爵は深々と頭を下げた。
「娘がそのような書簡を送っていたことも、婚約破棄を働きかけていたことも、存じませんでした。家長として、監督が行き届かなかった責任はございます」
「そなたの家は、新型魔道具の製造で国に貢献している。それ自体は評価している」
「恐れ入ります」
「しかし、その功績を王家との縁組に利用し、国家の重要な婚約を破棄させようとした行為は、見過ごせん」
侯爵は、さらに深く頭を下げた。
「娘には厳重な処分をいたします」
「王家としても、そなたの家との新たな縁組は認めない。娘の行動によって生じた損害については、責任の範囲を調査したうえで賠償を求める」
「承知いたしました」
セシリアは、父の顔を見た。
「お父様……!」
「黙りなさい」
侯爵の声は冷たかった。
「お前は、王家の婚約に口を出すことがどれほど重大なことか、理解していなかったのか」
「ですが、私は侯爵家のために……!」
「家のためだと言うのなら、なぜ私に相談しなかった?」
セシリアは言葉に詰まった。
「陛下のご不在を狙って、王子殿下に婚約破棄を勧めることの、何が家のためだ!」
侯爵は国王に向き直った。
「陛下。娘は本日をもって、侯爵家の対外的な活動から一切退かせます。領地に戻し、私の監督下に置きます」
「よかろう」
セシリアは、その場に崩れ落ちた。
レオンもまた、膝をついたまま動けなかった。
王位継承権も、王族としての権限も、望んだ婚約も失った。
すべては、自分が下した判断の結果だった。
国王は近衛兵に命じた。
「両名を下がらせよ」
レオンとセシリアは、近衛兵に促され、謁見の間を後にした。
◇
レオンは王宮を離れ、王家が管理する地方の屋敷へ移された。
王族としての公務も予算もなく、かつて周囲に集まっていた貴族たちも姿を消した。
セシリアは侯爵家の領地で謹慎となり、社交界から姿を消した。
侯爵家は新型魔道具の製造を続けたものの、王家との縁組は失われた。
国王はエリシアとの婚約解消を正式に裁可し、王都結界の維持については、隣国との外交交渉を進めることになった。
◇
隣国の王宮では、エリシアが新しい工房を案内されていた。
「ようこそ。我が国へ」
古代魔道具の保全事業を担当する王弟が、笑顔で迎えた。
「あなたの修復記録は、以前から拝見していました。ぜひ一度、お会いしたかったのです」
「ありがとうございます」
工房には、古代魔道具がずらりと並んでいた。
古い通信装置に、水路を制御する装置。魔力を蓄える巨大な貯蔵装置まである。
「……素晴らしい!」
エリシアは思わず声を上げた。
王弟は楽しそうに笑った。
「気に入っていただけましたか?」
「はい! こんなにたくさんの古代魔道具が、今も動いているなんて!」
「我が国でも新型への更新を進めていますが、すべてを置き換えることはできません。あなたのお力を、ぜひお借りしたいのです」
「もちろんです!」
エリシアは、目の前に並ぶ古代魔道具を見渡した。
かつて不要だと言われた技術が、ここでは必要とされている。
直したい装置が、こんなにもたくさんある。
「では、早速始めてもよろしいでしょうか?」
王弟は笑顔で頷いた。
「ええ。よろしくお願いします」
エリシアは工具を手に取った。
新しい国での、最初の仕事が始まった。




