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婚約破棄

寝取り令嬢、ネトリーヌは諦めない

作者: 東稔 雨紗霧
掲載日:2026/05/11

 「トラーレ・カアカアル!お前との婚約を破棄して俺はこのネトリーヌと新たに婚約を結ぶ!」


 夜会で婚約者であるトラーレをエスコートせずにネトリーヌを横に侍らせマルクはトラーレに婚約破棄を宣言した。

 自分よりも高位の令嬢を押しのけてその婚約者の立場を手に入れたネトリーヌは人生で最高の優越感を感じてご満悦だ。


 「私達の婚約は家の契約によるもの、勝手に破棄するなど許されるはずもありません」

 「お前はいつもそうやって固い事ばかりで可愛げが無い!それに比べてネトリーヌは優しく可憐で俺に可愛く甘えてくる!最初からお前と婚約するのも嫌だったんだ!」

 「左様ですか」

 「さっさとこの書類にサインしろ!」


 自身の言葉に顔色一つ変えずにいるトラーレに苛立った顔をしながらマルクは契約書を突き付ける。

トラーレは渡された万年筆でサインをすると見事なカーテーシーをしてみせた。


 「では、私達の関係はこれまでと言う事ですね。ごきげんよう」


 そう言うとトラーレは振り返る事無く夜会を去って行った。

 誰かに縋り付く事も出来ずに逃げていったわ、とトラーレの事をネトリーヌは嘲笑う。

 マルクもあんな可愛げの無い女は誰からも相手にされずに老いていくだろう、と嘲笑った。

 障害を排除して結ばれたと確信した二人は幸せの絶頂であり、人生でこの時が一番のピークだった。

 後に勝手に婚約を破棄したマルクを父親が怒り狂って後継者から外し、家から追い出した。

 行く当ての無くなったマルクはネトリーヌを頼りに来るが男爵である身分であるにも関わらず侯爵と言う高位の貴族に喧嘩を売り、人の婚約者を誑かした恥知らずと両親から絶縁を言い渡され家から追い出されたネトリーヌもマルクと同じ立場であり、二人は仕方が無く街で平民と同じ様に暮らし始めたが生粋の貴族であった二人が普通に労働出来る訳も無く、二人が家族から渡された手切れ金は直ぐに底をついた。

 日雇いや物乞いの様な事をして細々と何とか生活し、日々互いのせいだと罵り合う極貧生活を過ごしていた。


 そんなある日、この国の第一王子が結婚する事になり新婦と共に街をパレードする知らせが出された。

 結婚を祝って炊き出しも行われると聞き付けたマルクとネトリーヌは炊き出し会場へ向かう途中に偶然パレードに遭遇し、噂の新婦がトラーレである事を知り愕然とする。

 あの夜に馬鹿にした相手が今や国の頂点の立場にいる。

 それに比べて自分はズタボロで日々の食事にも困る有様であり、横に居るのはうだつの上がらない男。

 その差に耐えがたい屈辱と劣等感に全身が苛まれ、エリカは慙死しそうだった。

 格上の令嬢から婚約者を奪ったネトリーヌはこんな状態で婚約者を奪われたはずのトラーレが新たに婚約を結んだ相手との幸せそうな姿にこんな筈ではと唇を噛んだ。


 その夜、ネトリーヌは追い出された生家に忍び込んだ。

 警備の目を必死で搔い潜り、使用人達も寝静まる夜中に足音を忍ばせて父親の書斎に侵入する。

 書斎にある本棚のとある本を奥へと押し込むとカチリッと音がし、本棚が動き隠し部屋が現れた。

 その部屋には机が一つとその上に砂の入っていない砂時計だが置かれている。

 持参した針で指を差したネトリーヌが溢れた血を砂時計の上部に垂らすと、瞬きの間に空だった砂時計に赤い砂が満たされた。


 「私は幸せを手に入れるのよ!」


 ネトリーヌは砂時計をひっくり返した。


✻✻✻


 「お嬢様、朝ですよ」

 「……ん」


 目を開くと使用人がカーテンを開けている。

 自身の体を見落とすとまともにお風呂に入れていない体ではなく清潔な寝巻と布団に包まれた体が見えた。

 起き上がったネトリーヌは慌ててベッドから飛び起きてドレッサーへと向かい鏡を確認する。


 「どうされたのですか、お嬢様?」

 「ねえ、私って今何歳?」


 ネトリーヌの質問に首を傾げながら使用人は「15歳ですよ」と答えた。

 若々しく滑らかな白い肌、清潔な服と体、美味しいご飯。

 久しく離れていた嘗ての日常にネトリーヌは感涙する。

 そんな彼女の様子に「今日は変なお嬢様ですね」と使用人は首を傾げた。


 ネトリーヌが使用したあの砂時計はこの家の家宝で時を戻すと言い伝えられていた。

 半信半疑であったが、実際にこうして過去に戻れている現状ネトリーヌはあの砂時計を残してくれた先祖に感謝を捧げる。

 そしてあの地獄の日々を過ごした彼女はもうマルクを寝取る事は止めようと決意した。

 トラーレの婚約者であった時は素敵で頼りがいのある男だと思っていたが、見せかけだけで実際のあの男は何の役にも立たない疫病神だった。

 今度こそ良い男を捕まえて幸せになってみせる。

 そう意気込んで夜会に臨んだネトリーヌはとある男女を見て首を傾げた。


 参加した夜会にトラーレが居たのだが、その婚約者がマルクではなく別の男に変わっていたのだ。

 マルクの様な代々文官を輩出している家とは正反対の代々騎士を派出している武勲で成り上がったとされる家の嫡男らしい。

 男らしいがっしりとした体格のルイスは金髪碧眼だったマルクと正反対の黒髪黒目をした凛々しい男性だ。

 幸せそうなトラーレの姿にネトリーヌは苦い気持ちを抱く。

 関わらない様にしよう、そう決意したが何の因果か王宮でルイスと曲がり角でぶつかった拍子にネトリーヌが転んで怪我をした事が切っ掛けで二人は親密な中となり再びトラーレに婚約破棄を突き付ける事になった。

 前回と違う所と言えば夜会の最中ではなく、トラーレの家の応接室で突き付けた事だろうか。

 外部に醜聞を振り撒く様な事をしなかったお陰で前回とは違い両親は苦い顔をしながらもネトリーヌと絶縁して家から追い出す様な事はしなかった。

 今回は前回と違って幸せになれる、ネトリーヌはそう確信した。


 「俺の言う事が聞けないのか!?」

 「きゃあっ!」


 怒鳴り声と共にネトリーヌの頬を衝撃が襲い、床に倒れ込む。

 頬と床にぶつけた体の痛みに耐え、恐怖に震えるネトリーヌをルイスが見下ろす。


 「お前は黙って俺の言う事に従っていれば良いんだ!分かったか?!」

 「は……はい」

 「もっとハッキリ返事をしろと何回言ったら分かるんだ!」


 そう怒鳴り、ルイスが再度ネトリーヌの頬を叩いた。

 溜まらず泣き出したネトリーヌに苛立った様子でローテーブルを蹴り飛ばし部屋を出て行ったルイスにこんなはずではとネトリーヌは後悔する。

 逞しくて頼りになる人の筈だったのに、蓋を開けてみればルイスは鍛えたその力で気に入らない事があればネトリーヌに暴力を振るい、支配しようとする人間だった。

 ルイスの足音が聞こえなくなり、身体の震えが収まったネトリーヌは溜息を吐きながらルイスが蹴り飛ばしたローテーブルを戻し、散らばった新聞を拾い上げる。

 今朝の新聞に何気なく視線を落としたネトリーヌはそこに大きくトラーレと辺境伯の結婚が掲載されている事に気が付いた。

 前回の第一王子とは違ったこれまた麗しい男性と幸せそうに笑い合っているトラーレの写真にネトリーヌは再度「こんなはずでは」と呟いた。

 殴られ、突き飛ばされ体のあちこちに傷や痣がありとてもでは無いが幸せとは言い難い自分の現状にネトリーヌは再びやり直しを決意した。


✻✻✻


 「お嬢様、朝ですよ」

 「……ん」


 目を開くと使用人がカーテンを開けている。

 二度目のやり直しともなるとネトリーヌも要領が掴めてくる。

 前回前々回の知識を踏まえて社交界でも上手く立ち回るとこれまで招待されなかった格式にある夜会に招待される様になってきた。

 そこで知り合った男性と親密になり、婚約をと考えたが何と彼には既に婚約者がいた。

 今の婚約者とはあまり関係が良くなく、婚約を破棄して自分と結婚したいと言ってくれた男性にネトリーヌは一抹の不安を覚えるが彼の熱心な物言いに頷いた。

 無事に婚約破棄出来たと書類を持ってやってきた男性にそれを見せて貰うとそこにトラーレの名前があり、ネトリーヌは眩暈を覚えた。

 今回は寝取るつもりはこれっぽっちも無かったのに結果的に寝取ってしまった。

 時間を巻き戻している自分にしか巻き戻す前の記憶は残っていないにしても流石にこう何度も同じ相手から寝取るのは気が引ける程の道徳心はある。

 今回は前回までと違って寝取ろうと思ってやった訳では無いので大丈夫だろうと考え始まった結婚生活だったが蓋を開けてみれば今回の男はド級のモラハラ男でネトリーヌは再度のやり直しを決意した。


 家宝の砂時計は時を戻せるがその使用回数には限りがある。

 使う度に中の砂が減り、それが補充される事は無く、砂が完全になくなればもう二度とやり直す事は出来ない。

 何としても幸せな人生を掴むべくネトリーヌは頑張った。

 何度もやり直す度にこなれて夜会や対人関係の場数を熟して来たネトリーヌは最早熟練の域に達していた。

 高位貴族のマダム達の好む物や話や態度も熟知し、それにより最初とは比べ物にならない格式の高い集まりにも招待される様になった。

 だが、そんな場所で出会うにも関わらずネトリーヌが引き当てる男達は毎回外れだった。

 そして何故か何度やり直してもそんなつもりが一切無くても悉くトラーレの婚約者を寝取る事になり、その結果ネトリーヌは不幸になった。

 避けようとして下町で知り合った人と結婚しようとしても寝取る結果になり、逆に開き直って全力で寝取ってみたがやっぱり不幸になりやり直しを選択する羽目になる。

 まるで予定調和の様に何度繰り返そうともネトリーヌはトラーレの婚約者を奪って不幸になり、トラーレの幸せそうな姿を知ってやり直す結果になる。

 マザコン、賭博、詐欺、アル中、着服、不倫にハゲ、薬中と多種多様な外れを引きまくる自分とは違い毎回王弟、公爵、隣国の王族、人気俳優、大商人とハイスペックな男と結婚しているトラーレ。

 ただ幸せになりたいだけなのに、どうして毎回自分は外れであの女は大当たりを引くのだとネトリーヌは羨ましさのあまりに地団太を踏む。

 いくら考えても頑張っても対策しようにも変わらない結果に悔し涙を流すネトリーヌはある日唐突に気付いた。

 自分は今までは寝取る相手を間違えていたのだと。

 残る砂の量はごく僅か、恐らく今回の一回が最後のチャンスだろう。

 ゴクリッと唾を飲み込み、ネトリーヌは最後の砂時計をひっくり返した。


✻✻✻


「はいネトリーヌ、あーん♡」

「あーん♡」


 笑顔で開けた口に真っ赤で艶々な苺が入れられる。

 今朝採られたばかりの新鮮な苺は瑞々しく、歯を立てると途端に口内が甘酸っぱい果汁に満たされる。

 あまりの美味しさに頬に手を当て満面の笑みを浮かべるネトリーヌを隣に座る()()()()が嬉しそうに眺めた。


 前回で真に寝取るべき相手に気付いたネトリーヌは最後のチャンスである今回のターゲットにトラーレを選んだ。

 やり直しで得た未来の知識で事業を成功させ、社交界の流行を生み出す者としての地位を得たトラーレは自身が持つやり直しで培われた手練手管を全力で使いトラーレと唯一無二の親友となり婚約者からトラーレを円満に寝取る事に成功した。

 トラーレの両親とも良好な関係を築き、侯爵家の一員として歓迎されている。

 ネトリーヌは下に弟がいるのでそちらが後継者だし、トラーレは侯爵家を継ぐ一人娘だが将来親族から養子を迎え入れて後継者として育てる事を宣言しているので跡継ぎ問題も解決している。

 周囲の祝福を得た上でパートナーとして生涯二人で共に過ごす約束まで果たせたネトリーヌの人生はこれまでとは違って順風満帆だ。

 やはり真に寝取るべき相手は彼女だったとネトリーヌは己の過ちを振り返る。

 共に過ごしている内にトラーレが如何に素晴らしい女性なのかがネトリーヌには分かり、最初に寝取りを始めた己の浅ましさを恥じた。

 互いに尊重し、愛し合い、慈しみ合う関係のなんと素晴らしい事か!

 最期の最後に幸せを掴む事に成功したネトリーヌはご満悦の笑みを浮かべて毎日のルーティンである二人でのお茶会を満喫する。


 「ああ、そうそう」


 トラーレがにっこりと微笑む。


 「もう寝取らないでね」


 ネトリーヌは気絶した。



 男爵が家宝で時を戻せる物を持っているなら侯爵も何かしらの不思議パワーのある家宝を持っていても可笑しくないですよねって話です。

 因みにトラーレは記憶保持の家宝を使っており、ネトリーヌによるやり直しの記憶を全て持っています。

 毎回違う行動を取る事からやり直しの原因はネトリーヌだと気付いており、開き直って色んなタイプの男との結婚を楽しんでいました。

 最初は何度繰り返しても婚約者を寝取って来るネトリーヌに良い感情は持っていなかったのですが、繰り返す内に本人に寝取る意思が全く無くても結果的に寝取る事になっている上に毎回あまり良い結末になっていない事に気付きちょっと見方が変わり、その内に同情します。

 何回かのやり直しを経てネトリーヌが婚約者ではなく自分に近付いて来た時は流石に身構えましたが、自分を婚約者から寝取ろうとしている事に気が付き「ふっ、面白れぇ女」となりネトリーヌを気に入りました。

 最期の言葉は彼女なりの小粋なジョークで深い意味はないです。


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