『おまけの人生』
1話完結です。
レジ横のガムの箱に、見慣れない札が立っていた。
「おまけ、あります」
コンビニでそんな文言を見る日が来るとは思わなかった。僕は出勤前の眠気に押され、何も考えずにおにぎりとコーヒーを持って列に並んだ。前の客がタバコを頼み、店員の青年が淡々と箱を開けて渡す。その所作が、妙に“慣れている”ようで、僕は札をもう一度見た。
会計の番になった。
「温めますか」
「お願いします」
レンジの扉が閉まり、ブーンと低い音が鳴る。僕は思わず札を指さしてしまう。
「……おまけって、何ですか」
店員は一瞬だけ瞬きをして、すぐにいつもの無表情に戻った。
「今朝からです。条件があります」
「条件?」
「お客さまが、ここで“ひとつだけ”選べます。レシートに印字されます。選ばなければ、何も起きません」
条件という言葉のわりに、脅しがない。僕は笑いそうになった。出勤前の冗談にしては凝っている。
「じゃあ、選ぶと何が起きるんです」
「……おまけがつきます」
「だから、それが何なのか」
店員は少し困った顔をした。困り方が真面目で、逆にこちらがいたずらしているみたいになる。
「説明すると、選べなくなる人が多いので。お客さまは、選びますか」
レンジがピッと鳴った。店員はおにぎりを袋に入れ、レジの画面をこちらに向ける。そこには、いつもなら“支払い方法”が並ぶ場所に、三つの項目が出ていた。
【時間/言葉/勇気】
その下に小さく、【本日のおまけ:一点】と書いてある。
僕は思わず笑った。
「何これ。占い?」
「……おまけです」
店員は笑わない。笑わないのに、目だけが“早く決めて”と急かしている。後ろに列が伸びてきた。僕は適当に押すしかない。
「じゃ、時間で」
指が画面に触れた瞬間、プリンターが軽く唸り、レシートが出てきた。店員はそれを切り取り、僕に差し出す。
「ありがとうございました。おまけ、つけておきます」
僕はレシートを受け取った。いつもなら丸めて捨てる紙だ。けれどそのレシートには、妙に丁寧な字でこう印字されていた。
【おまけ:時間(30分)】
“時間”の文字の横に、まるでポイントカードみたいな小さな四角が一つ。そこに黒く塗られた印。
会社まで歩く道が、いつもより少しだけ明るく見えた。気分の問題だ。僕はそんなものを信じない。
信じないはずなのに、午前中の会議が終わったところで、僕は変な感覚に気づいた。
――今日、時間が余っている。
資料を直す手が止まらない。返信が早い。上司の愚痴が短く感じる。時計の針は普通に進んでいるのに、僕の“焦り”だけが薄い。いつもなら昼休憩の終わりに胃が痛くなるのに、今日は痛くない。
気づけば、定時の一時間前にタスクが片付いていた。
「どうした、おまえ。珍しいな」
隣の席の先輩が覗き込む。
「いや、今日は……早いだけです」
「いいな。俺なんて今日、言葉が足りねえ日なんだよ」
先輩は笑った。僕は聞き返す。
「言葉が足りない日?」
「あ、知らない? 今朝から流行ってんだよ。コンビニのおまけ」
先輩は机の引き出しからレシートを出して見せた。
【おまけ:言葉(3つ)】
その下に、注意書きみたいな小さな字がある。
【本日中に、言葉を3つだけ“多く持てる”】【使わなければ失効】
「さっき一個使った。『ありがとう』を、ちゃんと出せた」
先輩は照れたように笑う。
「普段なら言えないの?」
「言えねえっていうか……飲み込む癖があるだろ。今日は、飲み込む前に出せる。変だよな」
僕は自分のレシートをポケットから出した。
【時間(30分)】
たったそれだけの印字が、急に妙な重みを持つ。
帰り道、僕は例のコンビニにもう一度寄った。店員の青年はまだいた。
「今日の“時間”って、何なんですか」
僕が言うと、店員は軽く息を吐いた。
「説明すると、選べなくなる人が多いので」
「でも、選んだ。選んだんだから、知りたい」
店員はレジの下から小さな紙を出した。メモ帳の切れ端だ。
「おまけは、足りない人に出ます。足りないと気づかない人には出ません」
「足りない?」
「はい。時間が足りない人、言葉が足りない人、勇気が足りない人」
僕は笑いかけて、やめた。
「じゃあ僕は、時間が足りない人だった」
「……そうです」
「今日、30分もらった。これ、何に使うんです」
店員は首を傾げた。
「“余った時間”は、普通は怖いものです。手が止まるので。何かが見えるので」
不吉な言い方だった。僕は思わず背筋を伸ばす。
「見えるって」
「……本当に足りないものが」
店員はそれ以上言わなかった。後ろに客が並んでいたからだ。
家に帰って、僕は30分の“余り”をどう使うか考えた。
部屋の掃除。ジム。動画。ゲーム。どれも、できる。どれでもいい。
でも“どれでもいい”が、いちばん難しい。
僕はソファに座ったまま、スマホを握り、画面をつけたり消したりした。時間があるのに、動けない。
店員の言ったことが頭に残る。
――余った時間は、怖い。何かが見える。
結局、僕は連絡先を開いた。母の番号。
最後に電話したのは、何ヶ月前だったか。いつも“忙しいから”で先延ばしにしてきた。
忙しい。忙しい。忙しい。
忙しさは、僕の盾だったのかもしれない。
呼び出し音が二回鳴った。
「もしもし?」
母の声は、思ったより小さかった。
「あ、俺。……今、ちょっと時間があって」
それだけ言うのに、胸が詰まる。時間があって、電話する。たったそれだけのことを、僕はずっとできなかった。
「どうしたの」
「いや、元気かなって」
沈黙が一拍。
「……元気だよ」
母は元気だと言った。だけど、声が元気じゃない。
僕は、言葉を探した。先輩なら今日、“言葉”を選んでいただろう。僕は“時間”だ。
だから、僕にできるのは、言葉を飾ることじゃなくて――黙って待つことだ。
「最近さ」
母が言った。
「あなたの声、聞くと安心するんだよ。不思議だね。何も言わなくても」
僕の喉が熱くなった。
「……何も言ってないじゃん」
「だからだよ」
母は笑った。笑いながら、少し泣いているみたいだった。
通話が終わったとき、僕はレシートを見た。
【時間(30分)】
“30分”の文字が、消えていた。代わりに小さく、こう印字されている気がした。
【おまけ:時間(使用済)】
次の日も、僕は同じコンビニに寄った。
札はまだ立っていた。
「おまけ、あります」
レジの画面にはまた三つの項目が出る。
【時間/言葉/勇気】
僕はしばらく迷って、今度は“言葉”を押した。
レシートに印字される。
【おまけ:言葉(3つ)】
店員はいつもどおり無表情で、でも少しだけ、安心したような目をした。
会社へ向かう道で、僕はひとつ目の言葉を使った。
すれ違った清掃員さんに。
「おはようございます」
それだけで、世界は何も変わらない。
でも、僕の中の“足りなさ”の形が、少しだけ分かった気がした。
ごくごく短編を作ってみました。




