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『おまけの人生』

作者: くろめがね
掲載日:2026/01/30

1話完結です。


 レジ横のガムの箱に、見慣れない札が立っていた。

「おまけ、あります」

 コンビニでそんな文言を見る日が来るとは思わなかった。僕は出勤前の眠気に押され、何も考えずにおにぎりとコーヒーを持って列に並んだ。前の客がタバコを頼み、店員の青年が淡々と箱を開けて渡す。その所作が、妙に“慣れている”ようで、僕は札をもう一度見た。


 会計の番になった。

「温めますか」

「お願いします」

 レンジの扉が閉まり、ブーンと低い音が鳴る。僕は思わず札を指さしてしまう。

「……おまけって、何ですか」

 店員は一瞬だけ瞬きをして、すぐにいつもの無表情に戻った。

「今朝からです。条件があります」

「条件?」

「お客さまが、ここで“ひとつだけ”選べます。レシートに印字されます。選ばなければ、何も起きません」

 条件という言葉のわりに、脅しがない。僕は笑いそうになった。出勤前の冗談にしては凝っている。

「じゃあ、選ぶと何が起きるんです」

「……おまけがつきます」

「だから、それが何なのか」

 店員は少し困った顔をした。困り方が真面目で、逆にこちらがいたずらしているみたいになる。

「説明すると、選べなくなる人が多いので。お客さまは、選びますか」

 レンジがピッと鳴った。店員はおにぎりを袋に入れ、レジの画面をこちらに向ける。そこには、いつもなら“支払い方法”が並ぶ場所に、三つの項目が出ていた。

【時間/言葉/勇気】

 その下に小さく、【本日のおまけ:一点】と書いてある。


 僕は思わず笑った。

「何これ。占い?」

「……おまけです」

 店員は笑わない。笑わないのに、目だけが“早く決めて”と急かしている。後ろに列が伸びてきた。僕は適当に押すしかない。

「じゃ、時間で」

 指が画面に触れた瞬間、プリンターが軽く唸り、レシートが出てきた。店員はそれを切り取り、僕に差し出す。

「ありがとうございました。おまけ、つけておきます」

 僕はレシートを受け取った。いつもなら丸めて捨てる紙だ。けれどそのレシートには、妙に丁寧な字でこう印字されていた。

【おまけ:時間(30分)】

 “時間”の文字の横に、まるでポイントカードみたいな小さな四角が一つ。そこに黒く塗られた印。


 会社まで歩く道が、いつもより少しだけ明るく見えた。気分の問題だ。僕はそんなものを信じない。

 信じないはずなのに、午前中の会議が終わったところで、僕は変な感覚に気づいた。


 ――今日、時間が余っている。


 資料を直す手が止まらない。返信が早い。上司の愚痴が短く感じる。時計の針は普通に進んでいるのに、僕の“焦り”だけが薄い。いつもなら昼休憩の終わりに胃が痛くなるのに、今日は痛くない。

 気づけば、定時の一時間前にタスクが片付いていた。


「どうした、おまえ。珍しいな」

 隣の席の先輩が覗き込む。

「いや、今日は……早いだけです」

「いいな。俺なんて今日、言葉が足りねえ日なんだよ」

 先輩は笑った。僕は聞き返す。

「言葉が足りない日?」

「あ、知らない? 今朝から流行ってんだよ。コンビニのおまけ」

 先輩は机の引き出しからレシートを出して見せた。

【おまけ:言葉(3つ)】

 その下に、注意書きみたいな小さな字がある。

【本日中に、言葉を3つだけ“多く持てる”】【使わなければ失効】


「さっき一個使った。『ありがとう』を、ちゃんと出せた」

 先輩は照れたように笑う。

「普段なら言えないの?」

「言えねえっていうか……飲み込む癖があるだろ。今日は、飲み込む前に出せる。変だよな」

 僕は自分のレシートをポケットから出した。

【時間(30分)】

 たったそれだけの印字が、急に妙な重みを持つ。


 帰り道、僕は例のコンビニにもう一度寄った。店員の青年はまだいた。

「今日の“時間”って、何なんですか」

 僕が言うと、店員は軽く息を吐いた。

「説明すると、選べなくなる人が多いので」

「でも、選んだ。選んだんだから、知りたい」

 店員はレジの下から小さな紙を出した。メモ帳の切れ端だ。

「おまけは、足りない人に出ます。足りないと気づかない人には出ません」

「足りない?」

「はい。時間が足りない人、言葉が足りない人、勇気が足りない人」

 僕は笑いかけて、やめた。

「じゃあ僕は、時間が足りない人だった」

「……そうです」

「今日、30分もらった。これ、何に使うんです」

 店員は首を傾げた。

「“余った時間”は、普通は怖いものです。手が止まるので。何かが見えるので」

 不吉な言い方だった。僕は思わず背筋を伸ばす。

「見えるって」

「……本当に足りないものが」

 店員はそれ以上言わなかった。後ろに客が並んでいたからだ。


 家に帰って、僕は30分の“余り”をどう使うか考えた。

 部屋の掃除。ジム。動画。ゲーム。どれも、できる。どれでもいい。

 でも“どれでもいい”が、いちばん難しい。

 僕はソファに座ったまま、スマホを握り、画面をつけたり消したりした。時間があるのに、動けない。

 店員の言ったことが頭に残る。

――余った時間は、怖い。何かが見える。


 結局、僕は連絡先を開いた。母の番号。

 最後に電話したのは、何ヶ月前だったか。いつも“忙しいから”で先延ばしにしてきた。

 忙しい。忙しい。忙しい。

 忙しさは、僕の盾だったのかもしれない。


 呼び出し音が二回鳴った。

「もしもし?」

 母の声は、思ったより小さかった。

「あ、俺。……今、ちょっと時間があって」

 それだけ言うのに、胸が詰まる。時間があって、電話する。たったそれだけのことを、僕はずっとできなかった。

「どうしたの」

「いや、元気かなって」

 沈黙が一拍。

「……元気だよ」

 母は元気だと言った。だけど、声が元気じゃない。

 僕は、言葉を探した。先輩なら今日、“言葉”を選んでいただろう。僕は“時間”だ。

 だから、僕にできるのは、言葉を飾ることじゃなくて――黙って待つことだ。


「最近さ」

 母が言った。

「あなたの声、聞くと安心するんだよ。不思議だね。何も言わなくても」

 僕の喉が熱くなった。

「……何も言ってないじゃん」

「だからだよ」

 母は笑った。笑いながら、少し泣いているみたいだった。


 通話が終わったとき、僕はレシートを見た。

【時間(30分)】

 “30分”の文字が、消えていた。代わりに小さく、こう印字されている気がした。

【おまけ:時間(使用済)】


 次の日も、僕は同じコンビニに寄った。

 札はまだ立っていた。

「おまけ、あります」

 レジの画面にはまた三つの項目が出る。

【時間/言葉/勇気】

 僕はしばらく迷って、今度は“言葉”を押した。

 レシートに印字される。

【おまけ:言葉(3つ)】

 店員はいつもどおり無表情で、でも少しだけ、安心したような目をした。


 会社へ向かう道で、僕はひとつ目の言葉を使った。

 すれ違った清掃員さんに。

「おはようございます」

 それだけで、世界は何も変わらない。

 でも、僕の中の“足りなさ”の形が、少しだけ分かった気がした。

ごくごく短編を作ってみました。

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