第8話 一か八か
「なぁ、テス。不確定要素は嫌なんだっけか?」
リングスさんがこの状況において、不敵な笑みを浮かべている。絶望を前にして正気を失った、とはまた違う。まるでイタズラを思いついた子どもみたいだと思った。
「何か……思いついたのですか?」
ジャンカーウルフ達から視線を外さずに彼の意図を探る。
私としても打開策があるわけではない。だから今は彼の思いつきに縋るしかない。
夫婦の狼が瓦礫を押しのけて姿を現す。オスとみられる個体は傷を負っているものの、致命傷とはいかなかったと見える。
だけどあの衝突がリングスさんの狙い通りだとしたなら……。彼の思いつきもバカに出来ないかもしれない。
そんな期待を抱いて言葉を待った。
「テス、魔力を解放して思いっきり暴れちまえ」
「……え? 何故……」
意図が掴めない。確かに魔力を使って戦えば、群レベルの連携相手でも一縷の望みはあるかもしれない。だけど楽な相手ではないだろう。それに魔力に引き寄せられて別の魔物までやってくる。
そうなれば終わらない戦いが始まり、食われて死ぬか、魔力が枯渇して死ぬか、そのどちらかだ。
困惑している私へ、リングスさんは短く言った。
「こうなりゃもう、どのみち乱戦だ! なら参加者は多いほうが逃げるチャンスは多くなる!」
「逃げる隙を作るってことですね……」
つまり魔獣を誘き寄せて魔力源の争奪戦をやらせようという魂胆なのだろう。でも奴らの狙いはあくまでも私。果たしてそう上手く事が運ぶだろうか。この方法はそれなりの、いいえ、かなりのリスクが伴う。
言うなれば、一か八か。
「……リングスさん、それはあまりにも望み薄な――」
「来るぞ!」
私の言葉を遮り、リングスさんがそう叫んだのとほぼ同時にウルフ達が私達を素早く囲む。涎を垂らし、喉を鳴らして牙を見せつけている。
結局、私はここで死ぬのだろう。きっと早いか遅いかの違いだったのだと思う。『バベル』が発現したあの時から希望なんて――。
――『せめてここに居るよりはマシくらいには思わせてやる!』
ううん、ついさっき胸に灯った希望が、まだ胸のなかで燻っている。
そうだ、私はここから出るんだ。それに、ここで死んだら私を生き延びさせてくれた皆の思いが……無駄になる!
私が戦っていたオスのジャンカーウルフが短く吠えたのを切っ掛けに、三匹のウルフが飛び掛ってくる。あくまで包囲は崩さないらしい。
しかし奴らが到達するよりも早く、私はこのニ年間最低限に抑えていた魔力を全身に巡らせた。
後回し蹴りで一頭の頭を潰し、そのままもう一頭へと蹴りつける。そして眼前に迫る最後の一頭を、脳天から短剣で串刺しにして口を閉じさせた。
「リングスさん、その提案乗ってみましょう。ただし、鬼が出るか蛇が出るか……覚悟しておいて下さい」
溜め込んでいた魔力の恩恵は想定以上だった。
体に力が漲り、頭が冴える。ウルフ達の息遣いや筋動作、小石を踏みつける音。それらの情報の集結が気配となって、目で見なくても動きが読める。
「ははっ、すげぇな。これが魔族の力か」
目の当たりにするのは初めてなんだろう、リングスさんが生唾を飲みながら小さく震えた。
「溜め込んでましたので。それに、これでも領主の娘ですので、結構鍛えてました。並の魔族より魔力の扱いは、上手ですよ」
そんな軽口を叩きながら、左後方から迫るウルフへ向けて短剣を投げつける。短剣は眉間に直撃。しかしそれでも涎を垂らして這いずり、血走った目で私へと辿り着こうとするジャンカーウルフ。
完全に魔力に当てられて正気を失っている。
その様子を見て考察する。
この都市が廃墟になったのは前大戦。つまりもう五十年前近く経っている。寄せ餌となった残留魔力も魔力の精製する物も、もう残っていない。
魔獣同士の捕食によって補ってきたのだろうか。それでも得られる魔力は微々たるものだと思う。
結論、魔獣達の魔力への飢えは相当なものと考えられる。
這いずる個体へとリングスさんが剣を振り降ろす。
「気色悪いな、こいつ! ――うおっ!」
そのリングスさんの横を駆け抜け、さらに一匹、いや反対方向からもうニ匹、私へと一直線に向かってくる。包囲も統制も崩れてきている。
「……この飢餓状態、利用できるかも。【アイシクル・スピア】!」
何の連携も策もなく直線的に飛び掛ってくる二頭へ、両手でそれぞれ氷の槍を放つ。槍はウルフ達の口を貫通して、石壁へと磔にした。
そして狙い通り、数匹のジャンカーウルフが私の放った氷の槍へと、涎を垂らして群がり始めた。仲間の死体を突き刺している槍を舐めたり囓ったりして、必死に魔力を摂取しようとしている。
それでも私を直接狙う個体もいる。迫る牙を躱しざまに口部を短剣で切り裂く。さらに迫るもう一匹をリングスさんが横から斬りつけた。
「こいつら、もう俺のことは視界に入ってない様子だぜ。しかしテスって強いんだな。こんなに強いなら引き寄せられた魔獣も返り討ちに出来るだろうに」
「そう簡単な話ではありません。これ程の魔力を使えば、無数の魔獣が四六時中私を狙ってくることになります」
「不眠不休じゃ、確かにキツイか」
「それと、油断しないで下さい。魔力で増強された獣、それが魔獣です。その強さは魔力の保有量に左右される。禁断症状の見られるこのウルフ達は十分な力を発揮できていない」
ウルフの中にも冷静さを保っている個体がいる。魔力の補給、つまり狩りが得意な個体達だ。そしてその最たる個体があの夫婦のオスとみられるウルフだ。
未だに冷静に、凛然としてこちらを見据えているあのオス。あのウルフの周りだけ、未だ統率が保たれている。きっと群れのリーダーなのだろう。
「あの夫婦、あの二頭だけはリングスさんを見ています。気をつけ――待って、何か来ます!」
地鳴りが起こったかと思うと、轟音を立てて黒い影が遠くでそびえ立つ。
「なん……だあれ。あれも魔獣なのか!?」
無数の足が蠢く、悪寒が走るほどに邪悪なシルエット、巨大なムカデだ。あいつの出現を皮切りに、さっきまで深夜の静寂に包まれていた都市を、魔獣たちの躍動が包みこんでいた。
流石のリーダーウルフもムカデを気にかけて、逃げ腰を見せている。
そびえ立っていた巨大ムカデは建物を薙ぎ倒しながら体を倒した。そして頭をもたげて私を見た。
全身に寒気が走り、鳥肌が止まらない。
「イヤッ……気持ち悪い……」
「クソッ! 蛇どころじゃねぇ! 走れるか、テス!」
リングスさんが私の手を取った瞬間だった。
巨大ムカデの背中に何かが着地。そしてムカデの頭と胴を引き千切った。
「次はなんだよ! ウィンドウがヤバいくらいに点滅してる!」
蛇のような長い首を伸ばしながら、手元のムカデの頭部を貪る筋骨隆々な二足歩行の獣の姿が月明かりで照らされている。
ひとつの領地を壊滅に追い込んだ悪魔の魔獣――逸話として知っているその姿に戦慄した。
「嘘っ、あれは……バンダースナッチ!?」
私は急いで溜め込んでいた魔力の大半を注いだ、巨大な氷塊を創り出す。
「【アイシクル・ドーン】!」
それを統率の取れている集団へ向けて投げつける。あの二頭はそれを避けたものの、群れの大半は押し潰された。そして生き残った狼達も凝縮された魔力の塊を前に理性を完全に失った。その中であの夫婦だけは素早く都市の中へと姿を消していく。
きっと私達への怨念がそうさせたのだろう。
でも今はそれどころじゃない。体から力が抜けていく。それと凄い疲労感も押し寄せてくる。それでもここで立ち止まっている時間はない。
「はぁはぁ……行きましょう、リングスさん!」
「あぁ、ずらかろう!」
彼は私の手を強く握って頷いた。
二年間、私を捉えていた都市を背中に、郊外へと向けて駆け出す。未練など微塵もない。
背後に聞こえる獣達が争うけたたましい声。その中で一際大きな着地音が響いた。
肩越しに振り返る。氷塊に群がるウルフ達を瞬く間に排除するバンダースナッチ。さらに他の魔獣も押し寄せ、殺し合い、あの石蔵地帯は血の海へと変わり始めていた。
私は息を潜めるように魔力を抑えて、祈った。
あの悪魔がこっちに来ないように、と。




